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クミちゃんとブレーブス②

 ビールでも飲むか、と冷蔵庫からクミちゃんの父さんが持ってきたのは、キリンラガーだった。父はサッポロ以外のビールを飲んだ姿を見たことがなく、近所の廉売の酒屋でも殆どサッポロビールしか見たことがないので、初めて見る光景だった。


 ものめずらしそうに見ていたのが分かったのか、「ちょっとだけ飲んでみるか?」と言われ、ビールコップに半分ほど、黄金色の液体を注いでくれた。初めて飲むキリンビール。味の違いなんて知る由もなく、苦い味だった。「そのうち、ビールの旨さがわかるよ」笑顔でそんな言葉をかけられた。

 オジサンは阪急ファンなの?と聞いてみると、「いつもは阪神ファンなんだけと、オジサン大阪生まれだから、阪急を応援するよ」「阪急は足の速い選手やヒットを打つのが上手い選手、いいピッチャーも多いから、ジャイアンツも手強いはずだよ」と答えてくれた。


 ジャイアンツと殆ど知らないチームの試合は、ジャイアンツの見せ場はなかった。「阪急ブレーブス 誇り高き勇者の魂」には、当日のスコアは7対2で阪急の勝利、勝ち投手山田、負け投手小林となっていた。
 小林もその数年後、西宮球場のすく近くの阪神に来るなど予想だにしていなかっただろう。

 夕方、クミちゃん家を後にした頃は違う世界に来て、また元に戻るような不思議な感覚があった。
 クミちゃんは折角家に呼んだのに、野球ばかり見て遊ばなかったんだから、つまんなかったんだろう。その後家に呼ばれることはなかった。

 ブレーブスはこの年、4勝1敗でジャイアンツを寄せ付けず、3年連続の日本一になった。
 ジャイアンツよりも強いチームがあるなんて知らず、ジャイアンツだけが野球でないことを初めて知った時であった。

 クミちゃんは違う中学に進んだので、その後のことは分からない。サッポロの高校に進んだのか、それとも大阪に帰ったのか。時々はサッポロのことを思い出す時もあるだろうか。
 オジサンは元気だろうか。あの時苦かったビール、今は毎日のように飲んでいるよ。


 「誇り高き勇者の魂」を手にした時、もう40年以上も前なのに、まるで昨日の出来事のようにあの日の光景が甦った。 

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