「科学的知識」に対するスタンス

過去の自分がいいこと言ってたので貼る。最近信じてたものに対する批判を真に受けて何を信じていいのか分からなくなってたが、過去の自分が既に答えを出していた。

科学というのは私にとって「再現性、普遍性、客観性を神(公理)とする宗教」だ。というのも結局のところ、自力で論文を精読して研究デザインの質の高さ、因果関係の説明にどれほどの妥当性があるか、効果量やサンプル数からその研究の信頼性はどれほどかを判断できない限り結局のところ、「信じられそうな情報をなんとなく信じている」に過ぎないからだ。

コペルニクスが地動説を「天体の回転について」に記した時、人々は天動説を信じていた。その人々は、地球が動いているということを知っている私たちより愚かだったのだろうか?恐らくそれは違う。当時の人々が知ることができた最先端の自然科学と長年信じていたキリスト教的世界観がどちらも当てはまるのが天動説で、それには人々を納得させるだけの「根拠」はあったのだ。

「なぜその情報が信頼するに足るのか?」に関しては、その分野の専門的知識を深める、あるいは個々人が情報に対してどう判断するのか「どの範囲までを信じるのか?」という物差しを自分の頭を使って具体的にしない限り、いつか必ず齟齬が生じるだろう。

私の答えは「ただ試してみて、効果を実感する、あるいは楽しい場合はやり続ける」だ。科学的かどうかは、絶対的に重要ではない。(というより科学的信頼性を精査する能力をまだ身につけていない)

私は享楽主義者で実用主義者の科学信者だ。言い換えれば「より人生を楽しみたい、それに役立つことに興味があるから、"科学"という人類が発明した最もマシな道具を使っている」

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