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学校の先生にならない理由

私の通う大学は教師を目指す人が圧倒的に多い。

教育学部を筆頭に小学校や中学の先生を志す人が多く、教員採用試験の合格実績も上位の方にいる。私自身教育学部ではないが、教師も目指せる学部学科にいて、入学した当初は先生も選択肢の一つにあった。しかし、教職の道に進むことは選択から外した。理由はこの後書きたい。



自分で言うのもなんだが、私は周りから「先生に向いてそうだね」みたいなニュアンスで言ってもらえることが多い。実際に、面倒を見たりサポートをするのは全然億劫に感じないし、むしろ好きな方だ。純粋な気持ちで向き合えると思う。子供の成長に立ち会えるのはこの職ならではと思う。



でも私の場合、真っ直ぐ向き合うのにこだわりすぎて病んでしまう気がする。子供たちの上に立って引っ張らなきゃと焦って空回りしてしまうと思う。それで心が疲弊し、子供を守る「先生」という役割を忘れてしまいそうだ。


そう思うのは、高校時代の経験からだ。高校の時、私は学校の部活には入らず、市内の色んな高校生が集まり子供と関わるボランティア団体に所属していた。地域のこども会から要請があったら、ただ、ボランティアと言っても子供と遊んで終わりではない。それに答える形でキャンプやお祭り、クリスマス会などに出ていた。週に2,3回集まって次の要請の会議やレクの内容、キャンプファイヤーの準備など具体的な役割を決め、子供たちを楽しませようと一つ一つのイベントに対して、本気でやっていた。


それを高校1年から2年間していた。やって良かったし、普通の高校生ではできないかけがえのない経験だったと思う。

このボランティアは子供たちのお姉さん、お兄さんの役目なのだが、リーダーとなる「学校の先生」の要素もあったと思う。特に、3泊くらいの長期要請の時は四六時中子供たちのためにと、気を配らなければならなかった。子供と関わるのは楽しかったけど、「子供のために」と自分の全てのエネルギーを注いで極めるのは、身が削られるようでしんどかった。もっと楽観的にやればいいのだけど、私は一つのことにのめり込むタイプだから、そうはできなかった。そういうわけで、これを職にするのはとてもじゃないけど、無理だなと感じている。


でも子供は好きだから、親戚や近所の子と関わったり、自分の子供が出来て可愛がりたい。当たり前だけども。

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