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映画ドラえもん42作品の感想まとめ


ドラえもんの映画が大好きです。

原作の大長編ドラは読んでたり読んでなかったりですが、藤子・F・不二雄先生の漫画も大好きです。

大好きなドラえもん映画へのラブや思い出を一度自分の言葉で語りたいと思い、全42作品(2023年現在)の感想をまとめてみました。(短編除く、でも短編作品群も好き)
ドラえもん語りであると同時に、だんだんジャーナリング的な自分語りにもなっている、自分のために書いた自分のためのドラ語りです。そのためネタバレなどには配慮してません。

私も人間なので作品によっては気持ちが昂りつい辛辣な評価をしてしまうこともありますが、あくまで個人的な意見なのでどうか気にしないでくださいね。誰かの大切な思い出や、頑張って制作した方々を貶めてやろうという意図はまったくないのでどうかご了承ください。どんなクソ映画でもそれがドラえもんだったらなんだかんだ私は好きなので…。
また、個人の感情100%で書いている感想のため、もしも事実ではなく幻想で語ってしまっている部分がありましたらごめんなさい。引用元が分かるものはリンクを繋げておりますが、事実ではない部分があれば指摘してもらえると嬉しいです。そのため、本文は予防線として「個人的に」「私にとっては」と言う単語が山ほどあります。



●のび太の恐竜(1980)

記念すべき第1作目!子ライオンを育て、やがて野生に返す様を描いた「野生のエルザ」から着想を得たと言う本作、何度観てもこの作品はドキドキの楽しい作品だ。

心温まるのび太とピー助の交流はETのようなジュブナイル、本来ならば生まれることのなかった恐竜の卵(正式にはピー助は恐竜ではないのだけれど)を現代で孵し、日本の白亜紀へ送り届けてその首長竜は生きていたという歴史に変える!そのセンスオブワンダー、そして恐竜達の生活を背景に、後戻りが出来なくなるアドベンチャー。まさしく「映画」としての原初のエンタメが詰まっている。それまでギャグ漫画としてのドラえもんを好きだった人たちにとって、初めてこの作品が発表された時はきっとドキドキワクワクしただろうなぁ、と思いを馳せてしまう。

映画のラスト、ピー助との日々を思い返しながらボールを抱いて寝るのび太の姿を見るとじんわりと温かい気持ちが広がってゆく。日記の最後のページに狂ったようにピー助の名前をたくさん書いている描写も切ない。…そう、だから例え、古生生物の研究が進み日本の首長竜が卵生ではなく胎生だった※と分かっても、この作品が色褪せることはないのだ(台無し)。………ピー助、本当は卵じゃ生まれないらしい…。恐竜とか古生生物の研究は化石がバラバラで出てくることの方が多いため、後になってから分かることでどんどん情報がアップデートされていくから、昔の作品ってそう言うことが起こりやすい。それにしたって!笑

好きなシーンは桃太郎じるしのきび団子をティラノサウルスに食べさせた後の、無邪気にティラノの頭に乗っている5人のシルエット。劇場版ドラえもんのこののんびりとした雰囲気が好きだ。そしてこれが後でちゃんと伏線となるし、その時の高揚感も王道だが気持ちが良い。
ちなみにこの時期の作画はちょっとど根性ガエルっぽい。

※参考ページ:

https://shinkan.kahaku.go.jp/kiosk/50/nihon_con/N3/KA0-1/japanese/TAB1/index.html


●のび太の宇宙開拓史(1981)

この作品を観ると自分の部屋の一部も遠い遠いどこかの星と繋がったらいいのにな、と思う。観た後の爽やかさが心地よい作品。
やっぱり宇宙開拓史は良いよね。最後に「心ゆらして」が流れ、ロップルくん達との別れのシーンは思わず目がうるうるしてしまう。途中コーヤコーヤ星で過ごす楽しい日々を画面4分割にして流す演出が好き。画面分割をするだけでなんであんなに幸せな気持ちになるんだろう。のび太がクレムにあやとりを教えてあげるところが好き。あとチャミィの一挙手一投足がとっても可愛い。

好きなシーンは(ガルタイト鉱業に攻撃されるコーヤコーヤ星の人たちに対して)のび太が「地球に移住しちゃいなよ」と提案した際のロップルくんの回答。見てる側は地球の空気はロップルくん達には合わないから住めないだろうなぁ…とかを考えてしまうが、彼の答えはもっと精神的な話だった。自分の父がこの開拓星を見つけたその矜持があり、この星が自分達の故郷なのだと答える。かつて大陸を発見し、そこに住んでいた人たちも同じようなことを考えたんだろうか…と創作を通して現実の過去に思いを馳せたくなる描写だった。


●のび太の大魔鏡(1982)

ジャイアンお当番回。
ジャングルの探検の中でどんどん居場所がなくなるような気持ちのジャイアンと、そんなジャイアンに寄り添うペコの描写は前半のグッとくるシーン。この時のジャイアンは自分が状況を悪くしてしまった責任感と後悔、けれど自分の性格上素直に謝れず、表面上は卑屈になってしまうもどかしさ、そして他のメンバー同様にこの先どうなってしまうんだろうと言う不安だって持っている。悩み苦しんでいるジャイアンの姿は普段の傍若無人な性格を思い出しても「1人の子供」として共感するのにあまりある描写だった。
そして後半「だからみんなで」が流れるドラ映画屈指の名場面!ペコの忠告を聞かず着いてくるジャイアンとそれを咎めるペコ、言い合いをする2人の会話は聴こえないが何を言ってるのか容易に想像できる。前半ではジャイアンを気遣っていたペコ(例えそれが自分の目的のためだったとしても)とそんなペコに救われていたジャイアンのそれぞれの立場が逆転するような信頼関係の構築に胸を打たれる。後からドラのびしずがやってきて、少し遅れて気まずそうにスネ夫もやってくる。この演出も憎くて、ジャイアンが目を潤ませている頃にはこっちもおんなじようなうるうるお目目になってしまう。

ヘビースモーカーズフォレストを説明する出来杉くんの知的好奇心をくすぐる語り口や、先取り約束機を使った「10人の外国人」のタイムパラドックストリック、ひみつ道具を使って快適とトラブルの両極端を手繰り寄せた大冒険など、大長編ドラえもんに求めるものが盛り盛りの名作。
個人的には前半のペコの普通の犬の振りがとっても可愛いくて注目ポイント。癒される。きっと普通の犬も手は洗面所で洗うんだろうなと思ってたクンタック王子、お育ちが良い。ペコがオーストラリアから日本への長旅を振り返った時のハーモニー風のイラストも哀愁漂っていて味わい深い。


●のび太の海底鬼岩城(1983)

芝山努監督初メガホン作品!以降2004年までずっと芝山監督がドラえもん映画を作り続ける。監督初回から完成度が高くて、ドラえもん映画を作るべくして作った運命の人だなぁと感じるよ。

本作の魅力はなんと言ってもドラちゃんプレゼンツ、海底キャンプの楽しそうさ!日本海溝の大ジャンプ、不思議な水中バーベキューや沈没船の探検。マリアナ海溝をゆっくり落ちてゆく絵面はとても愉快だ。海上で食べるまつたけご飯はどういうコンセプトなのかよく分からないけど美味しそうではある。トイレの説明シーンがめちゃくちゃ好き。後半の教育ドリームのシーンも趣がある。

本作は三ツ矢雄二さんの怪演もありバギーちゃんの存在感が輝く。「死ヌンデスカ。人間ナンテイバッテテモ コウナルトダラシナイモノデスネ」のセリフのシーンは怖さと絶望感でいっぱいだ。
しずかちゃんの「機械にいいことや悪いことを区別する力なんかないわ、命令されたから走っただけじゃない」と言うセリフはこの映画でかなり重要なセリフ(なんとなく、昨今の生成AIを巡る問題やなりすましAIの犯罪を連想して苦しくなるセリフだ)。
7000年も昔にアトランチスは滅びたのに、ポセイドン達は国を守る必要もないという認識すらせずに7000年間「命令されたこと」だけをやり続けた。自動報復システムであるポセイドンやバトルフィッシュ、鉄騎隊は全てコンピューター。時間の概念はなく、善悪の区別なく、己の行いが無駄なのか意味のあることなのかなんてことも考えなくていい。だからポセイドンが7000年間無駄なことをし続けて最終的にたった一台のバギーに壊されてしまったとしても、そこに無念や後悔の感情は介在しない。
それなのに、バギーちゃんの自己犠牲にはどうしてこんなにも感動し、涙を流してしまうのか。バギーちゃんは、善悪の区別なくしずかちゃんのために行動を起こして、そこに同情してほしい欲求も、永遠に存在を覚えていてもらいたい感情もなかったのだと思う。どちらもコンピューターであるポセイドンとバギーちゃんの対比、境遇も踏まえて使う側の人間による善悪の判断とは……みたいな哲学も考えてしまう。バギーちゃんの機械的な性分を描いた上でラスボスがAIなのが見事な配置だなと思った。

もう一つ私の心に残ったセリフ、エルがドラちゃん達の無罪を訴える会議シーンの「そんな受け取り方しかできないんですか…危機に陥っている者を見殺しにできないという人間らしいこころを…」と言うようなセリフが好き。どうしてそんな事言うんだ、と思うような意見が世の中にはいっぱいあって、私はよくそういった言葉に傷ついたり挫けそうになるんだけど、エルのこのセリフはそうした意見に対して同じ地底人として恥ずかしい、とちゃんと自分の言葉で怒ってて、その表現が私になんだか響いた。

▼2020ドラえもん映画祭の時の感想


●のび太の魔界大冒険(1984)

演出助手に原恵一さんの文字が!
科学と魔法の概念が入れ替わった、F先生らしい価値観逆転型の世界の面白さを存分に堪能できる魔界大冒険。序盤に出てくるドラのび石像の不気味さとそのギミックが明かされるストーリー展開は何度見ても鮮やか。いつもとちょっと違う日常から魔界星の大冒険、のび太と美夜子さんの緊張感のあるやりとり、突然のエンディングロゴ。ドラミちゃんが出てきてから一気に畳みかける終盤まで、ぎゅぎゅっと要素が詰め込まれ飽きることなく駆け抜ける。あぁ大長編ドラえもんって面白いなぁ!としみじみと思う一本だ。

魔界星で追い詰められ、美夜子さんが犠牲になってのび太を逃す場面はグッとくる名シーン。のび太に対して叱咤した後に「怒鳴ってごめんなさい」と涙を押し殺して言う猫美夜子さんの勇敢な姿がカッコいい。
そしてメヂューサはほんのちょっとしか出てこないくせに存在感がありすぎる。夢に出てくるグッドホラーデザイン賞。

トゥルーエンド後ののび太達の日常からどんどん町の俯瞰図になり、日本列島を移して最終的に地球を映し出すカットはこのありふれた日常を守り抜いた人達が確実にいたことの描写でもある。日常から始まり、緊張感のある大冒険をして、またいつもの日常へと戻っていく映画ドラえもんのフォーマットの美しさが強調された演出だ。

ちょっと気になる描写、魔王の心臓を貫いた後に魔界星めちゃくちゃ燃えてしまっていたけど、あのマヌケそうな二つ星悪魔も、コックの悪魔も、魔界星の不気味な生き物達もみんな死んでしまったのだろうか。そう思うとせつない………

旧作美夜子さんの声は小山茉美さん。私はミンキーモモ(空モモ)が好きなので、絨毯とかでドヤってる時の声とかモモっぽくてとても可愛い。のび太達よりもずっと「お姉さん」な美夜子さんだが、時折覗かせる少女らしさも魅力的だった。



●のび太の宇宙小戦争(1985)

ご存知、映画「スター・ウォーズ」に影響を受けて作られたこの宇宙小戦争(リトルスターウォーズ)。主題歌の名曲「少年期」と共に大長編ドラえもんのパブリックイメージとして名を残している傑作だ。この作品は私も本当に大好きで何度も観返している。窮地に立たされた中でしずかちゃんの身体が大きくなる場面の息苦しさとアドレナリンは忘れがたい。しずかちゃんの牛乳風呂のシーン(ミルククラウンの美しいこと!)やクジラ艦のジャイアンロデオなども見どころ万歳。個人的にはのび太がメロン食べてる時の演出が大変美味しそうで印象に残っている。

ジャイアンが「のび太〜〜!」と叫ぶ姿がそのままMGMのレオ・ザ・ライオンのパロディになるOPがとても好き。未知との遭遇、スターウォーズ(まんまC3POとR2D2が描かれているがいいのか??)、フラケンシュタイン、スーパーマン、キングコング、ET…いろんな映画のパロディがとても楽しい。この物語は冒頭で映画を作る側の子供達が映画のような世界へと飛び込んで行く作品であるという示唆に富んでいる。

リメイクではカットされたが、チータローションを使うシーンは疾走感がありすぎて(ジャインがのび太を背負って走る部分も含めて)好き。自由同盟の地下組織で、「少年期」の曲をバッグに眠りこけるのび太を優しく見守るドラちゃんとジャイアンは優しくて心温まるシーンだ。耳を纏って眠ってるロコロコも可愛い。ラスト、「来週の日曜日、みんなでパピくんに会いに行こう!」というドラちゃんの言葉からEDでのピリカ星復興を手伝う5人の姿は多幸感いっぱい。

体の大きさも言語も文化もまるで違う相手と同じ目線になるために必要なものが双方の持っている道具(翻訳ゼリーとスモールライト)と言うのがとてもいいなと思ってる。どうしても格差のある部分は道具を使うことで同じ地平に立つことができる。相手と同じ立場と状況に自分自身が飛び込むのは大切なことだ。
ただ、それでものびドラ側とパピくん側とでは認識のズレがある。パピくんにとっては本当の戦争だが、前半ののび太達にとってはどこかの遠い星での出来事なのだ、それはまるで映画の中のように。スモールライトがPCIAに奪われてから本格的に自分ごととして捉えるようになり、もちろん彼らも必死に戦うが、それも裏目に出てのび太達の存在のせいで自由同盟は窮地に立たされる。「戦争ごっこ」が本当に戦争になってしまう緊張感に、それでも後戻りしなかったのはのび太達とパピくんの間に本当の友情があったからだ。

この作品の思いやりと友情について語るならば、しずかちゃんとスネ夫が精一杯勇気を出すシーンを触れないわけにはいかない。PCIAの無人戦闘艇が大量に来てスネ夫は怖気付く、勝てっこないとうずくまる。そんなスネ夫に対してしずかは何も言わずに黙って去る。涙ぐんでラジコン戦車に乗り込み迎撃する準備を始める。
「このまま独裁者に負けちゃうなんてあんまりみじめじゃない。やるだけのこと、やるしかないわ」
というしずかちゃんの名言はこのシーンだ。しずかちゃんの勇気に心打たれ、スネ夫もなけなしの勇気を振り絞って立ち上がる。本当に怖いのは最初の一歩だ。2人とも内心は逃げ出したいほど怖いのだ。ここでスネ夫の感じている恐怖も理不尽も正しい。子供に戦争をさせるこのストーリーそのものだって今では批判されうるものかもしれない。それでも、彼らには今やらなきゃいけない、と感じている事がある。この作品では一貫して「今、自分が出来ることを精一杯やる」という姿勢が貫かれている。(物理的に)小さな子供達が何のために勇気を出すのか、何が出来るのか、本人達でさえその結論をださないまま、それでも自分が出来る限りのことやろうとしている。「元の大きさに戻りたい」「死にたくない」と言ったさまざまな理由を飲み込んで「友達(しずかちゃん)のため」に一歩を踏み出すスネ夫の姿に、私は何度もじーんとしてしまう。友達のために自分は今何ができるのか、それを考えたからスネ夫は足が動いたのだと思う。ドラえもん映画はいつだって友達のために頑張る彼らの姿を映し出してくれる。だから私はドラえもん映画が大好きなのだ。

智将・ドラコルル長官のキャラクターも魅力的だ。夜の公園でのパピくんとドラコルルの会話が超クール。
「しかし人質を離したらお前も一緒に逃げないと言う保証はあるか?」
「ニャい!しかしぼくが一度でもウソをついたことがあるか?」
と言うセリフの応酬は痺れる。この前手のセリフも含め、お互い相手の能力を評価しているからこそのやり取りだ。この2人のエピソードだけでスピンオフ作れそうなぐらいの奥行きを感じさせるシーンだと思う。

個人的に主題歌の「少年期」はパピくんの曲だとも思っている。ほんの10歳で大統領になり大人のような振る舞いに喋り方、常に判断力を求められ「子供らしさ」はすっかりなくなっていただろうパピくんも、のび太やしずかちゃん達といた時には同じ目線で子供のように遊んでいた。彼にとって「大人」のボーダーラインはどこにあったのだろう、と自身で自問自答することもあったんじゃないかな、と少年期を聴くとそんな想像が膨らんでゆく。

旧作パピくんの声優は潘恵子さん。私にとって潘恵子さんと言えばセーラームーンのルナ。猫の体を使って喋るパピくんにはルナの姿を重ねてしまった。

▼2020ドラえもん映画祭の時の感想



●のび太と鉄人兵団(1986)

「ドラえもんの映画で何が1番好き?」と訊かれたら(訊かれたことなんてないですが)一生悩む自信がある。何故ならその日の体調とメンタルと気圧とその他諸々のコンディションで全く違う回答が出来るから。そのため何が1番、と考えると答えが中々出ない。けれど、それでもドラ映画の中で真っ先に思い浮かぶ作品はこの傑作「鉄人兵団」だ。鏡面世界、無人スーパーで物色するシーンのワクワク感、リルルの切なくも愛おしい葛藤と生き様、子供達の後戻り出来ない戦いの緊張感、ラストの喪失感と充足感………思い出すだけで涙が込み上げてくる。私の中で特別感の強い作品。
個人的に好きなシーンは無人のスーパーで買い物をするシーン(みんな好きでしょ)。ドラちゃんがレジ打ちをした時の数字がちゃんと鏡文字になっていて良い。でもぜーんぶ0円だから、最後は0の文字になりとってもわかりやすい!

リルルがしずかちゃんにメカトピアの歴史を語るシーンは印象的。人間の歴史をそっくりなぞる様なメカトピアの歴史は人間とロボットが映し鏡のような関係になっていることに気付かされる。それをひみつ道具を使って鏡面世界というギミックを作り上げることで気付かせるF先生の手腕が光る。「やっぱりほっとけないわ」「時々理屈に合わないことをするのが人間なのよ」と手当を続けるしずかちゃんの魂の高潔さ、その優しさに触れて自分の心が分からなくなるリルルの葛藤もまた、この映画を観る観客の心とリルルの心は映し鏡になり得るのだ。

のび太に「行けば撃つぞ」と言われた時の嬉しそうさ、ここのシーンはリルルの心境の複雑さがよく表現されている。自分で辞めたいのに辞められない、止まる方法は地球人に攻撃されて動けなくなることが手っ取り早い。けれどのび太にはそんなこと出来なくて……リルルはのび太が自分を撃つことなんて出来ないって分かってたのかな。予測できるくらいには地球人の優しさを理解してしまった。
今までの自分の価値観を揺るがすほどの事実は受け入れ難い。リルルにとって鉄人兵団での任務は自分の生きる術であり絶対的な使命だ。それでも自分の感情はそれは「正しくない」と声を上げる。正しいと思っていたものが今では正しくないと感じる。相反する2つの心に引き裂かれそうなリルルの「どうすればいいのか自分でも自分の心が分からない」というセリフは切実で、人間と同じか、もしくはそれ以上に複雑で美しい心だ。彼女が獲得したその複雑な「心」は「他人を思いやるあたたかい心」としてリルル自身の手で種を撒かれ、メカトピアに再生する。この彼女のロボットとしての生き様に胸を打たれ、何度だってこちらも心をゆり動かされるのだ。

ラストシーン、リルルの「涙が出るロボットなんて変よね」しずかちゃんの「ずっと友達よ」はドラえもん史上屈指の名シーンで号泣。ミクロスの「涙が出る装置が欲しい」でもう嗚咽が止まらない。ラストののび太の「そうさ、リルルは天使さ!」でダメ押しされて、もう何回も観てるのに観た直後は感情がぐちゃぐちゃになってしまう。リルルが撒いてくれた「あたたかい思いやりの心」と言う種を、私達は上手に咲かせていられるでしょうか。

一生大切にしたいと思える感情を与えてくれる大好きで特別な「鉄人兵団」、ドラえもん映画にここまでハマらせてくれたかけがえのない作品。ドラえもん大好きで良かった!

▼2020ドラえもん映画祭の時の感想



●のび太と竜の騎士(1987)

宇宙小戦争や鉄人兵団の直後の作品なためか、キャラ同士のドラマ的な部分は薄くやや物足りなく感じる。とは言え、いつもの日常から地底文明への非日常に誘う鮮やかな導線(スネ夫の"ノゼローゼ"の描写が妙に好き)や地底人の野望とそれを阻止するドラちゃん達との対立、手に汗握る彗星被害の描写、そして聖域への真相は無理のないシナリオで最後まで楽しく観れる質の高い作品だ。観返すと割と好きだなと思う。でも唐突な風雲ドラえもん城はちょっとびっくりする。(当時人気だった「風雲!たけし城」のパロディだそう。私はリアルタイムの人間ではないのでピンとこなかった)

そして新恐竜(2020)を観た後だとまた少し見る目が変わってしまう。地上生物のほとんどを絶滅たらしめた彗星被害(新恐竜では隕石)から恐竜を助け出す筋は同じなのだが、新恐竜の方は(私には)ちょっと納得が出来ない。新恐竜で同じギミックにしちゃったからリメイク作られないのかなぁ…。竜の騎士はちゃんと恐竜達を助ける意味を作品内で予め提示し、争いや野望などを終わらせる目的も含んでいたから私には納得感が強いのだ。
また、冒頭ののび太が地上には恐竜がいる!と言う主張を途中で珍しく「諦めた」宣言をするのだが、地底人達も地上支配への野望は彗星被害の実態を知り「諦める」のだ。地上人に対する温情主義っぽくなりはしないか?と思わなくもないが、この「諦める」ことへのポジティブな描き方とオチの付け方が気持ちが良いなと思った。

バンホーさんのことが好きだ。キービジュアルの姿もカッコいい。歴代ゲストキャラと比べると地味かもだが彼もまた魅力的なキャラだと思う。彼の描写で好きなシーンが、初めてのび太達に顔を晒した際「僕からしたら君たちの方が……いや、やめておこう」と言葉を飲み込むところ。飲み込んだ言葉は「君たちの方がサルのような顔で奇妙だ」とかだろうか?のび太らの無邪気な悪意と無礼にムッとしつつ、けれど同じように言い返して相手の気分を害するのは本意ではないと、とても大人な対応をする。私は彼のヒトとしての誠実さが素敵だなと感じた。

ラスト、バンホーさんのありがたい親切でのび太の0点の答案が自宅に届けられるシーンは大変愉快なエンディング。「バンホーより」の文字が味わい深い。しかしどうやって各々の自宅に荷物を郵送したのだろう。バイオリンとかラジコンとかステージ衣装とかもそこそこデカいし、地上の日本の郵便局の窓口まで行って受け付けてもらったんだろうか。もしかしてバンホーさんが地上人に変装して!?!?通貨も地底でのお金とは違うだろうし、両替どうしたんだろう………など、色々妄想も広がってしまう。


●のび太のパラレル西遊記(1988)

ドラちゃんの迷言「危険が危ない!」でお馴染みの作品。この頃から原画に渡辺歩さんがいらっしゃる。F先生がご存命の中唯一のアニメオリジナル脚本で、脚本担当したもとひら了さんは作中キャラとしても大活躍!(誇大表現)

ヒーローマシン、うっかりミスした時の損害がデカすぎてウケる。TPもビックリの歴史改変っぷり。のび太達の日常が怪奇に侵食されている様子は本作が初だが、おかげで630年の唐、三蔵法師の時代に再び行くための導線もスムーズに。芝山監督独特の、ちょっと子供を怖がらせすぎる(笑)不気味な演出が大変効いていた。ママの声だけで何であんなに怖く感じるんだろう。

本作はジャイアンが妙に冴えている。ツッコミのひとつひとつが的確だ。何度ものび太が悟空なことに不満を言っていたのに、最後の最後で「お前は孫悟空だ!」って言ってあげる時の気前の良さ。この時ののび太の嬉しそうさも微笑ましい。本作ゲストキャラのリンレイ周りのドラマはややあっさりと描かれているが、西遊記の世界観を舞台にARゲーミングっぽい楽しさは上手く表現されていたと思う。

好きなシーンは序盤の「のび太くん喜ぶだろうなぁ〜」とヒーローマシンで1人遊ぶドラちゃん。健気で可愛い。のび太がそれどころじゃなくて相手にされなかった時の残念そうな様子も愛らしいこと。その後のび太と喧嘩したり、怒りながらしぶしぶ皆にヒーローマシンを貸してあげたり(本当はのび太と遊びたかっただろうに!)とドラちゃんのこの辺の感情の動き方を追っていると妙に人間味を感じてしまう。ちなみに本作のスネ夫の私服は蝶ネクタイ、いつもよりちょっとオシャレさんだ。

▼2020ドラえもん映画祭の時の感想



●のび太の日本誕生(1989)

記念すべき10作目の作品にして初の100分超えの大作。リメイクの新・日本誕生とセットで見るたびにしみじみ面白いなぁ好きだなぁと感じて、私の中ではスルメ的な名作。「ラーメンのおつゆ」という単語は状況も相まって忘れられない単語である。「畑のレストラン」や「ほんやくコンニャクお味噌味」(リメイクは醤油味)のひみつ道具も印象深い。
畑のレストランでの食事シーンは1回目も2回目(ハンバーガーランチ)もめちゃくちゃほのぼの度が高くて好きなシーン。大根部分にコーラを飲む穴がついてるアイデアが面白い。ククルはこんにゃくの味噌味の方が好きって言ってるのもなんかいいよね。

この「日本誕生」の魅力はなんと言っても家出の導入から、誰からも支配されない土地で一から楽園を作り出す楽しさだ。日常からの解放と、そこから食べ物や住むところを自分達で作るワクワクの描き方が秀逸。建築大臣、環境大臣、農林水産大臣、ペット大臣、ドラちゃんに進捗確認されながら作り出されるパラダイスは自分達もこんな暮らししてみたい!と思わせる描写がたくさん散りばめられている。また、ここでは作り出すことの大変さにあまり触れずにいることで、後半のヒカリ族の人たちが未来の道具を使わずに移住作業を行なっているシーンが光ってくる。「住み心地の良い場所を作る楽しさ」からその楽しさはどこから来たのかという「歴史」や「ルーツ」に自然と気持ちが行くように物語の力によって誘導されており、作中で言及される「陸続きの大陸」や「遠い先祖を辿ればみんな親戚」と言った要素を拾いながら全て見終わった後に振り返る「日本誕生」というタイトルで、壮大なスケールの誕生秘話だったことに気付かされる。今作を観る度に強い物語力と導線の美しさに惚れ惚れする、とても質の高い作品だと思う。

遭難シーンでのび太の夢の中のドラちゃんだらけの裁判シーンは原作にはないオリジナル。夢裁判、アニメとか見てるとこういう自分で自分を断罪するようなシーンってよく見かけるけど何か元ネタあったりするんだろうか。脈絡のない幻覚から突如謎のマンモス(TP)が姿を表すシーンは子供の頃からとても印象的だった。夢から覚めた時もラーメンの丼が残ってるのがじわじわポイント。

今作のククルの声は松岡洋子さん。私はゲゲゲの鬼太郎第4期がとっっっても大好きなので、松岡洋子さんの出す少年の声は実家のような安心感がある。ペガ達が見つからず落ち込むのび太に、ククルが狼のローをことを話すシーンがお気に入りなのだけど、その時の語りが優しくて好き。そしてこの話見る度に「でもローって今ククルと一緒にいないんだよね…」と察してしまい切なくなる。

▼2020ドラえもん映画祭の時の感想



●のび太とアニマル惑星(1990)

珍しく怯えるジャイアンの姿が印象的な本作。エコロジストチックなメッセージがやや鼻につく気もするが、スリリングな話の展開、ズートピア的な動物達が文明を築いて暮らしている世界の描写、神話に秘められたミステリー要素(大ごもりの描写がとても好き)など、エンタメ作品として充分楽しめる要素がいっぱい。
この後の雲の王国でも感じるけれど、F先生が明確にメッセージ性を発している作品は押し付けがましさよりも、先生本人が悩んだり、どうしたらより良い世界になるのかを想像を凝らして戦っているように(今の私には)感じる。あくまで個人の感想ですが…「みどりの守り神」とかもそうだと思うけど、人間に対する失望と希望を織り交ぜて、「それでも」を描いた作品なので鑑賞後の後味は爽やかだ。チッポのわんぱくなキャラも魅力的で、神話による世界観の構築もファンタジーの中にあるミステリアスな雰囲気も絶妙な塩梅で好きな作品。いつもより弱気なジャイアンが、チッポの危険には勇敢な態度でロケットに乗り込んだシーンもかっこよくて熱かった。その直前ののび太の「笑ったりしてごめんって伝えて」というセリフもなんだか印象的。

のび太の単独潜入パートはスリルもあり作品全体の緩急になってて面白いシーン。頼れるモノが「運」だけってのがまた奇妙よね。「ツキの月」はひみつ道具の名前よりも材料名「ゴツゴーシュンギク」の方が有名な気がする珍しい道具。
決戦前ののび太とチッポくんの会話も短いけれど良いシーン。無邪気なチッポくんだけど、ちゃんと理解して話してくれる性格と、すこし歯切れ悪くなってしまうのび太。2人のやり取りに自分の立場はどちらだ?と問いかけられるような思いだった。

さりげないけど印象的なシーンは「いつもタヌキタヌキと失礼な!」とドラちゃんが怒った後に本物のタヌキさんが至極真っ当に不思議そうにして「タヌキの何が悪いんだ」と尋ねるところ。アニマル惑星だからこそのシーンだけど、タヌキさんのこの指摘は大事だなぁと感じた。

▼2020ドラえもん映画祭の時の感想



●のび太のドラビアンナイト(1991)

のび太のママがエキセントリックすぎる。もしもボックスを捨てた時も大概だけど、自分の子供が大事に何度も読み返していた絵本を燃やすなんて…何も燃やす事ないじゃんか…と出だしから胃が痛い。前半しずかちゃんが奴隷として扱われてるシーンも妙にハラハラし、アラビアンナイトの砂漠の描写は過酷さが伝わってきてなんだかヒリヒリしっぱなしだっため、シンドバッドが登場してからの安堵感もひとしお。

冒頭カッコよく描かれたシンドバッドが隠居してしまったおじいさんとして描かれていたのが本作の面白いところ。相手の話を聞かないほどコレクション自慢をしてくるのは、裏を返せば今まで周りに話し相手いなかったから。アブジル達とのラストバトル前にのび太からあんなに憧れたシンドバッドがこんなに情けないなんてガッカリだよ的な事を言われ、再起奮闘する姿は少し込み上げてくるものがあった。年齢を重ねても、新たな誰かとの出会いがあれば人は変われるものだなぁと思う。そして、絵本という創作として描かれたものが、その物語に感動した人によって現実の人物にも影響してゆくと言う構図もじんわりと胸に来る。すぐ拗ねてしまうガイドのミクジンやとぼけたようなランプの魔神などのマスコット達も大変可愛らしかった。

エンディングでシンドバッドがのび太から借りただろう絵本(ママに燃やされたはずだが、新しく買ってもらったんだろうか)を読んでる姿には多幸感が訪れる。主題歌の「夢のゆくえ」もとても好きだ。初秋の夕方に吹く風のようで程よい湿気と爽やかさのあるメロディ。「祈る言葉 たったひとつ あなたと2人 ふしぎの旅 終わらせないで」という歌詞は、ドラえもん映画に対する私のクソデカ感情を言語化されたようで、思わず泣けてしまう。

ちなみに本作の初見は割と最近で、アマプラ配信で観たのけど、その前日に緑の巨人伝(初見)を観ており、緑と違って「何が目的で何が起こってるのか」がちゃんと分かると言う当たり前のことに感動してしまった。緑の巨人伝は観た後の爪跡がすんごい。



●のび太と雲の王国(1992)

「雲戻しガス」の利用意図を説明したシーンが有名で、戦争映画として見ても注目度の高い本作。F先生の創作者としての苦悩をも感じ取れるようで、苦しみながらも冒険活劇として紡がれた物語は私にとっては観る時少し「覚悟」がいる。どうしても苦しくなっちゃうので。
初見時は説教臭さと若干の思想の押し付けがましさを感じたけれど、今見ると天上人の気持ちも、のび太達側の気持ちにも共感してしまうので、今の私はこの物語を「説教臭い」という言葉で片付けてしまうことは出来ない。観た後には「お前はどっちの立場だ?」「自分はどうするの?」と問い続けられてるような気分になり、他のドラ映画よりも観賞後は重く受け止めてしまいがち。大洪水のシーンも、天上界のエネルギー州崩壊のシーンも、例えアニメでも胸が痛んでしまう。アニメで描かれていることが現実と接続してしまっているので…。

それでも人類にほんの少し希望を見出せるのは、のび太達が自分たちの過去の行いによって未来へのチャンスを掴んでいるからだ。ドンジャラ村のホイくんやキー坊、モアやドードーと言ったキャラの証言はのび太とドラえもんによる過去の積み重ねがあったからだ。人類の歴史によって追い詰められた因縁は、個人の善行によって、未来の人類を助ける形になる。(実際、過去に仕掛けてた「ごはんだよー」のおかげで王国を見つけられたっていう伏線も生きてる…意図してなのかはわからないけど)未来は過去の積み重ねによってのみ紡がれるのだ。この構図に無性に泣けてしまうんだよなぁ私は。「自分が出来ることを出来る範囲でするしかない」と思える本作の後味は、雨上がりの夕方、雲間から覗く日差しのように少しだけ前向きになれる。

主題歌「雲がゆくのは」も作中で聴く時とエンディングで聴く時とでは違ったニュアンスになるも感慨深い。「おーい雲よ 誰かのためになるなら 冷たい雨に濡れてもいい」という詞に、一心不乱にガスタンクに突っ込んでいったドラちゃんの姿を重ねずにはいられない。本作のドラちゃんは自己犠牲的な部分も描かれていて、私の中ではこの主題歌はドラちゃんの曲だなぁと思っている。

前半の箱庭づくりの導入は毎度のことながらワクワクさせるのが本当にお上手。「ありもしない天国を探すよりも、自分達で作っちゃおうよ」この導入の素晴らしさと言ったらもう。株式の説明もめちゃくちゃ好きだ。一株100円です!株式王国!?
ミュージカル「天国の誕生」って聞いてミュージカル観れるんですか!?って思ったのにミュージカルじゃなかった。騙された…

ドラちゃんがどら焼き食べてる時の「いい案」と「いい餡」のダジャレも地味に好き。なんだか本作はセリフのキレが良いなぁ。

▼2020ドラえもん映画祭の時の感想



●のび太とブリキの迷宮(1993)

この作品は個人的に「すげー好き」な部分と「すげームカつく」な部分が同居した稀な作品。でも最後の多幸感いっぱいのEDを観ているとやっぱり好きだなぁ〜と感じて見返すことも多い。ドラえもんとのび太の関係性を改めて語られると、そりゃぁやっぱり好きなんだよね。

冒頭の寝ぼけ眼のパパとテレビの砂嵐のシーンが普段のドラえもんとは違った雰囲気。90年代アニメらしい怪しい演出が興味を引く。しかし唐突のドラえもんコールで急に現実(?)に引き戻される。日本誕生もだし、毎回この唐突さに笑っちゃうんだよね。

ドラちゃんの拷問→スクラップとして捨てられる→のび太の夢を見るシーンの絶望感は今までにない迫真さ。「のび太くん、もう一目会ってからボク壊れたかったよ…」のモノローグは涙なしでは見られない。ドラちゃんのいない寂しさを背負うのび太の描写も胸を打つ。いつになくのびドラのエモーショナルな部分を描かれた後のスペアポケット逆転劇は実に爽快だ。道具の説明をしようとして「説明はいいから早く!」となるやり取りは普段ならドラちゃんとのび太だが、この時はのび太が説明する側。いつも聞いてないくせに、空で言えるくらいにはドラちゃんの道具を把握しているのび太の様子に心が熱くなる。大好きなシーンだ。

唐突に登場したサンタさんはどう解釈すれば良いのか。人々から忘れられたおもちゃ達が逆に人のためにロボットを駆逐する作戦のために……??よくわからないけど、このシュールさは嫌いではない。

ラスト、チャモチャ星のロボット達はコンピューターウイルスで駆逐されてしまう。のび太とドラえもんの人間とロボットの熱い友情を描かれた後にこの結末は私はやや納得しがたい。元々人間の幸せのために作られたロボット達にいったい何の罪があるのか。チャモチャ星のロボット達の中にもそれぞれ個性があり、ドラちゃんのように生きているようなロボット達も多くいたようにも見える。そんなロボット達と友情を育むことを放棄して、原始時代からやり直そうなどと、あまりにも無責任で自分達の罪に自覚がなさすぎると思うんだ。サピオくんのパパのこと正直嫌いだ。ナポギストラーだって、最初はきっと人間がどうやったら楽しく幸せに暮らせるのかを考えて発明してたはずだよ…そんなロボットによる献身を先に裏切ったのは人間自身の怠惰だったんじゃないのか、人間側は己の罪を自覚して生きろ。と、ついロボット達に同情してしまった。ドラちゃんにあんな仕打ちをしたのはロボット達の方なのにね…

結末はチャモチャ星人に対してかなりモヤモヤしてしまうが、エンディング映像の多幸感はドラ映画全作品の中でもトップクラスだと思っている。冒頭で家族旅行に行きたがっていたのび太の願望がここで叶えられるのだ。それぞれ交代で写真を撮っているんだろうなぁ、と分かる演出や、のび太とドラちゃんの2人の様子をこっそり撮っているだろうパパとママの心境とか、のび太がへばってるピンショットはドラちゃんが撮ったのかなとか、彼らの心の様子が充分に伝わる素敵な演出。
そしてそんな楽しい思い出を背景に、自分の足で走ることが出来るようになったサピオくん。人に頼らなくても全力で走り、自分の足で叶えたかったことは朝日を友達と見ることだった。「人に頼らない」方法を知ることができた彼の成長だけが、チャモチャ星の未来を少しだけ明るくする。
主題歌の爽やかさもあり、「終わり良ければ全てよし」と思える素晴らしいエンディングだ。


▼2020ドラえもん映画祭の時の感想



●のび太と夢幻三剣士(1994)

うーん変な話だぁ。
「夢と現実の世界が曖昧になる危うさや面白さ」がテーマのアニメーション作品は押井守監督のうる星2ビューティフルドリーマーや今敏監督のパプリカといった名作群の甘美な味を知ってしまうと、ただ夢と現実を行き来するだけの本作は物足りなく感じてしまう。最後の裏山に学校がある衝撃的なオチは個人的には結構好きなのだが、そこに至るまでの夢物語に夢中になれなかったため、私には「変な話だったなぁ…」という感想で終わってしまった。挿入歌の「夢の人」はめちゃくちゃにブチ上がる名曲だが、3度目がかかる頃には飽きてしまうのももったいない。「夢」がテーマならインセプションみたいに「胡蝶の夢」風の多層にしても面白くなりそうだった。それこそドラえもんには「うつつまくら」なんて道具もあったしね。

夢の中ののび太達がどんどん元ののび太達の性格から乖離していき、自分達が知っている彼らではなくなってしまう怖さが、この夢の中にどうしても没入できない要因になってしまっていた(この辺はF先生が執筆中にキャラが勝手に動き出して想定してた終わり方とは変わったらしいとかなんとか)。私は前述の作品群がとても好きなので、ドラえもんやのび太が不可解で不条理な夢の中を冒険するとしたらどんなことになるのだろうと期待していた分、ちょっと思ってたのと違っていたので勝手にガッカリしてしまったんだと思う。作品の良し悪しではなく私の中の問題だ。

あと最初に出てきた、のび太に知恵の実を与えていたトリホーさん(その後も意味ありげに度々出てくる)はいったい何者だったのだろう。めちゃくちゃ不気味でどんな種明かしが来るのかと楽しみにしていたら何にもなくて戸惑ってしまった。不条理、ナンセンス、意味不明、それもまた夢の世界の特徴である。

好きなシーンと言うか、好きな描写は「魔法使いの弟子」みたいになってたドラモンの箒。しかしこの箒は魔界大冒険のOPでもちょっと見れる。あとドラゴンの汗入り温泉を「へぇ竜さんのだし汁」っていうドラモンの表現力。秀逸すぎる。



●のび太の創生日記(1995)

あまり話題にならず、退屈でオチも雑と言われがちの本作…なんだけど、私は結構好きだ。のび太とドラちゃんが気づかないところで進化退化放射線源を虫が浴びるシーンでもうゾクゾク。映画「ザ・フライ」で転送ポッドの中に1匹のハエが紛れ込んでしまった時のような、あの恐ろしさに近い。
その後の虫人間とのび先祖の交流も不思議と私は興味を持って観れた。途中のTPの出番はよく分からないままだし、ドキドキハラハラの冒険はしないし…で大長編というにはなんだかスケールが落ちる感覚はあるけど、私にとってそれはそこまで重要じゃないのかも。もちろん大冒険をする大長編ドラが大好きなのだけど…そうじゃないドラえもんも好きなのだ。パラレルワールドののび太社長達の大人っぽい人間ドラマも味わい深い。F先生のSF短編のテイストに近くて。

特筆したいのはエンディングの提出課題。よく見るととっても楽しい。1ページずつ止めて読んでしまう(これを読むとジャイアン何もしてなくて笑う)。途中、「戦争の絵はむずかしいので描きません」のしずかちゃんのコメントにヌグッ…となる。人類は今も戦争をしているのに………
結局、戦争をしないための平和的な解決は時間回帰と双方の決別しかない、という結論が私にはどこか切ない。現実にはドラえもんはいない。その解決方法は選べない。どうやったら戦わなくて済むかみんなで話し合わなくちゃいけない。

じんわりと後に残るので、個人的には高評価。でもなんで私の中で気に入ってるのか自分でもよくわからない。世間の評価ではそんなに…な作品だが、やはりF先生の「物語を語る」という能力はすごいなぁと感じる。元ネタはエドモンド・ハミルトンの「フェッセンデンの宇宙」らしく、F先生は度々このテーマをSF短編でも描かれているが、「世界を神の視点で眺める」を小学生達が行うという発想がまず面白いのだ。この世界がもし誰かによって作られた世界で、私たちはその誰かによって生きるも死ぬも簡単に操作されてると考えると、今まで生きてきた倫理観や価値観がまるで通用しないその恐ろしさにゾクゾクワクワクしちゃうのよ。「神の気まぐれ」が本当にきまぐれでしかないのが面白いのだ。

決別が戦争の解決方法だった物語の主題歌が「さよならにさよなら」で、全てのさよならにさよならをすると宣言する歌詞なのがすごい皮肉というか、一回りして祈りにすらなっているのがまた素晴らしい。
「リンゴの皮をむくように過ぎゆく時は渦巻く形」という比喩も好き。「遠い昔からに別れた人も ひと回りすればすぐ側にいる」「さよならさえも繋がっている」、聴けば聴くほど今の私の心に刺さる詞。人間のエゴに未来を託すなら決別だっていつかは再会となるだろう。人間愛だなぁ。



●のび太と銀河超特急(1996)

この作品はとにかく楽しくて大好き。観終わった後は不思議とニッコリしちゃうので私の中でリピート率が高い作品だ。
作品の要所要所で流れるメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」はとても美しく華やか。特に裏山から天の川鉄道に初めて足を踏み入れるシーンで流れる序曲はのび太達の旅情を盛大に盛り上げてくれる。リッチなムードが漂う大好きなシーンだ。一方、エンディング「私のなかの銀河」をバッグに地球へ帰宅する様子は旅の終わりの充足感とほのかな寂しさを演出している。この作品全体における「旅情」感がお気に入り。

ゲストの可愛らしい車掌さんやただのジャーナリストの割に頼りがいのあるボームさん、いじわるトリオのアストンらなど、地味なのに癖のあるキャラクター達との出会いも楽しい。アストンの「むかしもんじゃねぇの!」という罵倒は一周回って新鮮だ。あの3人組の悪口センスは自分も見習いたい。(そうか?)
好きなシーンを一つピックアップするなら西部の星でのび太が射撃をする前にアストン達がヤジを飛ばす際、それを涼しい顔して聞いてるドラちゃんのご様子。「のび太くんの射撃の腕を見たらびっくりするぞ」とでも言わんばかりの余裕に、これが腕組み後方彼氏面ってやつか…としみじみした。1つの缶に6発命中させるのび太の凄腕シーンもインパクト大。

もう一つ印象的なシーンは冒頭スネ夫の「どうして2人とも黙ってるの!」「あっち行けば良かったって思ってるんでしょ!」と言って卑屈になるシーン。彼の気持ちに痛いほど共感してしまう。数秒後に仲直りするけど、スネ夫の感じた完璧な敗北の味を私は忘れない。本作のスネ夫はヤドリに取り憑かれたり、ジャイアンのせいで恐竜に追い回されたりと踏んだり蹴ったりでちょっと可哀想。

てんコミ版ドラえもん20巻「天の川鉄道の夜」を先に読んでると、廃線になった天の川鉄道が未来の鉄オタ達の熱い要望によって復活したのかな、とか、ハテノハテノ星雲にドリーマーズランドを作ったことで需要が高まったのかな、とか、それってもしかしてニューヨーク、コニーアイランドのルナパークを模してます?とか、確かに21世紀の今も(ミステリートレインではないけど)クルーズトレインの需要って結構あるし歴史は繰り返されてるなぁとか、本編外の部分に妄想を巡らすのも楽しい作品だ。

▼2020ドラえもん映画祭の時の感想



●のび太とねじ巻き都市冒険記(1997)

この作品を見返す時、制作途中でF先生が亡くなられたという情報と切り離して観ることはできない。
作中で「種まくもの」と名乗る存在がのび太の前に現れるが、端的に言うと「神様」の概念そのものが出てきたのだ。F先生のSF短編やこれまでの大長編ドラにも神様的な概念が出てくる作品がいくつかある。それらを見ていて強く感じるのは、ドラえもんのことが大好きな私(たち)にとって、神様とはF先生の姿をしているのである。F先生が神様そのもの。作中の種まくものは「自分たちで問題を解決なさい」と言う。神様は今目の前の問題に困ってる私を直接助けてはくれない。けれど、問題に立ち向かうための勇気とか、考える力とか、思いやりの心とか、空想を現実にする想像力とか、そう言ったものの希望の種を漫画によって私の中に絶えず撒いてくれたのは、他ならぬ神様(F先生)であるのだ。「自分達でなんとかしなさい」というのは他ならぬF先生本人からのメッセージのように感じてしまう。撒いてくれた種の花を咲かせ実をつくるのはF先生の漫画を読んできた私(たち)自身だ。

本当に遺作にするつもりだったかどうかはご本人にしかわかり得ないし、本作の結末すら先生の意図通りになっていたかも分からない。もしかしたら全然違う結末だったかもしれない。ただ、F先生が亡くなった後もドラえもんが終わることなく続いているのは、神様の手を借りなくても続けていこうとした人たち(むぎ先生とか芝山監督とか………その後のわさドラメンバーとか、今も続けようとする人たち)が頑張っているからなのだ、とのび太達の手を離れたねじ巻き都市を見て今の現状を重ねて観てしまう。エンドクレジットの「漫画協力:萩原伸一」(現在のペンネームはむぎわらしんたろう)の文字も泣ける。むぎ先生の描いた「ドラえもん物語」とセットで観て(読んで)しんみりしてしまう作品。

好きなシーンはティラちゃんとの再会シーン。途中まで忘れていたとは言えジャイアンがティラちゃんのこと大切にしていて、大好きなおもちゃだったんだろうなと感じられたのが良かった。私もぬいぐるみとか好きでよく買っちゃうタイプで、トイストーリーみたいに自分のおもちゃやぬいぐるみが「本当に生きて」いたらいいのになぁと思うことがあるので「生命のねじ」は魅力的なひみつ道具だ。けれどもティラちゃんや、のび太のパカポコ、しずかちゃんのぬいぐるみ達とはお別れとなってしまうので、「神様からの卒業」に重ねて「おもちゃからの卒業」的な分脈も感じ取ってしまう。そんな中で話の都合とはいえ熊虎鬼五郎のせいで自分の大切なラジコンが壊されたスネ夫の心境を想うと切ない。

また、前作の銀河超特急のアイテム、ドリーマーズランドでもらったフワフワ銃が出てきたのも印象に残った。他作品との明確な繋がりを見せるのは劇場版ドラにしては珍しい描写だった。

▼むぎわらしんたろう先生の「ドラえもん物語 ~藤子・F・不二雄先生の背中~」



●のび太の南海大冒険(1998)

F先生が亡くなった後、その1作目となる本作。アトラクション感の強い作品。冒険活劇としての絵面は派手で楽しいけれど、物語に驚きはない。吉川ひなのによる脱力感のあるOPとEDは一周回ってクセになってくる。直近の作品なら私は宇宙漂流記の方が好きかも。2018年の宝島もいまいちハマれなかった私はもしかしたら海賊のモチーフ自体にそんなにトキメキがないのかもしれない。(出﨑監督の宝島はあんなに好きなくせに!)(出﨑版宝島はキャラがいいんだよキャラが!)

合成動物達のデザインが妙に不気味で怖いのは興味深いが、海×宝島×キマイラの組み合わせがあまり上手くはまっていないように感じた。後半はこれ海賊モチーフである必要あるんかな…みたいな気持ちを持ち続けてしまう。カメレオンのシーンの演出とかなかなか不気味で好きなんだけどな。ルフィンはTPのくせに有能すぎて逆にちょっと怖い。

ジャイアンがのび太の手を離してしまったことをずっと後悔して、そこからベティを助ける時に力を発揮するのが、小さなドラマ作りに色を添えていて良かった。のび太を手放した時のジャイアンの形相はとても印象的。だけれど、ストーリー全体にメリハリをつけるほどまでには至らず、個人的には少し消化不良である。ベティとジャイアンの絡みはなかなか新鮮で、珍しく歌を褒められて嬉しそうだったのは微笑ましかった。最後のドラちゃんの「歴史的事件になるからそれはダメ」は迷言。


●のび太の宇宙漂流記(1999)

メカニックデザイナーとして宮武 一貴氏とスタジオぬえが参加した本作。銀河漂流船団の母船デザインはかなり壮大で今までの大長編ドラにない存在感を放つ。鉄の蜘蛛がいる星や幻惑の星、宇宙船の墓場のビジュアル、孤立軍との対立、スペクタクルな展開の中に、ゲストキャラであるリアンやフレイヤとのヒューマンドラマも描かれておりドラえもんらしいスペースオペラとして仕上がっている。ありきたりな物語とは言え、活劇らしい活劇で私にとっては楽しい作品だ。EDの芝山監督による過去作のイラストはどれも最高!

色んな星に不時着してわちゃわちゃする様子はモジャ公のテイストを思い出してF先生のファンとしても楽しい。その中でも特筆すべきは幻惑の星。自分の欲求の幻影を見せてくる精神攻撃の恐ろしさもさることながら、木のモンスターの造形が怖すぎる。メヂューサに続くグッドホラーデザイン賞。
アンゴルモアのオチは、それでええんか?と思うあっけなさだが、まぁ…いっか…思えばいつものドラえもんってそういうノリだし…という謎の納得感。

「我々はいかなる場合も力づくで侵略はしない」という教えは2023年現在においては逆に真に迫る教えである。力づくでないからと言って、モアのように人の精神に干渉し操ることももちろんダメだ。平和的解決のためにどうする必要があるのか。他のドラ作品含め観ていても思うのは、やっぱり他人のゴタゴタにわざわざ首突っ込むおせっかいと思いやりの心(この2つは紙一重だね)が必要不可欠なんじゃないかなぁと思ったりもする。

ちなみに本作序盤のドラえもんコールはスネ夫とジャイアン。珍しい。


●のび太の太陽王伝説(2000)

ドラえもん30周年記念。マーク・トウェインの「王子とこじき」をベースにした前半の(のび太と入れ替わった)ティオとドラちゃんのドタバタ日常部分がとっても楽しい。一方、ティオに入れ替わったのび太サイドの子供達やククとのあやとりのシーンは幸福感に満ちていてとても和む。
入れ替わりものの王道を楽しく丁寧に描いた前半部分から、のび太との交流を通じて成長してゆくティオの変化を描いた後半も熱い。ティオはのび太の顔で声は緒方恵美さんと言うだけでかなりキャラが立っているのだけど、本当の友達ができることで変化してゆく内面部分をしっかりと描写されているので、とても魅力的なキャラクターだ。レディナとの決戦でサッカー風にパスする場面は胸が熱くなった。
また、ジャイアンとイシュマル先生との関係性や、スネ夫のラジコン技術の活躍など、いつものメンツの見せ場も光っていて個人的には一本の映画として大満足の作品。マヤ文明をモデルとしたマヤナ国の異国情緒あふれる描写も楽しく、ポポルはいるだけで可愛い。ラストの「私も王子様をやってみたいわ」「君たちはいいねぇ、じゃんけんで王子様になれるんだもん」といったセリフも多幸感いっぱい。EDの最後のイラストまでしっかりたっぷりと楽しめた。

サカディのシーンの「ぼくが味方したって、大した戦力にはならないと思うけど、1+1は1よりも少なくなるとはぼく思わない!だって1人じゃないんだもん」と言うのび太のセリフが好きだ。ティオとの交流を通じて、のび太っていい奴なんだよなぁ、とキャラクターの魅力をしみじみと再確認した。

後期の大山ドラ作品群はマンネリだと言われて世間の評価が低い印象があるけれど、本作に関しては私はとても好き。ちなみに、本編とは関係ないOP映像の獣化(ヒョウ🐆化?)されているいつものメンバーがむやみやたらに可愛い。ヒョウ柄しずかちゃんにめちゃくちゃフェチを感じる。


●のび太と翼の勇者たち(2001)

つまんなくはないが、すごく面白いわけでもなく…個人的に好ましくないと思うシナリオ描写も多い。しかしイカロスさんのかっこよさはガチ。ミルクのデザインはデイジーすぎる、もう少し工夫して欲しいところ。

イカロスレースのシーンはカメラワークが凝っていて見応え抜群。本作の見どころの一つだ。しかしグースケ失格の理由はかなりの差別で、グースケ以外にも自分の翼で飛んでいない鳥人達の描写もあったはずだが、途中で退場していった彼らにはグースケの優勝は希望だったのではないだろうか。自分の翼で飛べないなりに知恵と勇気を持って優勝したグースケはその能力を誇るべきだろう。そしてその能力は画面の向こう側の誰かにも勇気を与えたはずなのだ。話の都合とはいえ、そこをおざなりに扱った脚本は、私にはモヤモヤするものがあった。あと一緒に優勝してたやつはグースケの必死な形相を目の当たりにしてこの結果に対してなんか言うことはないのだろうか…良い描写をしていたのに拾われることはなく残念。

この一連の流れはグースケが自分のトラウマを克服し、のび太を助けるために自分の翼で羽ばたくと言う感動シーンを描くためなのだけれど、私はそこもモヤモヤしてしまって…グースケはPTSDで、本来なら正しい治療とか時間をかけてトラウマを溶かしていく必要があったんじゃないかなぁと思うのに、イカロスレースでのあの仕打ち。そして勇気と友情の力によって羽ばたけたと思わせる展開。のび太を助けるため、という彼の行動は尊いものだが「感動する画」を描きたいが為に事実を見えなくしているような気がして、これに関しては私はあまり乗れなかった。

トリノ博士、パラレルワールドとは言えお前が不時着したその星だって元々地球としての歴史が生まれるはずの場所だったんじゃないのか?発想が飛躍していて、あとゲスト声優も独特すぎて「おおSFだ!」という高揚にはならないんだよな。私にとっては色々と痒いところに手が届かない作品だった。

スネ夫とあのひな鳥はただ仲良くなってただ可愛かっただけで物語にはなんの意味もなかったけれど、可愛かったから良いと思う。そう言うのは嫌いじゃない。



●のび太とロボット王国(2002)

そんなに悪くもないけど、そんなに良くもない……そんな感じ。ドラちゃんと戦ったあの兵士ロボットが後々手を貸してくれたりするのかと思ったらその後登場すらしなかった。ロボット同士の友情が生まれそうだったのに残念。主題にしようとしたものは良かったけど、色々ともったいない印象がある。

でものび太が「ロボットは道具じゃない!ドラえもんは大事な友だちだ!」って言うだけでうるうるしちゃうお安い涙腺を私は持っているので、そんなに悪い作品でもないよ…と言う気持ちにもなっちゃう。あと最後ママがドラちゃんに向かって言うセリフも良いよね。

悪くはないと思うが、ストーリーとゲストキャラにさほど魅力を感じなかったので印象に残らなかった。22年に日本未来科学館の「きみとロボット 人間ってなんだ?」展を見た今の私はロボットに対する解像度が高いので、もっとロボットそのものの存在意義にフォーカスした物語がほしい……………。でもここを凝りすぎると鉄腕アトムっぽくなってしまうのかも。

ドラえもん映画には鉄人兵団という名作があるのでそこに真っ向から勝負するロボットモノを作るのも難しい気持ちも分からなくもない。でも無責任な観客としてはロボットであるドラえもんの存在と、ロボットと人の友情に対して本気で考えて戦った作品が欲しい、という欲求がずっとある。
ただ、鉄人兵団をやっておいてブリキの迷宮のあのオチがあるのは納得いかないんだよなぁ私は。



●のび太とふしぎ風使い(2003)

「台風のフー子」を原案としたオリジナル作品。うーんこちらもそんなに悪くはないんだが…という印象。
何故スネ夫があんなにフー子に執着してたかも分かんないし、本編中半分以上操られているからそこの掘り下げもないし、せっかくフューチャーされた割になんだかスネ夫が可哀想。フー子は可愛いと思うし、自己犠牲的な頑張りもいじらしいし、最後のぬいぐるみの姿のフー子にはしんみりとするけれど、そこに至るまでに夢中になれなかったのでカタルシスを感じずらい………なんだかキャラのセリフや物語が右から左へ風のように流れていく、私にとってはそんな映画だった(風使いだけに)。日本誕生を焼き直したような、ふしぎ生物に助けられるのび太(とフー子)のシーンとかは悪くないとは思うんだけどね。風船たぬきのデザインはすごく可愛い。

みんなが衣装に着替えて元々着てた服を洗濯するシーン、1人だけパンツまで洗っているやつがいるけどジャイアンのだよね?ジャイアン今ノーパンなのか!?と変なとこ気になった。後半のジャイアンはなんだか頼もしくて(むしろ不自然なくらいだが)そこはカッコよかった。でも「まっかされよう」って言ってくれなくてちょっぴり寂しい。

今作と次回作は渡辺歩氏が総作画監督を担当。けれん味があり旧ドラ末期特有のオーバーさがあるけれど、かなり洗練されていて私はとても好き。この時期渡辺監督は同時上映のPAPAPA・ザ・ムービーの監督もやってらして、どんなスケジュールになってたんだと想像すると戦々恐々とする。原画や作画監督の名前に金子志津枝さんや丸山宏一さん、大杉宜弘さん、大城勝さんなど、この後のわさドラ作品群を支える人たちがクレジットされていてそれ見るだけでも楽しい。



●のび太のワンニャン時空伝(2004)

「のら犬『イチ』の国」を原案にした、大山ドラのキャスト&芝山監督最後の作品。一つの時代の終わりと始まりを飾るのにふさわしい美しい物語。あーん泣けるよ〜。超大好きな作品だ。主題歌の「YUME日和」も爽やかですごく好き。渡辺歩氏の作画もカロリー高くて楽しい。ゲストキャラの1匹(ダグ)が関智一さんなので、スネ夫と会話してるシーンでうふふ、となる。

3億年前に高度な文明があったらしいという遺跡発見のニュースの伏線、捨て犬捨て猫の人間の業とのび太達の自己満足によって生まれるワンニャン国、果たされなかった約束、1000年の時を超えた再会。色々な要素が物語としてまとまり、「継承」というテーマがおばあちゃんからのび太へ、のび太からイチへ、そしてイチの子孫とのび太の子孫がいつかきっと……とけん玉をモチーフに収束してゆく流れがとても美しくて好きだ。そしてここで描かれる「継承」は大山ドラからわさドラへの世代交代の文脈をどうしても感じてしまう。

イチが記憶を取り戻してのび太との再会を喜ぶシーンは素直に理屈抜きで泣ける。イチの健気さと一途さ、長い長い時の旅路を想像すると胸が痛い。終わりまで観てからまた冒頭の老イチの姿を観ると色々な感情が込み上げてしまうよ。
でも36時間前まで惑星移住の件を黙っていた大統領はいただけない。ギリギリすぎる。こればっかりは話のゴツゴーシュンギクだわ(言いたいだけ)

個人的に気になっているのはズブの心境。人間を憎んで闇の黙示録を書き上げたのだろうけど、それでも彼はのび太が付けた「ズブ」という名前をずっと名乗っていたんだろうなぁ…と思うとイチとはまた違った形でのび太になんらかの執着があったのだと思う。1000年後の世界にズブはいない。彼の本音はなんだったのかを確かめる術はもうない。

犬猫族のキャラクターデザインが恐ろしいほどに素晴らしいのも好きな理由のひとつ。ハチ(イチ)をはじめ、シャミーやチーコ、ニャーゴなどのデザインは心のどこか未開拓の部分をくすぐる。本作のデザインや作画はなんだかすごくフェチに溢れてる、気がする。

▼2020ドラえもん映画祭の時の感想



●のび太の恐竜2006(2006)

声優リニューアル後、初の劇場版ドラえもん!第1作目恐竜のリメイク作品。監督は後期大山ドラの作監や感動中編でおなじみの渡辺歩氏。作画監督は千年女優や東京ゴッドファーザーズの小西賢一氏。制作進行に八鍬さんの名前が!

ピー助が生まれるシーンの夜明けの演出は情感に溢れていて大変美しい。本作は映画らしいリッチなカメラワークや演出が多く、個人的には好きなリメイク。緑の巨人伝でも見られるグニャグニャ作画、オーバーアクション過ぎる実験的な作画が時々差し込まれるけれど、この程度ならば嫌いじゃない。ただドラえもんでこの実験的な感じは好き嫌いが分かれそうだなとも思う。

大筋は原点に沿った形だけれど、大きく違うのはラストTPに送ってもらわずに自分達の足で日本まで歩いてゆくところ。ちょっと現実的じゃなく、ドラちゃん達のテンションもハイになっておかしいので、大人になった今観ると「絶対送ってもらった方がいいよ…」と思うのだが、まぁこれはこれで悪くないんじゃないかな。彼らが楽しそうなので。「ドラえもん」というコンテンツなのにひみつ道具を必要最低限にして泥臭くなりがちなのは渡辺歩監督らしい描写とも言える。たぶん独自の解釈を持ってそう言う描写にしてるんだろうなと感じる。

旧作の時に都合よく忘れて鑑賞する必要があったどこでもドアの存在は「白亜紀の時代の地図がインプットされていない」と言うセリフで補完されて地味に良かった。日本誕生の時にもあった設定だ。ピー助が自分の背中に乗れって言ってのび太がすかさず「無理だと思う」って言うところもジワジワ好き。でもこのシーンがラストで5人を乗せて海を泳ぐシーンでの成長に繋がるのでほっこりする伏線でもある。
今作の追加要素で好きなのはゴミ捨ておじさんがのび太に麦茶持ってきてくれたとこ。(そこ?)(その麦茶ものび太によってめちゃくちゃにされるんだけど)なんだか優しい世界でいいなぁと思った。

作品の外の話→
フタバスズキリュウは和名で、学名はFutabasaurus suzukii 。国立科学博物館の全身骨格が展示されているのが有名。(あのポージングめちゃくちゃカッコいいよね!)福島県で化石が発見されたのは1968年のことなのだけど、そこから研究やら他種との比較やらたくさん時間をかけて調べられて、他の首長竜とは違う新種なのだと発表し、正式な学名が付けられたのが2006年。偶然にものび太の恐竜がリメイクされた年と同じ年だったわけだ。化石が発見されてから38年後。単なる偶然だとは思うけど、なんだか運命じみたモノを感じたので紹介しました。

参考ページ


●のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い(2007)

リメイクとしてはそこそこ楽しめると思う。
美夜子さんとお母さんの思い出は本作オリジナル。あらすじの良し悪しは置いておいて、それを語る美夜子さんとしずかちゃんのシーン(子供の頃は髪の毛伸ばしてたのよ〜のところ)の演出は作中でかなり効いてると思う。寺本監督はこう言うキャラ同士の情緒的な表現がお上手。
台風が来ている時の空気の質感が良い。のび太たちが困ってるゲストキャラを理屈抜きに助けてようとする様子はやっぱりいいなぁと思うんですよ世の中の世知辛さとか醜さとかを考えちゃうと………こういう表現を子供騙しだと捉える心の方に私は傷ついてきたので。そんな傷ついた心を癒してくれるのはいつだって彼らの勇気と優しさとおせっかいだった。表現の中だけでも自由に希望を見せて欲しい。(何かあったの?)

あんなに緊張感があって楽しかった魔界での大冒険がスポイルされたとか、帰らずの原好きだったのに残念だなぁとか、メヂューサのデザインは絶対旧作の方が怖くて良かったなとか、美夜子さんが最初ネズミにされちゃうのは何か意味あったんだろうかとか、しずかちゃんのパンチラ周りの表現は昭和臭がすごくて今見るとキッッッツイなとかとか(旧作通りではあるのだが)(平成のリメイクなのに…)、まぁ細かく申したいところはたくさんあるけど、もしもボックスで顕現された魔法と科学の概念が入れ替わった世界の面白さや価値観の変化の表現はかなりワクワクするので、それ一点でも評価できるかな、私は。
あと突然のエンドマーク(第3部完みたいなやつ)はちゃんと旧作通りで笑っちゃった。そこかしこに存在するノイズが気にならなければ楽しめる作品だと思う。


●のび太と緑の巨人伝(2008)

……なんだろう、コレ…………よくわかんない……観ると具合悪くなるので未だに一回しか観たことない。世間では怪作と評価されているけれど、そう言われるだけあってかなり難解な作品。

私は渡辺歩監督の感動中編や恐竜2006が好きなので、監督のドラえもんに対する理解度は信頼していたのだけれど、これは一体どうしてこんなことに…………と悲しい気持ちになった。
巨人???になった???キー坊にのび太とリーレが水やるところのぐにゃぐにゃ沼作画の意味のわからなさで考えるのをやめた。原作のキー坊の話がベースになっているけれど当然同じ感慨はまったくないし、唐突な「僕の生まれた日」も………???
序盤のキー坊を見つけて育ててるとこは導入含めて演出とか絵作りは良かった。渡辺監督らしい繊細な日常風景、ドラえもんにしてはややリアルすぎて違和感があるくらいなのだが、私は監督のこの持ち味が好きだった。…だったけれど、興味持って観れたのそこだけ。何回も言っちゃうけど何がしたいのかよく分かんなかった。感想として適切な言葉ではないと思いつつ、「よく分からなかった」以外の感想が出てこない。
好きなシーンはジャイアンとスネ夫が手すり使って移動して、「下溶岩ね」って言って遊んでる何気ないシーン(序盤)。せっかくならのび太も参加しなよと思った。


作品の外の話→
後になって色々調べてみたらFプロ側の突然の変更要望によるいざこざ(?)と、脚本家による初期プロットに拒絶反応起こした渡辺監督にとっても複雑な作品であるらしい。脚本未完成の状態で絵コンテを描かざるを得なかったとかなんとか(詳細は2012年発売のアニメスタイルにて監督自身が語っている)。
しかしどんな理由があれ、こんなに観た人を不安にさせるようなフィルムをドラえもんで描いてはダメだよ。そして自分で自分の作品を貶めてしまうのもダメだよ(気持ちは分かるけど)(自分の作品という意識さえないかもだけど)。どんな作品でも公開されたものは取り下げることが出来ないし、どんなに駄作と言われる作品にだって、その作品を大切に思う観客もいるのだ。私にとってはひどい怪作でも誰かにとっては傑作だと言うこともあるでしょう。そんな観客は、作り手側からこれは嫌々作ったもので本当は作りたくなかったんだと言われたらどう思うだろうか………と言うことにまで思いを巡らせてしまう。

…そんなような事を色々考えて、作品の外の事情と作品そのものの評価は別だと思いつつも、このあたりの事情を何も知らない人に、この作品で「渡辺歩」監督を評価されたくない、と言うのが私の正直な気持ちだ。だってこの作品のせいで渡辺監督はもうドラえもん作れないってことでしょ……後期大山ドラをずっと支えてくれていたクリエイターなのに………。
渡辺監督はその後シンエイを離れて今もアニメーションを作り続けているので、私としてはアニメに携わり続けてくれていて良かったなぁとは思う(22年「サマータイムレンダ」良かったよね)。でもやっぱり、これは完全に一視聴者のエゴでしかないし、ないものねだりとは思いつつも渡辺監督が自分で納得できるわさドラオリジナル映画を観たかった。もうこればっかりはどうしようもないんだけどね………

これを初めて観た子供たちの心配よりも、作った人たちの精神状態を心配してしまうような作品だった。私にとっても大きい爪跡を残された映画ドラえもん史上1番の問題作だと思う。

▼2012年発売のアニメスタイル002



●新・のび太の宇宙開拓史(2009)

名作宇宙開拓史のリメイク。本作オリジナルのモリーナ姉さんのエピソードは単体で見れば感動的だが、全体の流れで見るとやや唐突。蛇足と言ってもよい。あと演技が微妙。しかしもっと微妙なのがアヤカ・ウィルソン。反対にギラーミンは大塚周夫さんでカッコよさ◎。佐久間レイさんのチャミーも可愛い。けれど白目部分が黒目なのはちょっと怖い。(原作準拠なんだけどね)

モリーナ姉さん以外の部分は比較的旧作通りで、作画も楽しいので私はまぁまぁ楽しめた。旧作もだがジャイアン達は最後の最後にちょっと協力するだけなので他作品の彼らよりも淡白に感じる。その分、のび太とロップルくん達との交流は丁寧だ。でもやっぱり旧作の方が好きだな。ロップルくんの描写も旧作の方が気が利いていた。
のび太とドラちゃん頼りで自分達では何もしようとせず、いざ助けが来ないと文句ばかり言うコーヤコーヤ星の人たちは人間の悪性がよく表現されているが、彼らは辛い開拓時代を築きてきた人間なので、私はそんな彼らを批判する言葉を持てない。

ロップルくんとチャミーと初めて会うシーンでお菓子とかを持ち込んであげてたシーンがなんだか良かったなと思う。旧作にはなかった生活感だ。



●のび太の人魚大海戦(2010)

全体的に「浅い」という印象。
ストーリーが駆け足なのが悪いのか、描写不足のせいなのか、ゲストとの交流もさほど情緒もなく、なんかいい感じのセリフがのび太やドラちゃんから発せられてもまったく心に響かず白けてしまう。ソフィアのおばあさんが「本当はあなたのことを愛しています」みたいなことを急に言い出した時の白々しさと言ったらない。たぶん全部人物描写が浅いせいだと思う。さかなクンがめちゃくちゃ目立っていた(目立つ役ではない)

人魚族達の世界観やバックボーンは良いと思うし、三種の神器の設定などもRPGゲームのようでモチーフも悪くない。しかしそれを面白く見せる脚本力はなく、(しずかちゃんが巻き込まれたとは言え)そもそものび太達が部外者でしかない立場で、「面白くはなりそうな気配はあったけどなぁ…」という感想になってしまう。ソフィアもキャラデザは可愛いし掘り下げたら魅力的にはなりそうだったが、その掘り下げがないため人間的な魅力を感じなかった。残念。

30周年記念作品で、久々に武田鉄矢氏が挿入歌を提供。ドラえもん映画といえば武田鉄矢なのは異論ないが、でもわさドラには合わないかなぁ……と思った。

好きなシーンはママがお使いをしてくれた人に必ずご褒美を用意しているのがわかるメモ(ドラちゃんにはどら焼き、ドラマちゃんにはメロンパン。たぶんのび太がおつかい言ってたら最後の欄は「のび太のおやつ」だっただろう。ところで「パパのビール」はのび太は買えないだろうなぁ)


●新・のび太と鉄人兵団 はばたけ天使たち(2011)

みんな大好き私も大好き名作鉄人兵団!のリメイク作。監督は寺本幸代さん(大好き)。旧作、原作と共に私が映画ドラえもんの沼にハマるきっかけになった作品でもある。

原作や旧作ではリルルにあった葛藤を、本作ではジュドの頭脳「ピッポ」というキャラクターを立て、「リルルとしずか」「ピッポとのび太」の2軸で展開されていく。この改変のため原作旧作では魅力的だったミクロスがフェードアウトしたり、リルルピッポ達が奴隷側だったことで自分の中で価値観が逆転していくような複雑さはスポイルされてしまったが、「誰かを思いやる心」を見直してゆく描き方として個人的には悪くないと思う。
人との出会いで心は変化して行くものであり、それを自問自答するときにリルルとピッポの心のやり取りはお互いの心を鏡に映すようにして輪郭を描いていた。2人の心のやり取りがあったからこそ、ラストシーンで消えゆく2人の姿、生まれ変わって地球に来た2人の姿に対称性を見出せるのだ。挿入歌「アムとイムの歌」は、「あなたはなあに 私はなあに」と歌われていた歌詞がラストで「あなたは私 私はあなた」に変化する。自分対誰かの関係性はいつだって映し鏡だ。誰かを思いやる時に映る自分はどんな姿になっていたいか、リルルやピッポのような姿になっていたいと思えたらいいよね。「鏡面世界」という設定を活かして練り直された心情部分に心が熱くなった。

今回は心情的なエモーショナル演出を寺本監督が、戦闘シーンなどカッコ良い演出は矢嶋哲生さん(アニポケでお馴染みの人!)が担当していて、その分担も上手くいっていたように感じる。重量感のあるザンダクロスの戦闘シーンの演出は圧巻!個人的には民家のガラスに映るザンダクロスのカット、雨上がりのしずかちゃんとリルルのファーストコンタクトなど情感のある演出がお気に入りポイント。雨上がりの描写は地下鉄階段でのリルルとの再会、ラストシーンなどでも度々意識的に描かれていて、そこも情緒たっぷりだった。
ラスト、ピッポとリルルが生まれ変わって地球に来ている場面ではピッポの翼とリルルが重なっている姿が逆光によって天使のように見える。この演出は寺本監督らしい叙情的なアイデアで素敵だ。シンボリックではありつつ、2人一緒にいて初めて「天使のように見える」と言うのが心憎い。旧作の「そうさ、リルルは天使さ!」というのび太のセリフも回収していて、美しいラストだと思う。

ピッポ化するためにおはなしボックスにジュドの頭脳を突っ込むけど一緒にほんやくコンニャク入れてたのちょっと笑った。リルルが来た時にママが出してくれたおやつ、5個入りのパックのどら焼きなんだけど1個だけ出さずに残したのはドラちゃん用なのかなぁ…とか細かい描写に対する想像の余地もあり楽しい。大好きなリメイク作品の一つだ。



●のび太と奇跡の島 アニマルアドベンチャー(2012)

「モアよドードーよ永遠に🦤」を原案としたオリジナル作品。原案の面影はなくモアもドードーも永遠に死んでしまった。
全体のストーリーがつまらないのもさることながら、ラストの流れの支離滅裂さに完全にこちらの感情が消滅する。最後にのび助の記憶をワスレンボーで忘れさせるのも超唐突で何が何やら。前後の脈絡がなく、のび太の「あいつはダッケさ!」のセリフにも白々とした気持ちのままEDへと突入してしまう。キャラクターのセリフも歯の浮くような不気味なものが多く、あまりにも脚本がお粗末で後味が苦い。カブトムシのこと嫌いになりそう。

本来なら絶滅動物達への興味関心や知的好奇心を刺激する設定や導入があって欲しいところにそれはなく、のび助とのび太の時空を超えた絆にエモーショナルな仕掛けを施したい意図はほのかに感じるがまったく描けておらず、拍子抜けするような展開でこちらもがっくり来てしまう。ドラえもん映画はたくさんあるので「面白くもつまらなくもない」みたいな作品もいくつかあるが、この作品は私にとっては非常につまらなかった。…子供達が言わされているだけの親に媚を売るようなセリフに耳がしらけてしまう。ゲストに野沢雅子さんや水樹奈々さん、田中敦子さんといった私が好きな声優たちが集まったのに残念だった。

普段誘拐される役はしずかちゃんが多いのだが、今回はスネ夫。しずかちゃんばかり人質に取られる展開には飽きていたのでそれは良いのだけれど、スネ夫の言うことが不自然に勇敢すぎて「こんなのスネ夫じゃない!」と思わず言ってしまいたくなる。

良いところをあげるならば、作画はとても可愛い。キャラデザは大城勝氏。この後も作画監督としてわさドラでは活躍される方。この時期のモチモチとしたわさドラ作画は実は結構好きだ。ゲストキャラのコロンもドードー🦤子供のクラージョも大変愛らしい造形だ。でも、まぁ、うーん、私にとってはそれだけですね…

しかし、ドラえもん映画というのは様々な映画体験ができるというのが大きな魅力であって、だったらこの長い歴史の中にはクソ映画もないと不公平だよね!ってことで存在意義は非常に大きい作品とも言える。本当か???面白いエンタメ映画からは決して得られない成分もあるため、無駄な時間ではなかった。他人事みたいな言い方をするが、クソ映画マニアなど特殊な層には刺さるのかもしれない。




●のび太のひみつ道具博物館(2013)

んも〜だ〜い好き!!ひみ博愛してる!楽しくってワクワクして泣いて笑って、初代のどこでもドアのビジュアルには痺れて、主題歌の未来のミュージアムを聴きながら最後は「あー面白かった!!」と大満足で胸がいっぱいになる。川崎市の「藤子・F・不二雄ミュージアム」のイメージから作られた本作は、その場所が大好きな私にとっても特別な作品だ。

監督は新魔界、新鉄人兵団を担当した寺本幸代さん(超大好き)。寺本監督はこの後にアニメ「怪盗ジョーカー」のTVシリーズの監督をやってるのも個人的に胸アツポイント(ちなみに怪ジョのシリーズ構成はこの後リトスタ2021の脚本を担当する佐藤大氏)。ドラえもんでは珍しい怪盗ギャグ(?)を作った後に、その方法論的なものを引き継いだTVシリーズを作っているのが良いなぁと思っている。怪ジョを観てるとちょいちょいひみ博を思い出せて楽しい。

ドラえもんのひみつ道具が所狭しと溢れ出す魅惑的な舞台、何十年と続くドラちゃんとのび太の友情について改めて語り直した胸があたたまるストーリー…「ドラえもん大百科」的な楽しさに溢れていて、わさドラ入門にもオススメしたい本作。なんと言っても、ゲストキャラが全員魅力的!
メインのクルトはもちろん、悪役とは言い切れない愉快なペプラー博士(Vc.千葉繁!)、ちゃっかりした可愛いジンジャー、ヘソクリでルンルンしちゃう館長、無駄にキャラデザがハードボイルドなマスタード警部、偶然の産物であるポポン(ポポン誕生のシーンがめちゃくちゃ好きだ)も、みんなみんな可愛くてたまらない。
ハルトマン博士も、ペプラー博士からコーヒーを受け取る姿が妙に愉快で(精密機械の上でコーヒーを飲むんじゃない!)、たぶんこの人もだいぶ面白いおじさんだったんだろう。そりゃペプラー博士と仲良しな人なんだから、きっと普通の人じゃないだろうな。こう言ったキャラ同士の描写が逐一面白くて可愛くて、いつものメインメンバーの描写も同じくらいの密度があって、キャラクター映画としても一流品だ。寺本監督のインタビューで有名なものがあり、一つ例を挙げると、ジンジャーが3人分紅茶を淹れるシーンで、紅茶は最後の一滴が一番美味しく、ジンジャーはそれを知っているから自分のカップに最後の一滴を入れている…と言う解説をされている。そう言ったキャラクター表現の細かさが随所に散りばめられてこの映画はできているのだ。セリフや表情だけでなく、ありとあらゆる情報でキャラクターを表現しているのが分かり、何度観ても発見がある。

もう一つ例を挙げよう。今回鈴のないドラちゃんは鈴の代わりに何かしら黄色いものを身につけるのだけど、場面が変わる事にこれがリボンだの果物だの花だのに変わっている。しまいには黄色じゃなくオレンジになってたりする。どのタイミングで変えたの!?みたいな瞬間もある。本人が変えてるのか周りの人たちによって着せ替えられてるのかまったく説明がないが、しばらく観てると次は何に変わるのだろう?とワクワクしてくる。本人がいちいち変えてたら可愛いな…とか想像するのも楽しい。これは説明がないからこその楽しさだ。キャラクターの魅力を説明をせずに伝える。観客の想像力に託した表現に、画面の隅々まで目を凝らしたくなるのだ。

F先生ご存命時代のハラハラドキドキするような冒険の舞台とは正反対の発想だが、この「ひみつ道具博物館(ミュージアム)」という舞台はかなりの発見だと思った。誰もがひみつ道具を知っている未来、ゲストキャラ達は道具の説明なんかせずにぽんぽん使い始めるが、こっちは置いてけぼりになんてならない。「ドラえもん好きなら、みんなこれがなんのひみつ道具かもちろん知ってるよね?」って言われているような、作り手からこの映画を観ている子供達への熱い信頼のようなものさえ感じられる。ミュージアム内での描写もなかなか凝っていて、場面が変わるたびに何かの道具に追われているモブ客が毎回映し出されているのが楽しい。追われてる人多すぎじゃない?ひみつ道具のセーフティのなさも余すところなく描かれていて、その「危なっかしさ」がラストの展開に繋がっていく様子も面白い。

そしてそのひみつ道具にはレアメタルという素材が使われ、道具を発明する科学者達がいて、道具を作るには免許が必要で………と言う設定も明かされる。散々ひみつ道具を使ってきたのに、今まで気にしていなかったような部分の世界観の広がりと「気付き」を与えられる。ドラえもんの世界で深掘りできる知らない場所がまだまだこんなにあったんだ、と長年のファンにも喜びをもたらす。子供も大人も両方楽しめるファンタジー…そこに足りないのは何?それを一緒に見つけよう!と言うことで本作に登場する大人も子供も、自分達なりの夢や思い出があり、ちょっぴり悩んだりしながらも一生懸命生きている。
それはのび太とドラちゃんも同じで…同じ思い出を共有しながら生きることの喜び、それが相手に伝わった時の幸福感、様々な出来事が起こる中で一貫して「鈴はドラえもんの一番大切な思い出」として描き、ラストシーンで2人の思いが鈴として重なる演出があまりにも粋だ。「ぼくの靴の中…なんてね!」は何度見ても胸いっぱいになる大好きなシーン。この映画を観て私ってドラちゃんとのび太の2人のこの関係が本当に好きだったんだなぁ…と改めて思い知らされた。

クルトとの会話で「師匠だけなんだ、ぼくにも取り柄があるって言ってくれたのは」と聞いてのび太はふと思い出す。鈴は「ドラえもんの思い出」として印象づけられたけれど、のび太側にとってもこのエピソードでドラえもんから「いい奴だ」と評されたことが大切な思い出だったと、ここで感じられるのもまた良いのだ。
クルトもクルトで、偉大な祖父に対するコンプレックスもあった中、ペプラー博士に言ってもらった言葉は大切な宝物だったんだろう。こんな風に人と人との繋がりがまた別の人にとっても影響して良好な人間関係を繋いで行く、それが未来に繋がっていく様子がさりげなく、けれど丁寧に描かれてそんな物語の最後にかかる主題歌が「未来のミュージアム」なのがも〜〜〜最高!ぐだぐだ同じようなことばかり綴った長文感想を書いてしまうが、私にとってこの作品はそんな感じの幸福感を103分間余す所なく与えてくれる作品なのだ。主題歌含めて、本当に大好き!

▼寺本監督のインタビュー

▼ [Official Music Video] Perfume「未来のミュージアム」

▼2020ドラえもん映画祭の時の感想



●新・のび太の大魔鏡 ペコと5人の探検隊(2014)

せっかくだから副題は「10人の外国人」とかにしてよぉ!と思ってしまった。初期名作大魔鏡のリメイク作品。
初見の頃は旧作とほぼ同じだなぁという印象で、だったら「だからみんなで」がある分旧作の方が好きだな等と思ったりもしていた。けれど改めて見返すと、ほんのちょっとした細かい改変や原作からの描写を改めて描き直すことで大魔鏡のストーリーをより伝えやすくし、各キャラクターの魅力をより良く表現しようと設計されたものだと感じて、今では大好きなリメイク作品のひとつ。こう言った気配り上手な作品作りは八鍬監督の魅力だなと思う。
旧作にはなかったが、探検中にどこでもドアで帰るシーンでスネ夫の「録画忘れてた!」のシーンが追加されたり(原作にはあった)、ライオンの危険を伝えるのがスネ夫から野生のゾウ(そしてジャイアン)に変わったり、そういう細かな改変や追加が全部ちゃんと面白くて良いのだ。

旧作と同じシーンでグッときて同じシーンで涙が溢れて、同じシーンで高揚する。旧作だと「だからみんなで」が流れるシーンは、描かれているものも演出の仕方もほとんど同じだが、最後のスネ夫の登場の仕方など、ほんのちょっとだけ今のわさドラ「らしく」変えるだけで旧作を初めて見た時のような気持ちが溢れてくる。木村昴さんが歌う挿入歌も旧作に負けず劣らず素晴らしく、知っている話なのに新鮮に感じることができた。

基本旧作と同じ流れだけど、そんな中珍しく差し込まれたペコとのび太のオリジナルシーンも良い。弱気になったペコを励ますのび太の言葉はペコだけでなく私の心もあったかくする。この追加シーンのおかげでラストのお別れも寂しさが良い塩梅で胸を満たすのだ。上手に感情をコントロールされたなぁ!と思うリメイク作品だった。

キャラの話、サベール隊長がカッコ良すぎる。登場時からただならぬイケ犬オーラを放ち、「こいつ本当に名刀【電光丸】にやられるんか…?」と心配していたら倒され方までカッコ良すぎて痺れた。
ブルススが通り抜けフープに引っかかってちょっと恥ずかしそうだったのも超可愛かった。ブルスス好きは必見。


●のび太の宇宙英雄記(2015)

個人的には毒にも薬にもならず……まぁそんなに悪くはないんじゃないかなと言う印象。善良な市民にいい顔をしながら騙くらかすヴィランズとこれはおかしいと1人立ち向かうアロンの掘り下げや描写、それに関わるのび太達の思いやりがもっと上手く描いてくれたら自分好みになっただろうなとは思うけど、世界観の作り込みもキャラの描写力も物足りなさを感じる。好みになりそうな気配はあった。

あとヒーローとしての彼らにそれぞれ特殊能力が備わるけど、のび太があやとりなのも違和感。射撃という、もっとヒーローっぽくてのび太らしい特技もあるのになぁと思った。まぁ射撃に関してはのび太は本当にチート能力者になるので、封じたい気持ちも分からんではないが…

途中までバーガー監督🍔の演出だと思って勘違いしてアロンについて行くアイデア自体は悪くないが、逆に緊張感を削いだ状態からのスタートになりあまり役に立ってなかった。テーマも筋もそんな悪くないと思うんだけどなぁ…あまり響く作品ではなかった。残念。
丸山さんの描くおさげ大きめのしずかちゃんは可愛い。本作の作画はみんな幼い感じでかわいいね。

それにしても映画ドラえもん、宇宙ナントカ系のタイトル多すぎ。宇宙開拓史、宇宙小戦争、宇宙漂流記、宇宙英雄記……開拓とリトスタに至ってはリメイク作まで入ってくる。初見殺しも良いところなので宇宙ナントカ系のタイトルはもうあんまり増やさないで欲しいな…「宇宙小戦争」は傑作だよ!って言って人に勧めたら間違えて「宇宙英雄記」観ちゃったみたいな事故絶対起こってそうじゃん。いや人によってはどちらも傑作かもしれませんが…個人的に宇宙が舞台なのは好きなんだけどね。


●新・のび太の日本誕生(2016)

10周年記念作品である日本誕生のリメイク。監督は八鍬 新之介さん(大好き)。

旧作とセットで見返してはその度にどんどん好きになる作品。やはりスルメタイプ。日本誕生は旧作・リメイク共にそれぞれ相互に良さを補完しているようなところがあり、必ず新旧セットで観てしまう。旧作や原作から変えた部分や追加した部分、削った部分すべてに意味があり、その意味付けにはこれまでのドラえもんという作品やキャラクターに対するリスペクトさえ感じる。大変緻密に練り上げられた、私の中では傑作リメイクの一つだ。個人的には旧作からのスネ夫によるトキのセリフの変化が印象的。反対に、旧作そのままの「おじいちゃんのおじいちゃんのそのまたおじいちゃんの…」と言った鉄板ネタが拾われていたのは熱い。

相変わらず畑のレストランの描写は異様なほど美味しそう。ドラちゃんは珍しくどら焼きではなくカレー、スネ夫はうな重。ただ、旧作のスネ夫の「大根はねぇ!佃煮にはならないんだよ!」というセリフやドラちゃんの「そう言う食べ方も…あるにはある…」ってセリフが恋しくなったりはしちゃう。だから両方観て楽しみたくなっちゃうんだよね。

家出のパラダイス作りの楽しそうさや役割の振り分けの見事さは旧作から大好きな部分。その部分を失わず、さらに本作ではのび太によるペガ、グリ、ドラコの世話を丁寧に描写することでのび太のママ側の気持ちもさらっと触れていく描写がある。ネットで色々な感想を見ていると、「子供の冒険に親の目線を入れて欲しくない」という意見もあるようで、それは一理あるけれど私にとってはそうとも限らない。親の目線があるからこそ安心して飛び出せる冒険もある、と思ってるし、親も自分と同じ感情を持つこともあると気づくことで子供側が得られる何かもある。ただ、親の目の届かないところへ行く開放感なんかも物語には大事だし…どれが正解、ということはないと思うが、私は本作でのび太のママの目線がノイズにならない程度に拾われることでママの気持ちも大事にされ、最後に「家出は終わったの?」というセリフで日常に戻る演出がとても優しくて好きだ。

本作のククルはラストシーンで旧作よりも大活躍。のび太にローの話をする時の優しい眼差しが暖かい。犬笛というアイテムでの繋がりも気が利いていた。のび太がペガ達との別れで涙する時に、肩に手を置いて慮るククルの姿は少し大人びている。この物語で成長したのはのび太達だけでなく、ククル本人も少し大人に近づいたのだと感じられる描写だった。

あくまで個人の感想だが、八鍬監督の描くドラちゃんは「人間が築き上げた文明に対して深いリスペクトを持っている」と言うのが私の中での持論だ。後に制作される月面探査記でも感じることだけれど(あっちは辻村さんの解釈もかなり含まれてるのでどこまでが八鍬解釈かは分からないが)、このドラちゃんは人間が持つ豊かな想像力と、それを長い年月をかけてでも実現する行動力、そんな2つのエネルギーの先にロボットである自分の存在があることをきっと理解しているんだと思う。元々「ロボット」と言う言葉は創作から生まれた言葉だしね。人間を愛し寄り添う子守りロボットとしての誇りがこの作品のドラちゃんには宿っている。
だからこそ、人類の文明を軽視して自分勝手に歴史を変えようとするギガゾンビのことが許せなかったのだ。歴史改変と言う点ではドラちゃんも同じことをしているのだが、ドラちゃんにとっては、のび太自身が考え行動を起こすことが未来を作ることだと信じて側にいる。この作品内ではそんな(ドラちゃんと八鍬監督の)願いがあるため、ラストの決着の付け方だけが原作や旧作と異なる。人間の持つ知恵と勇気こそが未来を切り拓くのだ、と遠い未来に向けて想いを飛ばし、そしてその想いは旧作や原作から受け継がれてきた尊い歴史だ。

「偽物の歴史が本物の歴史にかなう訳ないんだ!」

と言うドラちゃんのセリフに対して、私はそんな解釈で観ている。今までドラえもんを作ってきた全ての人への愛情が込められたセリフじゃなかろうかと勝手に目頭を熱くさせてしまう。
そんな想いが絡む中、原作にはないギミックとして「ドンブラ粉」で「ぬかるみに追い込む」昔の知恵と未来の道具を使った伏線は鮮やかだ。ククルの石槍でギガゾンビを打ち破るシーンはそれまでのカタルシスもあり実に爽快。本作品内だけでも美しい構図になっているし、ファンとして勝手に文脈を読み取っても熱い展開になれる。良い描写だなぁと思う。

本作のTPは、リームの元でぼんとユミ子くんが働いてるっぽいパラレル設定。TPぼんのリームが超好きだから、このさりげないファンサービスは地味に嬉しかった。

EDは金子志津枝さんによるその後のみんなのイメージイラスト。ほんの少しだけ親と距離が縮んだような、そんな歩み寄りができる成長を感じられるあたたかいエンディング。鑑賞後の気持ちよさ抜群の、大好きなリメイク作品だ。

▼2020ドラえもん映画祭の時の感想



●のび太の南極カチコチ大冒険(2017)

ビジュアルが作り込まれた氷の世界観と古代文明の謎にワクワクし、のび太とドラちゃんの友情が良い塩梅で練り込まれた良作。これもかなり好きな作品だ。監督・脚本は高橋 敦史さん。
氷細工ごてで氷の遊園地を作る様子と、その遊園地で遊ぶ様子を描いたOPが最高。というか、今までの映画ドラで問答無用で楽しく感じる部分「箱庭作り」と「レジャー感」をいっぺんにダイジェストでお送りされてしまったので歴代1楽しさが濃縮されたOPになっている気がする。反面、その部分が圧縮されてもったいない感もなくもない。のっけから贅沢な悩みでスタートする。空き地でのお勉強パートも説明臭いが私は好き。凍るミニドラかわよいね。たずね人ステッキにこんなキャラ付けがされたのは初めてだったかな。アラジンの絨毯っぽい。本作限りだけど良いと思う。

冒頭のテンポがやたらと早かったわりにはソリで南極を滑るシーンはめちゃくちゃじっくり丁寧に描写。奇妙なテンポ感で話が進むが、きっと大事な描写だったんだろう。意図はよく分からないけど妙なこだわりを感じた。

好きなシーンは偽ドラと本物ドラに対して「どっちも本物じゃダメ?」っていうのび太のシーン。ちょっとウルっとしてしまう。のび太の優柔不断は逆に言えば時間をかけて正しい決断を選ぶために必要なことだ。そんなのび太だからこそドラちゃんとの友情には嘘がない。
のび太たちを信じて10万年後の世界にタイムベルトの電池を届けるドラちゃん、このギミックが一発逆転になる展開もドラえもんらしい。(装備とかが増えた訳ではないので、10万年後に避難した後の利点があまりないのが難点だけれど…)

ユカタン置き去りに関して「10万年…」「彼らにとっては昼寝みたいなもんさ」ってセリフもなんだか壮大すぎて笑う。そこまで行くと妖怪じみてくるよね。10万年前のヒョーガヒョーガ星の氷が溶けていく様子をのび太とドラちゃんが観測して終わるラストは「いつもの日常に帰る」演出としてとても粋な終わり方だ。EDでかき氷を食べているカーラと博士のイラストも素敵。ラーメンやらからあげのシロップのセンスはなんなんだろうあれ…(好き)

本作はキャラデザやみんなの衣装、氷を使ったビジュアルも古代ヒョーガヒョーガ星の世界観もブリザーガのジブリ的なデザインも、どれも大変凝っている。夜に変化する時の空のドットが1つずつ抜けていくような表現もアイデアに溢れていて魅力的。とにかく視覚的な作り込みに力が入っており個人的にはその部分の評価も高い。

もう一つ、この映画を語るのに外せないのが丹地陽子さんとヒョーゴノスケさんによるプロモーションイラストの数々。氷の世界と映画ドラえもんの情緒的な部分を美しく優しく柔らかいタッチで描かれていて、この作品の魅力を底上げしていたように思う。個人的にヒョーゴノスケさんを知ったのはこれがきっかけだったので印象深かった。

▼ポスタービジュアルの映画ナタリーの記事


●のび太の宝島(2018)

監督 今井一暁さん×脚本 川村元気さんのコンビによる作品第一弾。
OPがない!!!!!!!!
それだけでのけぞってしまう。ドラえもん映画においてOPって自分が思っていた以上に大切に感じていたのだなぁと気付かされた。いつだって失ってからそのものの大事さに気づくのだ。と言いつつ次の月面探査記では普通にOP復活する。でも新恐竜からまたなくなる。今後私はOPがあるのかないのかをドキドキしながら新しいドラえもん映画を迎えてゆくのだなぁと覚悟を決めなくてはいけなくなった作品。(前置きが長い)

キャラも魅力的だし、つまらなくはない…んだ……けれど、ツッコミどころが多くて物語にあまり入り込めなかった。ツッコミどころの100や200どんな作品にもあるから普段は気にしないでいたい派なんだけど、この作品に関しては私は大人になれなかった。絵的な「楽しそうさ」は素晴らしいのでそこは評価したいが…。

ラストはめでたし感だして終わったけど、シルバーが見た地球の終末に関してはなんも解決してないし、集めてた財宝はなんの役に立てようとしてたのかも意味が不明だし(外星との交渉にでも使おうとしたのか?)、地球の終末に関してはのび太たち関わらんでいいの?フロック達に全部任せるの??そもそもシルバーは今の地球への影響は限定的だみたいなことを言ってたのにドラちゃんは大変なことになるみたいな解釈してて、真相はどっちだったの?そしてその「大変なこと」はどういう方向で大変なのかも説明がなされてない。地球の過去を大きく変えることになるから時間軸的な問題なのか、それともエネルギーそのものが吸収されたら現地球の存続に影響を及ぼすという意味なのか?もしもパワーバランスを変えるほどの地球エネルギー(そもそも地球エネルギーってなんだ?)を過去から吸い出したら人間たちが普通に生活出来なくて未来人であるフロックたちの存在自体に影響がでるんじゃ…?その辺のタイムパラドックスはどうするつもりで…?っていうかしずかちゃんが攫われる理由もおかしいよセーラが行方不明で海賊達も探してたから間違えられたとかならまだ分かるが、セーラ自分の部屋にいたじゃん!!探す必要もない人物をあの状況で人違いは不自然すぎるよ、など掘れば掘るほど気になるところがノイズになりすぎてあんまり楽しめなかった。私の想像力がないだけかしら。

地球の終末に関しては、ノアの方舟計画以外の方法でなんとかしていかないとね、そのためにも僕たちオレ達も頑張るよみたいなセリフがのび太やフロック達からあれば一応結末として理解はできるけど(でもなんで荒廃したのかちゃんと説明されてないからどう頑張ればいいかわかんない)、その認識さえしてたかどうか分かんないし…………。
シーンごとの瞬間最大風速みたいな、一個一個区切ってみたら「良い場面」みたいに感じるシーンは多いけど、それらの繋がりに入り込めないため、私には納得感の薄い作品になってしまった。

けれど作画におけるキャラの芝居や画面作り、絵作りに関しては快感がすごい。キャラクターデザイン&作画監督の亀田祥倫さん(モブサイコキャラデザの人!)の仕事がとても輝いていたと思う。初期のドラえもんを彷彿とさせるようなシンプルなラインを描きつつ、今風のデフォルメの効いた作画芝居がすごく上手。キャラの動きがみんな可愛い。透明マントを被りながら時限バカ弾をセットするスネ夫の1カットがめちゃくちゃカッコよかった。わちゃわちゃするミニドラも可愛かった。個人的推しアニメーターの林佑己さんも原画参加されてて、それも嬉しい。画面の見応えは近年の作品の中でも抜群だと思う。

言いたいことをクイズでしか伝えられない子守ロボットクイズのことは結構好き。でもレビューなんかを見てるとウザいって言われることが多くてなんだか可哀想だ。クイズ本人が1番自分の習性をもどかしく感じていたと思うよ。



●のび太の月面探査記(2019)

監督 八鍬新之助さん×脚本 辻村深月さん の満を持してのミラクルタッグ!この作品も本当に大大大好きでリピート率高い。実は映画館でドラえもんを観に行ったのはこれが初めてだったりする。そして2020年のドラ映画祭沼へズブズブ🫠ドラ映画を劇場で観る楽しさを知ってしまった。

月面探査と聞くと、最近ではispace社による「HAKUTO-R」の月着陸船が着陸失敗に終わったニュースを思い出す。22年12月に打ち上げてから月に到達するまで約5ヶ月近くもかかり、それでも失敗してしまうことがある。約38万kmの長旅、一般人類が月に到達するにはまだまだかかるんだろうなぁと思いながら、本作を見返すと込み上げてくるものがある。現実と空想がリンクするような「少し不思議」な感覚を呼び起こしてもらえる作品だ。

本作は「想像力」がもたらす人間同士の出会いや繋がり、そして"思いやり"が未来を切り拓く、というメッセージを真摯に誠実に描いた傑作。そんな大きなテーマを背景に描かれる要素は、今までのドラ映画で紡いできたフォーマットにパズルのピースのようにピタッとハマり展開される。のび太の「想像」から始まる物語、知的好奇心をくすぐる異説の解説、ムービット達を生み出して「創造」される箱庭的月面世界、エスパル達の切ない生い立ち、友情による行動と異世界での戦い、ゲストキャラとの出会いと別れ…。これらの要素を丁寧に当てはめ、作り出される物語と映像はこれまでの歴史とこれからの未来に対する愛がいっぱい込められている。ドラえもん映画を愛してるからこそ描ける物語があるのだ、と作り手側から自信を持って提供されたような気持ち良さがある。辻村先生によるエモーショナルな仕掛けと、八鍬監督によるロジカルで説得力のある演出が良い具合に調和していたのも本作を美しくした要因の一つだろう。
ただ、辻村先生のドラ愛が迸っておりエンタメとして消費するにはややウェット過ぎる気もする。私は大好きだが、ドラえもん初心者が初回作として選ぶにはあんまりオススメしない、かも。


月やうさぎにまつわるモチーフをこれでもかと詰め込んだOPが素晴らしい。月世界旅行のパロディや亀とか象の上に半球が乗ってる古代宇宙図にドラちゃんが混ざってる絵とかワクワクがいっぱいだ。
本編の季節が明確に秋に設定されていることや、小学校での描写が細かいところはいつもとちょっと違う趣き。この辺は八鍬監督の作家性がチラ見えしていたように思う。多目くんやムス子などのクラスメイト達の詳細な描写も嬉しい。個人的にはムービット達によるウサギ王国の描写も楽しかった。ウサギのダンスDJ remixなんかも心が躍る。中盤での宇宙を漂うドラえもん気球のアイデアも良い。奇妙なシュールさがある。

また、スネ夫好きとして見逃せないのが各々が家を出たときにみんなを照らす月、スネ夫だけ水面に映る月を見る演出だったのは注目ポイント。月明かりは誰に対しても等しく降り注ぐが、スネ夫が見た月の光は水面に映る歪んだきらめき。そのゆらゆらした様子がスネ夫の迷いを表現しているみたいで、見事な絵作りだなと思った。

ルカやルナ、アル達エスパルも非常に魅力的で、特にルカは今までのゲストキャラとはまた違ったミステリアスな魅力があり、とても好きなキャラクターだ。親のように慕っていたゴダール夫妻への憧憬やもう会えないもどかしさ、自分達しか信頼出来る人がいない寂しさ、孤独感。1010年生きてるだけあって常人にはない達観した雰囲気はあれど、ちゃんと感情の出し方は知っているところに人間らしさがある。普段穏やかなのに、ルナに怒られてサッと帽子で顔を隠すお茶目な所やルナに突き飛ばされてムッとしたようなジト目になってる所も可愛かった。ルナにはそんな態度をするんだ…!
月面レースをしている時、のび太と一緒にバッテリー交換しながらする2人の会話は心の距離がグッと縮まった良いシーン。本作はキャラクターの心情や心の動きを捉えた情緒的な演出が多い。
余談だが、辻村先生が書いた短編「ルカの地球探査記」でルカの帽子とジャケットはどこで調達したものなのかが分かるのだけれど、F作品大好き人間による良質な二次創作と言った風合いでとてもお気に入り。この短編に出てくるF作品とそのキャラクターが大好きなのでニヤニヤしてしまった。


「彼奴等の想像力が破壊を生み出したのじゃ」

「違う!想像力は未来だ!人への思いやりだ!想像することを諦めた時に破壊は生まれるんだ」

なんと言っても私にとっての本作の中核はディアボロとドラちゃんのこの応酬だ。
破壊兵器とディアボロと言うAIを生み出した人間の想像力を嘲笑うディアボロに対してそれは違うと反論するドラちゃん。ここまで真っ直ぐなセリフを照れたりせず、素直な気持ちで受け止められるのもドラえもんと言う作品の良いところだ。
そして、このセリフに私は現実世界でドラえもんが描き続けられることを重ねて見てしまう。人間の持つ想像力がドラえもんを生み、制作を続けることが困難な時があっても、それでも諦めずに人はドラえもんを長年描き続けてきたのだ。そうして未来に生まれる子供と未来を生きる大人のためにドラえもんは存在し続ける。このセリフを当の本人であるドラちゃんが言うということにもう涙が溢れてしまう。人間の想像力を、その力で生まれたロボットから肯定されることの喜びよ…。私たちが想像することを諦めなければいつか必ずドラえもんに会えるんだって言われたみたいで、嬉しい。

さらに想像力=「思いやり」でもある、と言うところも本作では大事な方程式だ。
ママがのび太のおやつを「準備」してくれる、そんなミクロな視点からゴダール夫妻が予言を信じて1000年後のルカ達のためにピッカリゴケ的なものを「準備」して壮大なスケールで助けてくれたことを、「のび太のおやつと同じだね」と言って再びミクロな視点に収縮する。この伏線が私は大好きでして。
準備する側にあるのは思いやりで、思いやりと言うのは相手が困ってないかな?とかお腹空いてないかな?とか、自分に何か出来ることはあるかな?とかを「想像」することだ。

この想像力があるから人は人と出会い、友達になることができる。
ルカがなぜ出来杉ではなくのび太に頼ろうと思ったのか、ジャイアンが家を出る前にお店のお菓子をパクってきたのは何故なのか(ホントは良くないことだけどね!)、スネ夫の前髪がなかなか決まらなかったのは何故なのか、しずかちゃんがノビットの定説バッジで閃いたのは何故なのか。みんな思い思いの想像をして、思いやりをもって行動していた。そんな彼らの心境を考えることでまた、私たちは「想像」することの楽しさを享受できるのだ。

最後にのび太がルカに言う
「バッジがなくてもいつでも会えるよ。ボクたちには想像力があるんだから」
と言うセリフは"心をゆらす"素敵なシーンだ。月は未だ地球からは数ヶ月かかってもなかなか到達出来ない場所。それどころか、異説クラブメンバーズバッジを封印することでもう物理的に会えなくなる。それでもお互い、今は元気かな、困ったことになってないかな、笑って過ごせているといいな…と想像を巡らしながら相手のことを想う、そんな時は必ずまた会えるのだ。最初から最後まで初志貫徹だったストーリーの落とし所が暖かい。宇宙開拓史を意識した別れの描写がまた泣けてくる。

この一連のシーンやセリフが生まれたのは、監督側と脚本家側でちゃんと両者の「ドラえもん観」の擦り合わせと意思疎通が出来ていたからかな…と勝手に思っている。八鍬監督と辻村先生の間で結構意見が衝突することもあったそうだが、これまでの八鍬監督の描くドラえもん観と、辻村先生の描くドラえもん観は割と一致しているように感じているので、ここにゴールが設定されてるのは最初から合意だったのかな。これは私の「想像」だから、事実は分からないけどね。そうだったらいいなと思う。

細かすぎるが好きなシーンは中盤、ルカ達を助けるため地球から飛び立つ際、のび太がポッドに乗る時に持ってきた枕をススキ野原に落としてしまい名残惜しそうに見てるカット。これをするために枕持たせてたんかなと思うくらいジワジワと面白い。画面端に小さく描かれているので見逃さないでほしい。
アルがめちゃくちゃジャイアンに懐いてて、アルのこと抱っこしながら月クッキー食べてたジャイアンの様子も可愛くて良かった。アルの無邪気な振る舞いにお兄ちゃんごころをくすぐられたんだろうなぁ。

EDは新日本誕生から引き続き金子志津枝さんの暖かみのあるイラスト。本作を観た後の余韻がじんわりと広がる素敵な絵だ。

月面探査記は「あのセリフ良かったな」「このシーンの演出好きだったな」と言った感想が永遠に出てきてしまう、私にとってそんな作品だ。丁寧に作られた物語と丁寧に作られた映像表現は人間の想像力をより一層豊かにする。大好きなドラえもんの映画を観てそう思えることが何より嬉しい、大好きな作品。

▼辻村先生と八鍬監督のスペシャル対談

▼ 民間月面探査プログラム「HAKUTO-R」ミッション1月面着陸について(第二報)

▼2020ドラえもん映画祭の時の感想



●のび太の新恐竜(2020)

記念すべきドラえもん連載開始から50周年作品で映画ドラえもんとしては40作品目。監督 今井一暁さん×脚本 川村元気さんのコンビ第ニ弾。これも「とても好きな部分」と「超モヤモヤする部分」が同居していて複雑な気持ちになる作品。

前半の日常部分の演出や描写がすごく良い、インスタントミニチュア製造カメラを使ってノビザウルスランドを作っているダイジェストのシーンは楽しさが溢れている。キューとミューを白亜紀に返す前、ジャングルジムに自分の名前を書く時のび太の最後の点を打つところでカメラアングルが変わり、最後のノビザウルスランドがデカくなった時にようやく「のび犬」って書いていたのがわかる演出とかかなり好きだ。探検隊セットの衣装もみんな似合っていて可愛い。一回ジュラ紀に間違えて行ったり、白亜紀に到着した時のワクワク感もよく描写されている。全体的に絵コンテが上手いんだと思う。キューとミューは本当に可愛い。この映画の前半部分はとても好きだ。

けれど、TPが出てきたあたりから、というかファンサービスのピー助が差し込まれたあたりから様子がどんどんおかしくなって行く。

はぐれたジャイアンとスネ夫のことを完全放置してのび太とキューのドラマが進むのもなんだかなぁ。明らかに間違ったスパルタを強いてしまうのび太の描写は見ていてしんどい気持ちになってしまう。正しい方向に導く存在がいないので不安がすごい。キューが飛ぶ事とのび太が逆上がりできるようになることを同列に並べるのも良くない。できるようになる為の前提条件がまるで違うので…

個人的な解釈の話だけど、F系男子のマインドとしては「別に逆上がりできなくたって死ぬわけじゃないしいいじゃん!」の方がしっくりくるし、実際作中でもそのようにのび太は言ってる。(逆にキューはこの前提が崩れるから、だから同列に扱うのは悪手だと思った)…けど、逆上がり出来ないよりは出来た方がいいので、「道具の力を借りてやってたらいつのまにかコツを掴んで自力でできるようになってた」ぐらいの落とし所がちょうど良いなと思ってる。これはキテレツ大百科でそう言う話があった。けど、本作ではそう言う方向に話は進まず、根性論みたいな特訓で飛ぶ練習したり逆上がりの練習したりするので、自分の好みではなかった。このシーン見ていて、たぶん川村元気氏は逆上がりが出来る側の人間なんだろうなぁと思ったし(事実は分からない、私の勝手な印象なのであしからず)、このようにモヤモヤ感じるのは私が逆上がりできない側の人間だったからなのだ。そして、ドラえもんを観ている子供達には逆上がりできない側の子供もたくさんいるはず。たぶんF先生は逆上がりできない側の人だったんじゃないかなぁとも思ってて、そこの噛み合わなさもよろしくなかったな、と今は感じてる。

もう一つ語りたい。
キムタクTPがキューが羽ばたいた時に「進化の瞬間だ!」って言って興奮するけど、生物の進化の瞬間を捉えることは不可能だと私は思ってる。私たちの世界の生物の「進化」は同一個体で行われるものではなく集団レベルで、それも何世代にも渡って長い時間をかけて行われるもの。飛べなかったキューが頑張って羽ばたいて飛ぶと言う行為を「進化」と呼ぶにはいささか疑問がある。もっと長い長い時間の中で、もしかしたらキューよりも前にバタついてた個体もいたかもしれない。途方もない時間をかけて行われる進化という現象に私は胸がときめくので、キューだけに「進化」の役割を与えられるとモヤモヤしてしまった。
科博の地球館にある恐竜の展示説明に下記のような文章があるけれど、この文章を読んだ時に今作のことを思い出したりなどした。※「どこまでが恐竜でどこからが鳥類か、その境界線が引けないほど連続的な進化があったことが化石で確認されるようになった」「連続的な変化の中に境界線を引いて分類したいと言うのは人間の勝手な都合にすぎない」

ここでこの行動を進化と呼んでしまうとポケモンの「しんか」の文脈になってしまうのよね。ポケモン世界での「しんか」は同一個体で行われるものなので、この新恐竜のストーリーがドラえもんじゃなくてポケモンだったらきっと私はもっと感動できただろうなと思う。キューとミューのデザインもヌメルゴンぽいしさ。キューとミューが新発見された古代ポケモンとかで、サトシのピンチを救う為に「しんか」して姿を変え飛べるようになって、それが後の鳥ポケモンの分類の起源になるとかだったらめちゃくちゃワクワクしただろう。でも私はドラえもんを観ているので、「これがポケモンだったらなぁ…」なんて残念に思いたくないのだよどっちのコンテンツも大好きな立場としては。生物の進化の瞬間だと言いたいがためにTPを出すからいらないモヤモヤが増えるのだ。TPが出しゃばらなければこんな長文書かなくて済んだんだ。

まったく関係ない話だが、以前行ったポケモン化石博ではポケモン世界の「しんか」と私たちの世界での「進化」の違いを丁寧にパネル説明していて、それがすごく良いなと思ったし好きだった。しかも一部のコアなファンにしか伝わらない「セパルトラ」ネタまで使って!閑話休題。

作品に蔓延るマッチョイズムやTP達の思いやりのなさ、生物の進化に対する解釈の違い、説明がしづらい完全にファンサービスとして描かれたピー助の描写。この作品に対してモヤモヤする要素は多々あるが、見返してみると、のび太達の行いが自己満足にしか感じられないのが私がこの作品を楽しめなかった最大の理由かもしれない。恐竜達は隕石衝突から助けてくれなんて一言も言わない。恐竜達が死んじゃうのが自分達が辛いから助け出したい。でもノビザウルスランドに移動させたあとはもうほったらかしだ。彼らのこの行動は、私にはどうしたってその場限りの自己満足に感じてしまう。似たようなことをワンニャン時空伝でもやってるし、そもそもラストの流れは竜の騎士と同じなので行為そのものを全否定したい訳ではないが(自己満足も全てが「悪」とは思わないが語ると長くなるのでまたいつか)、その考え方の危うさや、自分達が手を出した生態系が自分達の手を離れる為の理由づけまで描いて欲しかった。…でもこんな事言ってると海底鬼岩城のエルくんが私に向かって「そんな受け取り方しかできないんですか…危機に陥っている者を見殺しにできないという人間らしいこころを…」と語りかけてくるのでこれ以上言及するのはもうやめよう。同じ人間として恥ずかしいと言われちゃう。
んまぁ色々語ったけど、個人的には前半のワクワク感と終わった後の気持ちの消沈具合の落差が大きい作品だった。

しかし自分のドラえもんに対する解釈や、物語そのものに対する考え方などが浮き彫りにされたので、決して嫌いな作品ではない。語ろうとするとどうしてもすごい長文になっちゃうしね。語れることが多いのは良い映画だと思う。初見時は嫌いだなあって思ってたけど、時間が経って見返してみるとだんだん好きになって来た作品。モヤモヤする部分は変わらないけど…。

新恐竜、さまざまな人の中のさまざまなドラえもん論を浮き彫りにしたのはすごいところだと思う。好きって人の意見も、怒りが爆発してる人の意見(新恐竜否定派は怒ってる人が多い印象)も両方興味深く読んでしまうのでレビュー映えする作品とも言えよう。観て損はない。

▼※国立科学博物館 地球館B1 始祖長の説明

https://shinkan.kahaku.go.jp/kiosk/50/4k/B1-1-2/B1_01_JP_106.html

▼初見の時の感想


●のび太の宇宙小戦争2021 (2022)

監督 山口晋さん×脚本 佐藤大さんによる傑作リトスタのリメイク。コロナ禍で1年間公開が延期した本作。2年間待ったと言う気持ちも相まって映画館で観た時は感無量だった。んもう〜これも大好きなリメイクよ。ちょうど観た時にメンタルが落ち込んでいたこともあり、そんな落ち込んでいる自分をも肯定してもらえたような、奇妙な恩を感じてなんだか冷静にレビューできない作品。カウボーイビバップや攻殻機動隊やエウレカで好きだった佐藤大さんが脚本と言うところも個人的にポイントが高い。もうとにかく大好き!!

冒頭、クロマキー合成を行う撮影現場を丁寧に描いた特撮映画風のOPクレジットが楽しい。旧作とはまた違ったアプローチのパロディ的遊び心に満ちたOPだと思う。OPでTVシリーズの主題歌が流れないのはやや寂しいが、これはこれで趣のある幕開けだった。昭和の円谷特撮とかってこうやって噴煙を撮影してたのか〜へぇ〜と勉強になった。

ドールハウスやメロンや牛乳風呂など、小さくなって楽しみたい遊びたいのワクワク感(特にバギーシーンは山口監督の趣味部分も垣間見えて楽しい)が大切にされていたのも良かった。ピリカ星で元の大きさに戻った後、原作にはあって旧作にはなかった、無人戦車を使って反撃をするアイデアが今作では採用されていたのも嬉しいポイント。戦車を叩いて攻撃するのが面白かった。リーダーさんの「この一帯は閉鎖地域で、市民のことは気にしないでー!」と言ったさりげないセリフも、ストレスなく観れる作品にするのにひと役かっている。
本作オリジナルキャラのピイナ姉さんはちょうど良い存在感だったが、ゲストキャラが都合よくしずかちゃんに似ている展開はやや食傷ぎみかも。(18年宝島でもやってたしね)

本リメイクで原作旧作からの大きな変更点は人質になったしずかちゃんと引き換えにパピくんが捕まる、という(本来の)流れを間一髪助けにきて救出する展開だろう。初見でこれを観た時はかなりブチ上がった。旧作を知っていて(大好きで)本当に良かったと思った。助けにきたのび太達、それでもドラコルルとの約束が…としぶるパピくんにタックルするしずかちゃんの姿が凄く勇ましい。原作旧作では「自分のせいでパピが捕まってしまった」と悔しくてたまらず涙を流した彼女が、まるで自分自身で過去の雪辱を晴らしたかのような気持ちになった。激アツである。

その後、自由同盟と合流するまで原作旧作では描かれなかったパピくんとのび太達との心の交流が新たな形で描かれたのは本当に嬉しかった。原作旧作でも行間から想像することは可能だったパピくんの10歳の子供としての悩みや葛藤。それらに具体的な輪郭が与えられたのは「宇宙小戦争」の魅力をより深く掘り下げたように思う。しずかちゃんとのやり取り、スネ夫とのやり取り、のび太とのやり取り、それぞれの関係性の中で描かれる今作のパピくんの様子に、旧作の主題歌「少年期」の曲を重ねると泣けてくる。

今作はスネ夫が1度ならず2度も拗ねて1人落ち込む展開がある。私はこの「スネ夫の生きづらさ」にちゃんと触れてくれたことにとても感謝してる。しかし色々感想を検索してると、スネ夫が2度もヘタれる展開に疑問を投げかける人達も多く、私はその感想にとても傷ついたりもした。
本当は危ない戦争に着いていくのは嫌だったけど、周りの盛り上がりに合わせて着いていかざるを得ない、のび太でさえやる気を出しているんだから、自分も本当は勇気を出して立ち向かうべきだって分かっているけど、でも………と同じところをぐるぐる回ってしまうスネ夫の生きづらさ。それを何度も丁寧に描き、肯定してくれたこと、スポットを当ててくれたことが私は嬉しかった。自分にもそう気持ちに心当たりがあるため、スネ夫にとても共感した。この「宇宙小戦争」はスネ夫のための映画であり、そしてスネ夫のことを大好きになれる映画なのだ。
パピくんの「あなたの知恵と勇気がなければ今ぼくはここにいません」というセリフがスネ夫の自己肯定感をどれほど上げたか。しずかちゃんがスネ夫の作ったラジコン戦車で出撃する様子を見て、スネ夫がどれほど勇気をもらったのか。人は何度だって拗ねていい、その度に誰かが必ず気がついて勇気の種をくれる。だから頑張れる。それを優しく真摯に誠実に描くとこうなる、という納得感を私はこの映画に感じていた。だからそれを否定されると、私はひどく傷つくんだなってことも、(インターネット上の)人々の感想を見て知った。今作のスネ夫の描写は色々なものを感じさせてくれたのだ。

しずかちゃんがいじけるスネ夫の前に彼の脱いだ靴を置いてそっと去る描写が好き。一歩踏み出すためには靴が必要。置かれた靴の先がスネ夫にとってどの方向に向いているかも含めて注目したいカット。あ〜んもうリトスタのしずかちゃんとスネ夫大好きだ。

今作オリジナル部分でもう一つ熱かったのはパピくんの演説。パピくんにとって、のび太達の思いやり(「おせっかい」と言ってもいいかもしれない、彼らのそんなところが魅力的なのだ)が、どれだけ嬉しく勇気を与えてくれたかを想像するとグッとくる。

「人を思いやる気持ちこそが、宇宙で一番大事な約束なんだって…」

今までもずっとずっと、40年以上、ドラえもん映画では友達への思いやりが物語の原動力だった。私は彼らのそんなところが大好きだったので、パピくんのこの言葉はとても響いた。人を思いやる心は「約束」なのだ。その約束を交わす人が多ければ多いほど誰かを攻撃する理由はきっとなくなる。パピくんはピリカの独裁を終わらせるために、のび太達からもらった思いやりの心の種を演説という形で撒きにきた。原作から引用される「やがては国民の怒りがピリカの空に燃え上がり、独裁者を焼き尽くすだろう!」というセリフは迫真。原作のこのセリフはとてもセンスが良いと思っていたので、38年の時を経てようやくピリカ国民の耳に届いたのも感無量だ。中継を見ていた子供の「パパ、独裁者ってなに?」という言葉も胸にくるものがあった。
おそらくパピくんは自由同盟基地でゲンブさんのギルモアに反対する市民が立ち上がれば…って話を聞いた時にこの演説をしようと思いついたのだろう。のび太と話すことで逆に迷いがなくなってしまったところもありそう。(のび太に対して)「迷ったら相談します」(ギルモアに対しては)「私の心は元より決まっています」と言ったセリフは嘘は言っていないが、嘘をつくことが大嫌いなパピくんにとっては悩ましい言葉の選び方だったと思う。

渾身の演説とは打って変わって言い切った後の諦念に満ちた表情、と言うかピリカ星に戻ってきてからのパピくんの心を閉ざしたような様子には少し心の裏側がざわざわした。10歳の少年がする表情にしてはちとアンニュイすぎないか……ラストでピイナ姉さんの前で堰を切ったように涙が溢れてくる様子には安心した。彼にちゃんと泣ける場所があるのも、今作の「思いやり」の一つだ。

ピリカ入りする際の流星に扮して地表スレスレで反転作戦、ドラちゃんの「どうだい!」が印象的。一発撃って地表に衝撃を与えてから本当にスレスレで機体を反転させる技術がめちゃくちゃカッコよかった。今までドラちゃんのことを可愛いとかカッコ悪いとか思いこそすれ「カッコいい!」と思うことはあまりなかったので、この「カッコいいドラちゃん」は個人的にはとても新鮮。作画芝居も妙に凝っており、気持ちの良いアニメーションだった。しかし、この旧作からパワーアップしたドラちゃんの機転も、PCIA側もより高性能になった観測技術で敢え無くバレる。この両者共に昭和よりパワーアップしている感じがなんだか面白かった。

終盤のしずかちゃん巨大化によるフェチが相変わらず凄まじい。同じく巨大化シーン、のび太が落ちるパピくんを助けようとして一緒に落ちる場面は、直前に元の大きさに戻れるのが示唆されているため緊張感に欠けるが、それでも巨大化した時の高揚感は不思議とバッチリ。なんなんだろうね、驚きがなくてもドラマチックに人がデカくなるだけで興奮する器官が人間にはあるのかもしれない。

ドラコルル長官のヒール感も旧作同様に大変魅力的だ。夜の公園での会話が好きなのは旧作のレビューでも語ったが、地球人達にしてやられた後の彼のセリフ、
「ヤツが嘘などつくものか…全てはパピの仲間たちの力をみくびった結果だ」
ともはや意味深なレベル。どんだけパピくんのこと知ってるんだと余計に深掘りしたくなってしまった。この2人もしかしたら同じ大学出身だったりしないかな…。かつての学友かもしくはライバルとかだったらどうしよう…。妄想が広がってしまう。側にいる副官の愉快さも良い清涼剤になっていた。

ラスト、驚く出来杉くんに向かって「聴きたい〜?」とみんなが詰め寄るのも大変可愛らしく粋な終わり方だ。映画の最後に出来杉くんが出てきたのって初めてかも?みんなの冒険譚を羨ましくなりながら聴いたんだろうなぁ。主題歌の「Universe」も炭酸飲料のようなシュワッとした爽やかさで観賞後の後味がもう最高。劇中では流れないが2番歌詞の「立ち向かう逃げ出すどっち 答えを決めるのはどっち 本当は分かってるんだけどね 不安で」と言う歌詞は今作のスネ夫の心情にとても重なっていたと思う。

ドラ映画のリメイクは今作含めてこれまでに7作品あり、シナリオの変更具合も作品によって様々だ。原作にほぼ忠実だった新大魔境と比べると今作は大胆なアレンジも多い。しかし色んなところをたくさん変えたにも関わらず、ちゃんと原作の漫画と同じストーリーだと感じるように作られているのがすごいところ。伝えたいメッセージのために変えてはいけないポイントを押さえており、変更した部分は「今」を生きる子供達に伝わるように改変したのだと言うのが分かる。
辻村深月先生と瀬名秀明先生による今作の対談感想があり、そこでその辺も言及されていたりするのだが、今この物語の魅力を伝えるために何が必要か、誰の感情が見える必要があるのか、誰のための物語なのか…そう言った「約束」がしっかりと定められていたからこそ、改変されたポイントには納得感が強く、今作のテーマである「人に対する思いやり」を持って「今、自分が出来ることを精一杯やる」と言ったメッセージの強度は増したのだと思う。
今作を始めて劇場で観た時、上映終了後に後ろに座っていた男の子が「面白かったねー!」とお母さんに言っている様子を聞いて「あぁちゃんと伝えたいターゲット層に伝わってる……😭」と制作側でもないのに嬉しさが込み上げてきた。そんな状況も含めて令和における最高の映画ドラえもん体験が出来た。今までドラえもんを作り続けてくれた制作スタッフへの感謝が止まらない。思いやりに溢れた映画ドラえもんを作ってくれて本当にありがとう!

▼辻村深月×瀬名秀明スペシャル対談

▼初見の時の感想



●のび太と空の理想郷(2023)

こちらは劇場で一回観た時の感想になるため、今観たら違った印象を抱いたり、思い違いをしている部分などあるかも。どうかご了承ください。以下初見時の感想。

トマス=モアの「ユートピア」を下敷きに、パラダピアという名のディストピアを描いた本作。この作品も「良いところ」と「良くないところ」が両方とも内包されており、個人的には手放しでは褒められない作品。ブリキの迷宮や新恐竜ほど極端ではないが、良い描写も多かった分、引っかかりを感じた描写にはとてもモヤモヤしてしまった。

トマス=モアから理想郷伝説に興味を持つ流れはドラえもんにおける様式美。タイム新聞で色々調べる様子も楽しく、タイムツェッペリンやインスタントひこうきセットのデザインも趣味的な遊び心を感じて良かった。服部隆之さんの劇伴もスチームパンクな雰囲気に彩を添えていた。服部さんが映画ドラに参加するようになって何作か経つけど、どんどん良い仕事をするなぁと感じる。ディズニーシーのポートディスカバリーで流れる音楽みたいな、あの辺の浮遊感あるスチパンぽくて好きだった。
逆にパラダピアのビジュアルはもっと趣味趣味した作り込みが欲しかったかな。まぁわざと無機質にしたような気もするが。ユートピアと思っていた場所は実はディストピア……のシナリオは三賢人があからさま過ぎて驚きにはならず、その手法自体は悪くないがもう一捻り欲しかった。パラダピアの黒幕の博士やソーニャもかつてはのびドラと同様に世間に対して劣等感を抱いていた、という要素は良いアイデアだった。

良かったなと思った部分はソーニャ周りの描写。彼は魅力的なキャラだと思う。ソーニャを通じて見たドラちゃんとのび太の関係性も丁寧に描かれていてそこも良かった。「お互いにダメダメだと言いながら、相手のそんなところが好きだと言っているようですね」的なセリフは2人の本質を言い当てていてほっこりシーン。
ソーニャの4次元ポケットの中にタケコプターだけが残っていたという展開も熱い。パンドラの箱の奥底に眠っていた希望はタケコプターの形をしてるだね…涙涙。ソーニャ泣けるポイントは個人的にあそこが1番だった(逆に自己犠牲エンドは首を捻ってしまい、私は感動できなかった)。いつも故障率100%で、さらに今作では飛行機に乗るため全く出番のなかったタケコプターさんが最後の最後で面目躍如と言わんばかりに活躍したシーンも胸熱。大変熱かったのだが、結局は(ソーニャに)壊されてしまい、やはりタケコプターは故障する運命なのだと笑ってしまった。
今までゲストキャラと友情を育むのは基本のび太で、ドラちゃん自身はあまりゲストとの友情を育むのはシーンがなかったのが、今回ほぼ初めてフューチャリングされたのは嬉しかった。ドラちゃんは保護者的な立場のためいつも一歩引いているけれど、今作ではソーニャに対して同じネコ型ロボットとしての矜持を示し、ドラちゃん本人の掘り下げにもなっていた。

良くなかったな、と思った部分は最後のソーニャの自己犠牲について。これに関しては2点あり、1つ目は「他に何か方法ありそうだった」と感じてしまい彼が犠牲になる理由が薄かったのがよろしくなかった。5人も人手はあったし、少ないひみつ道具を工夫して使えばやっぱり何か出来そうだったと思ってしまう。バギーちゃんやリルルの決断に泣けたのは、「他に方法はない」という絶望感の中での行動だったからだ。何かできる余地がありそうで(具体的に何があったかはパッと思いつかないけど、くりまんじゅうみたいに宇宙に飛ばせなかったのかなぁとか思っちゃう、道具の制約が露骨すぎた)ソーニャは諦めるのが早すぎだった。もっと目の前の友達を信じて、諦めないでほしかった。
2つ目、今回のテーマでもある「ぼくらの"らしさ"が世界を救う」はここでこそ発揮できた場面ではないのかと思った。ジャイアンの怪力、スネ夫の手先の器用さ、しずかちゃんのひらめき力、のび太の射的、ドラちゃんの機転の良さ、彼らの個性や良いところはたくさんあって、一人ひとりが「ありのまま」で良いのだということを作品として伝えたいなら彼らの個性を使って危機を回避することこそキャッチコピーの回収になっただろうに…と欲しいものが来なかった肩透かし感を感じてしまった。私の好みとしては、4人の子供たちと2体のネコ型ロボットの持つ「個性」で危機回避する展開の方がよっぽど泣けたんだよな、と言う気持ちがある。ソーニャ周りの描写は良かったと感じていただけに、個人的残念ポイントだった。

「欠点」があってもそのままでいいよ、とメッセージを送る場合、欠点だと思われてるものも時と場合が変わればそれが長所になったり誰かを救ったりする性質に変わるから、という話をして欲しい、というのが個人的な意見だ。
普段はダメダメなのび太が重力の少ないコーヤコーヤ星に行ったらスーパーマン並みの力を発揮できたりとか。ジャイアンの意地と強情のせいでヘビースモーカーズフォレストの大冒険はみんなにとっては窮地のものになったけど、ペコにとってはそんなジャイアンのおかげでバウワンコ王国に戻れた。いつもはチビと呼ばれるスネ夫がピリカ星に行けば大男と呼ばれるようになった。しずかちゃんは欠点らしい欠点って(バイオリンぐらいしか)すぐに思いつかないけど、それぞれの特性は場合によっては欠点になり、場合によっては最大の武器になり得るという価値観の逆転的な発想はF作品の中でもたびたび描かれている。これを突き詰めていくと「ミノタウロスの皿」や「気楽に殺ろうよ」みたいな常識的な倫理観そのものを疑い、逆転させるみたいな異色短編に辿り着くわけだけど、まぁ今回は置いておく(でもF先生のおかげで既定概念さえも疑えという考え方を私は学んだのだ)。

「欠点」をらしさとして描くなら別側面から見える部分を、ある程度ロジカルに伝えてくれた方がシナリオに説得力が出たんじゃないかなと思うんだよね。のび太の感動的なセリフや目に見えない友情パワーでみんなが正気に戻るよりは、もっと理詰めで「個性」を輝かせてほしかった。ジャイアンが歌ったせいで操られた人たちが正気に戻った、とか…そう言うシーン見たかった。「彼の歌も誰かを救うだろう」なんだから。

ただこの「価値観の逆転」的な話をすると、パラダピアだって人によっては本当に楽園たりえた可能性だってある。争いも飢えもない、言われた通りのことだけやっていれば生活してゆける。生きていく上で「感動」は必要ないって思えばそんな人にとっては楽園な訳だ。それらを一方的に否定をするのは、思想に対してまた別の思想で上塗りをする危うさを孕んでしまう。だからこそ「あくまで一方の価値観」「そう言う側面がある」と言う考え方を伝える物語にしないと結局は思想の押し付けになってしまうのだ。「君だったらパラダピアをどんな場所にしたい?」という想像力を掻き立てる必要があったんじゃないかなぁ…と個人的には感じた。

最後にもう一つ、序盤の虫が実はドラちゃんだったって言う展開は「魔界大冒険」などを彷彿とする伏線の張り方で良いのだが、実際の展開だと虫になった理由が「伏線を回収するための伏線」みたいに感じてしまうのは残念だった。虫になったらなったで、ずっとのび太の側にいて窮地を知らせていた……とかだともっと意味合いが出てきたかもしれない。まぁ実際虫の状態でのび太の周りぶんぶん飛んでたら早々に潰されて死にそうではあるが…。その辺は演出力である程度操作できそうでもある。

ユートピアのディストピア性を描いた作品と言えば、F先生の描いたモジャ公「天国よいとこ」のエピソードが大好きで、私はあの話に描かれてる精神性と恐怖に大変痺れたのだ。シャングリラ星での天国のような都合の良さと不気味さの温度感、ソラオたちの「もらったつもり、食べたつもりで生きてるつもり ソンナノイヤダー」という短いセリフの切実さ、最後の最後で唯一救ってくれたのは人間同士の繋がりと思いやり、さらにオチのタコペッティさんの可愛さときたら!今でも傑作だと感じる一編。それに比べると(比べちゃうのも良くないのだが)、今作のパラダピアは世界設定の描写力と人間の精神性への踏み込みが私にはやや浅く感じてしまい、手放しで好きだと感じられなかった。まぁでもこれは好みの部分が大きいかな。

●のび太の地球交響楽(2024)

今井監督3作目のドラ映画!脚本は「さらざんまい」の内海照子さん!来年もたのしみだ〜!毎年ドラえもん映画が観れるってサイコ〜〜〜!✌️✌️✌️


●あとがき

全部でおよそ5万5000字になったドラえもん映画語り。いったい誰が読むんだ……と思いつつ、自分の言葉でドラえもんを語りたいという欲求を叶えるため、およそ半年以上をかけてちまちま書き進めnote公開と相成りました。アマプラさん長期間配信していてくれてありがとう。あとそろそろ瀬名秀明先生が本編映画の脚本担当してくれないかな〜って希望をずっと持っている。

ここ数年、人のドラえもん感想を読んではものすごく共感したり、反対にものすごく落ち込んだりすることが多く、人によって「ドラえもん論」って本当に差が大きいんだなとつくづく感心した。その人ごとにドラえもんがあり、同じドラえもんは一つとしてないのだ…。

たぶん人と違う意見を見て落ち込んだりする理由の一つとして「私にとってのドラえもんはこうです」と意思表明をしていないところもあるのかなと思い、せっかくならまとめよう!と言う気持ちになりました。Twitter改めXで呟いてもやはり刹那的だし、2020年のドラえもん映画祭がすごく楽しかった(神保町シアターのスタッフの皆様本当にありがとうございました…)思い出も自分のためにアーカイブとして残しておきたいなという思いもあり、昔の感想も各作品へのリンクにつなげました。

その日の気分でバラバラに観て、長いスパンでちまちまと書いていた弊害もあり、作品ごとの文章量の差が激しくなってしまったのはちょっと後悔。宇宙開拓史とか大好きだけど、今感想を読み返すとなんだか素っ気ない。でもまた見返して文章を増やす作業を進めると終わらなくなるので、どこかで打ち止める勇気も必要だった。
新恐竜が初見の時と今観た時で受ける印象が変わっていったように、5年10年20年するとこれまでに書いた感想とまた違った感想を持つかもしれない。そんなタイムカプセル的な楽しみ方が出来るように、今の私がドラ映画をどう捉えているのかをまとめることができて良かったです。
私が公開しよう!と思ったように、誰かがこれを見て「いやいや自分のドラえもん論はこうだし!!!」と思って発表してくれたら嬉しいなと思います。(こんな長い語り誰も読まんよ)


ドラえもん映画、できればドラちゃんが生まれる2112年まで続いて欲しいし、私も出来るだけ長く生きてこの先の未来にも生まれるだろうドラえもん映画を観続けたいなと思います。

ドラえもんとアニメーションは永遠に。