幸せとは

"Respect Others"

幸せとは、大切な人に降りかかった雨に傘をさせることだ。

僕の好きなアーティスト、back numberは
「瞬き」という曲でそう答えた。

シンプルにこの意味を捉えることも可能だ。
そして、そう捉えたとして
大切な人に傘をさせる存在であるということが
「幸せ」なんだと思う。

それとは別に
比喩的な表現として扱うことも出来る。
大切な人が困ってる時に支えてあげること
「幸せ」だと。


僕は前者後者のどちらでも「幸せ」だと感じる。


僕はある時から、「幸せ」のハードルを下げた。


その方が圧倒的に、幸せになれる。


昔は、自分が満ち満ちた状態にならないと
それは幸せではないと思っていた。

しかし、今は違う。


なにかしらの欲求が、他人によって満たされる。
それが僕の幸せになる。

なにかしらの欲求というのは、
僕の理想であったり、野望であったり
シンプルに食欲などもそう。

他人を介して行われる行為には
嬉しさが溢れ出る。自然と笑顔になる。
「あ、自分笑ってるわ。」

そこに気づくことが出来るのは
とても幸せなことだなと。


こんな真夜中につらつらと
自分の幸福論を殴り綴る。

なにが嬉しいって、まとめた文章ではないのに
書きたいことが書けているから。

読んでほしい人にこの文章や気持ちが
届くかどうかは二の次三の次。


幸せってパートナーあってのものだと思う。
ここでいうパートナーは好きな人や大事な友達。


先日から自粛のためにほぼ引きこもりのような生活を送っているが、やはり直接的なコミュニケーションがないと寂しさが勝ってしまう。


この携帯電話の向こう側にパートナーがいようと、同じタイミングでメッセージを送っていようと。


幸せだと十分に感じるにはオフラインの
コミュニケーションが必要だ。


会いたい人には会いたいと伝えよう。



ここまでわーっと書いたが、
あなたたちにはこういう考えであってほしい!
ということを書いているわけではない。

僕はこう考えているんだよ〜
共感できる人いるかな〜?という軽い気持ちだ。

全員に伝わるわけがないこんな自分の文章で
誰かに媚びを売っても仕方ないんだよ。

感じ方、考え方なんて結局人によるんだから。


最初に少し触れたが、僕は困ってる人を助けたいと思えるタイプらしい。

それは好きな人、大事な人だと特に。

自分のことなんてほっておいて誰かを助けようとする。(本当は良くないけど)


でも、それで相手のためになるなら
相手のためになることを精一杯してしまう。



僕が誰かに対して優しくすることは
理由がある。(正確に言えば理由はない)

嫌われてる人に対しても誰に対しても優しくする。それは自分が優しく接して欲しいから。

という風に僕は思っている。


しかし、好きな人や大事な人に関しては優しさに
一切の理由もない

好きだから、大事な人だから、無論優しくする。

誰がなんと言おうと僕の中で大切な存在なんだから。


大切な人からの
「なんでそんなに優しくしてくれるの?」

その質問への答えはこれだと思う。


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