続・桃太郎

 わたしは音楽家であるから、日ごろyoutubeなどで古今東西いろんなジャンルの音楽を聴くようにしているのだけれども、ある日「おにのパンツ」なる童謡を聴く機会があり、うむむ。これは由々しきこと。と思った。

 なぜか。まず、「おにのパンツ」の歌詞はつぎのとおりだ。

鬼のパンツは いいパンツ
つよいぞ つよいぞ

トラの毛皮で できている
つよいぞ つよいぞ

5年はいても やぶれない
つよいぞ つよいぞ

10年はいても やぶれない
つよいぞ つよいぞ

はこう はこう 鬼のパンツ
はこう はこう 鬼のパンツ

あなたも あなたも あなたも あなたも
みんなではこう 鬼のパンツ 

 問題は、これが幼児向けの歌として広く愛好されているらしいことである。事実、わたしが「おにのパンツ」を知ったのも以下の動画である。

 「キッズボンボン」は毎週金曜5時更新の人気のyoutubeチャンネルで、この動画などは当記事を書いている時点で約750万回再生されている。わたしは左の女子「なる」が好みなのだがみなさんはどうだろうか。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 調べてみると「おにのパンツ」は作詞者不詳ということになっており、なるほどそれもそうだろう。と思った。不都合な真実は概してぼやかされるものである。


 しかし「おにのパンツ」が誰によって何のために作られたか、考えてみればすぐにわかることだ。

 改めて歌詞を見てみよう。この歌詞が主張していることは要約すれば以下の2点だ。

 ①鬼のパンツは虎の毛皮から作られており、非常に強度に優れている

 ②みんなに鬼のパンツを履いてほしい。

 まず②についてだが、まずこの歌が客観的目線で鬼のパンツについて宣伝しているところからして、作者は当事者である鬼ではないと考えられる。すると、鬼以外の誰かが鬼のパンツを不特定多数の人々に履いてほしいわけだ。

 となると、これは「鬼のパンツを売ってお金儲けをしたいビジネスマン」が作ったと考えるのが妥当であろう。別の可能性としては、ファッションとしての鬼のパンツが好きすぎて余人が鬼のパンツを履いているのを見て恍惚としたい変態、という可能性もないではないが、パンツというものの性質上多数の余人が鬼のパンツを履いている姿を見ることには相当の困難を伴うため、わたしは慎重にこの説を排除した。

 つづいて①であるが、鬼のパンツの性質に熟知しているということは、鬼からパンツを大量に取得できる立場にあるということだ。すなわち、力で鬼を屈服させられる者か、鬼と通商関係にある者のいずれかである。

 鬼という種族の社会的性質を考えると、後者は考えづらい。そして前者たりうる者も非常に限られた存在だ。なにせ「おにのパンツ」であり、「うさぎのパンツ」とはまるで話が違う。鬼自身が屈強な動物として名高い虎を狩って(おそらくは肉を喰らい)皮をパンツにするような剛の者なのだ。相当戦闘能力に長けた者でなければ鬼を屈服させることはできまい。


 おそらくあなたはここまで読んで、犯人を特定することができただろう。

 そう、かの有名な桃太郎である。

 みなさんは桃太郎の話の最後を覚えていらっしゃるだろうか。以下に引用しよう。

 鬼ヶ島では、鬼たちが近くの村からぬすんだ宝物やごちそうをならべて、酒盛りの真っ最中です。
「みんな、ぬかるなよ。それ、かかれ!」
 イヌは鬼のおしりにかみつき、サルは鬼のせなかをひっかき、キジはくちばしで鬼の目をつつきました。
 そして桃太郎も、刀をふり回して大あばれです。
 とうとう鬼の親分が、
「まいったぁ、まいったぁ。こうさんだ、助けてくれぇ」
と、手をついてあやまりました。
 桃太郎とイヌとサルとキジは、鬼から取り上げた宝物をくるまにつんで、元気よく家に帰りました。
 おじいさんとおばあさんは、桃太郎の無事な姿を見て大喜びです。
 そして三人は、宝物のおかげでしあわせにくらしましたとさ。

 桃太郎の一行は鬼たちに奇襲をかけ(戦国時代、勝利を確信し酒宴を楽しんでいた今川義元陣営を急襲し大勝利を納めたといわれる織田信長のような作戦である)、鬼から強奪した財産でその後の生計を立てたということである。


 「おにのパンツ」の前に少し補足するが、この終盤の話の省略っぷりは、これまた不都合な真実を覆い隠す典型事例と言える。

 まず、イヌとサルとキジはその後どうしたのか。鬼から財産を巻き上げたにもかかわらず、「三人と三匹は、宝物のおかげでしあわせにくらしましたとさ」とは書かれていない。

 これはもちろん、イヌとサルとキジが桃太郎によって”消された”ことを示している。そして、イヌとサルとキジは動物化されているが、実際には全て桃太郎同様、人間のならず者であっただろう。動物化することによって「その後」に登場しない違和感を緩和しようというわけだ。

 察するに、喧嘩をすれば鋭い歯で相手の腕を躊躇なく食いちぎる「狂犬の犬賀」、指先に針をつけて相手を引っ掻く戦法により女性の腕力の不利をカバーして恐れられた「鉄爪の猿渡」、幼少期に空手を修めたが道を踏み外し、先手をとって相手の目を突く戦法で格上の相手を倒す「牙突の雉尾」といった輩だったのではと思われる。なお、三人を引き入れるのに用いた「きび団子」とは何らかの薬物と見て間違いない。


 桃太郎の一行は、鬼を殲滅した後、彼らの貧相な財産を前に頭を抱えたことだろう。

 「桃太郎の兄貴、これじゃ全然カネになりやしねえ」犬賀がボヤく。

 「あたいはいいよ。次はどこと喧嘩するんだい?」と目をぎらつかせる猿渡。

 少し思案していた雉尾が「兄貴、こいつらの下着はモノになるかもしんねえ。虎の毛皮でできてるから、レアだし強度も優れてるんじゃねえか」と呟いた。雉尾は喧嘩一辺倒ではなく、頭の回転も早い男だった。

 「おうよ。たしかにそれくらいしかねえな。でもこんな臭えパンツがそんなにたくさん売れるかのう」桃太郎は困惑した。

 「あんたんとこのババア、洗濯大好きだからやらせたらいいじゃない」大して興味なさそうな猿渡がバカにしたように言う。

 「キャンペーンソングでも作ろうぜ。おにーのぱんつはいいぱんつ、ってな。ははっ」犬賀もあざ笑うような態度だ。

 しかし雉尾は「二人とも悪くねえ。兄貴、歌詞は任せたよ。俺は販路とか細かいところ詰めっから」と確信に満ちた態度でまとめた。

 かくして一行はおにのパンツだけを鬼ヶ島からトラックに積んで持ち帰り、キャンペーンソング「おにのパンツ」とともに鬼のパンツの販路を展開、雉尾の戦略は見事に当たり巨万の売り上げを得た。

 欲の出た桃太郎がその後どのようにして三人を”消した”かはわからない。しかし剣術の技量においては三人の戦闘能力をはるかに超越するレベルにあった桃太郎が最終的に生き残ったということだろう。


 いささか血なまぐさい話ではある。わたしもここまで謎を解き明かしてしまって少しく後悔している。

 しかし、闘争・欲望・裏切りといった魑魅魍魎の物語も、長い時を経た今となっては幼児の群れから時折聴こえる愉快な歌としてのみ生き残っている、というのもまた感慨深いことではあるし、キッズボンボンのなる&いっちーはやっぱり可愛い。

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