ゲンロンカフェ20200907.クイズ鼎談.3

前の記事で,クイズの暴力性について,そこにある種の暴力性はあるだろうが取り立てて問題にする程のことだろうか,と書いた.

が,ゲンロンカフェをリピートしつつふと,そうか,伊沢さん自身がクイズが強いことで,彼自身が(精神的な)暴力を受けたからそういうことが問題になっているのかもしれないなと思い至る.「お前,頭いいからって偉そうにするなよ!」とか,間違えたら「こんなのも知らないのかよー」と言われるとか.(妄想です.)
今は知らないが,25年前位の東大生は,東大生であることを隠そうとしていた.(特に女子学生は.)東大生であると言ってしまうと妬みから不要な攻撃を受けることを察知していて,予め回避していたのだ.自分はそもそも当時から,東大生でも上には上がいるということを身をもって知っていたから,東大生である程度でこそこそしたりするのは本当にばかばかしいと思っていた.しかしまあ,そういうものから自由であれた自分は,多分特殊な環境で恵まれていたんだろう.社会に出てから逆に腫れ物扱いされるのが意味不明に面倒だったっけ.
有名人のクイズ「王」ともなれば,もっともっとそういう風当りは強かったのかもしれないし,知りもしない人から(例えば私のような!!)適当なことを言いたい放題言われるだろう.そして,例えばメッシにスーパープレイヤーとして贈られる賞賛に比べて,彼への妬みが含まれる批判を受けてしまうのは何故かを考えた結果,クイズというものが特異に持つ暴力性があるのではないだろうか,と考えるに至ったということなのかもしれない.
そう考えてみると,クイズが強い人は,自分が強いと思っていますよね,そこがいいですよね,というのも,納得がいく.自分の得意なことを得意なこととあっけらかんと認める,それをお互いに認め合える社会の方が,風通しがずっといいよね.
田村さんは全く別の意味で言ったのかもしれないけど,なんだか優しい気持ちになる,というのもしっくりくる気がした.

結局目指すところは,自分たちが楽しくやっている遊びについて,迷惑をかけていないなら批判(東大まで出てクイズなんてやって何になるの?)を投げてこないで欲しいし,迷惑が自動的にかかってしまっている(自動的に遊びの場に引き出されてしまう構造によって心理的に傷つけられてしまっている)のであれば,そこで傷つく必要はない(クイズは色々あるし,常に勝ち続ける人はいないし,強い人の強さは努力した結果である)ということをわかってほしい,ということなのかな.それはもっとクイズをプレイする人が増えたら理解が広まると思っているのかもしれない.
やられたらやり返す,じゃなく,建設的に状況を変えようとしていっている,ように見えるのがすごいなあ.


田村さんのスラムドックミリオネアとナナマルサンバツの比較の話もやはりとても面白い.クイズプレイヤー達は一般的に,今までの人生経験からクイズに答えられたりすると個人的な体験が公共性と繋がっているように感じられて喜びがあるが,スラムドックミリオネアの主人公はどこまでも私的な記憶の呼び起こしに留まる,という視点.田村さんって賢いんだなあとしみじみ思う.全然別の話になるが,同じ事象を経験しても別の捉え方をする,という話に関連して,猫的な生き方に思いを馳せる.


因みに,個人的な話だが,かくいう自分もやはり,自分を落として見せるという処世術をずっと使ってきたように思う.成績がいいこと自体を隠すのはしなかったが,成績はいいけどポンコツな部分もあるのですよ,と見せることで受け入れてもらうように動いていたと思う.また,学歴はそれ自体が既にアピールしてくれるので,自分のよさを他人に過不足なくアピールする方法も学んでこなかった.そういう考え方の癖は,自尊心を激しく損なう.未だに克服しきれたのかはわからないが,人が沢山いる中で健康にうまく生きていくのは,簡単じゃないことも,あるよね.



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