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ホンネもタテマエもダイジ!

本日は久々の職場への出勤になります。
手続き関係やりつつ、不在間の積み業務やりつつ、さっさと帰らないといけないですね…

さて、本題ですが、標記はこの前私が後輩と飲んだ時に言った言葉です。
仕事をやる上では、タテマエをしっかりと理解した上で、ホンネをある程度開示しつつ仕事をした方が、特にシビアな調整において上手くいく事が多い、的な意味です。
私の仕事の詳細はここでは書けないので割愛をしますが、割とお堅い仕事ですので、タテマエをキチンとしていないと仕事はまず通りません。
法令規則の縛りも当然ありますので、これらは当然厳守です。
その上で、ホンネはこうだから何とかならない?という所は、義理人情の部分であり、実は法令規則や他者の業務にある隙間を活用して仕事が進んでいく可能性があるのです。
当然ながら、タテマエをキチンと理解した上でホンネを言わないと、ただの懇願になるので、それで拾ってくれる相手なら良いですが、「こいつ仕事できないから泣きついてるだけだろ…」とあまり良い印象を持たれません。
こちらのタテマエとあちらのタテマエをキチンと理解し、こちらタテマエを失わず、当然相手のタテマエを尊重した上で、こちらのホンネを通すのが大切です。
勿論、自分のホンネを開陳するばかりではなく、相手のホンネを引き出す事も大切です。
ぶっちゃけここまでならなんとかなる、だったりとか、代わりにここまでやってくれたらこちらはここまでやってあげてもいい、だとか、あちらにだって当然にホンネというものはあるのです。
良好な関係性を築けているならば、直接ホンネを聞くのもアリですし、そうはいかない場合は相手のタテマエと相手が置かれている環境を適切に分析して、妥協を引き出せるホンネのラインを見極めなければいけません。
当然、ホンネのラインとタテマエのラインが一致している時もありますけどね…
機微な交渉をして業務を進める上では、ホンネとタテマエの両立は必須になると言っても過言ではありません。
ホンネだけで仕事をして当たって砕けても仕事になりませんし、タテマエだけで仕事をしても堅苦しいだけで業務の幅が広がりません。
良い塩梅で両立できるような業務をしていく事が必要なのでは無いでしょうか?

さて、似た様な話題をもう一つ。
世の中、性善説と性悪説があります。
別の記事で紹介した佐藤優氏の著作では、これに加えて仏教などにおける無記の概念も紹介されていました。
細かい定義とかは色々あるようですが、ざっくり言うと、人間は本来善であるとするのが性善説、本来悪であるとするのが性悪説、本来無謬であり善でも悪でもないとするのが無記です。
個人の意見としては、人間は本来善と悪をそれぞれ一定量ずつ持って生まれてくるものだと考えています。
その善悪の量は個人ごと異なりますが、基本的に完全に善なる人も完全に悪なる人も完全に無謬である人もいないのではないかと思っています。
その内なる善悪が思考思想信条や知識知恵、ペルソナ、意識無意識などのフィルターを通じて実際の行動や言動に現れるものだと思っています。
更にそれをオブラートに包んだのがタテマエと言えるでしょう。
さて、私の書く記事には綺麗事ばかりを言う人達(特にリベラル的な人間)に対する辛辣な記事が多いかと思います。
確かに、タテマエとしての綺麗事はあってもいいかもしれません。
やらない善よりやる偽善と言います。
例えばサンドイッチマンなんかは毎年被災地に数千万円とかの寄付をしているらしいのですが、一部の人から売名行為の偽善と言われる事もあるそうです。
しかし、彼らは「偽善と思われても構わないし、売名だと思うならば他の人もやればいい」と言っているそうです。
個人的にはとても立派な心掛けと行動だと思います。
偽善でも、それを認めて、それでもやるんだ!と言えるならば十分に立派だと思いますし、他の人もやれるもんなら是非やるべきだという反論は極めて好感が持てます。
サンドイッチマンの件は、その偽善によって多くの人が助かり、その代わりにちょっとばかしサンドイッチマンの好感度が上がるというもので、基本的には害が何もないと思います。
しかし、リベラル的な偽善は、その偽善を他者への攻撃に使うケースが多々あります。
私がよく棍棒と表現している様に、思想の違う他者を攻撃し、特定の弱者を守っているという大義名分を乱用している様にしか見えません。
そして、リベラルはタテマエの綺麗事は言うけれども、その内面のドロドロとしたホンネは決して語りません。
ですので、彼らは自己総括できないのですから、有害な偽善のタテマエのベールを無理矢理剥ぎ取って、その汚らしいホンネを代弁しているのです。
まぁ、極稀に本心から綺麗事にしか聞こえない事を言う頭のおめでたい人がいないとは言いませんが、そういう人は逆に現実を直視してもらいたいとともに、悪意ある人間に踊らされて加害者の片棒を担いでいる事を自覚してもらいたいものです。
また、日本人は大多数が「お前が言うな!」の感覚を持っていて、諸外国の多くが「自分を棚に上げても正しい事を言う!」という文化なのは別の記事で述べた通りです。
特権と言える程女性が優遇される我が国に女性の権利を求めてきたり、児童性犯罪被害が圧倒的に少ない我が国に児童ポルノ規制を求めてきたり、おかまタレントその他LGBTがテレビも出られるし公言しても諸外国のように石も卵も投げつけられない我が国にLGBT差別撤廃を求めたり。
日本人差別を嬉々としてやっている暇があれば、その腐った偽善を自国の被害者に向けてあげれば良いだろうにとは思います。
偽善は偽善でも、誰も傷つけず、相手の為になり、向かう方向が適切であれば良い偽善です。
そうでない偽善はホンネの部分が腐り切った唾棄すべき醜悪な偽善です。
その様な偽善には断固として戦うのが私の偽善です。

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