【映画批評】ちいさな独裁者
信じ難く酷い実話
※過去記事の復旧です
陰鬱度 100
お先真っ暗度 100
ヤケクソ度 100
総合得点 99
いやはや、、、
これ実話なんか…監督のインタビュー読んでると史実ベースに忠実に描きつつ、観る人それぞれが色々感じて欲しいみたいですな。声高な主張は特にない。
よって時代解説とか親切なアレコレは全部排除されている。よほどこの時代に詳しくないとポカーンとするのは間違いない。非常に玄人向けの戦争映画。
ドイツは戦後戦争映画の黎明期から陰鬱で全く希望のないドシンと重い奴ばかり作ってきた。しかも日本のように銃後をフィーチャーすることはあんまりなく、常に目線は前線の兵隊さんに向けられている。
この時代、戦勝国は連合国が大活躍し、能天気でお気楽で自国の偉大さを高らかと歌い上げるようなつまんない戦争映画ばかりだった。その点ドイツは「橋」に代表されるように、心底戦争が嫌になる反戦映画を50年代から作っていた。信用できる国である。これが戦争に負けたおかげなら何とも皮肉な話だ。
45年4月、大戦末期、ヴィリー・ヘロルトなる脱走兵?落伍兵?が空軍将校の軍服を拾い、寒いからとそれを身につける。周囲はヘロルトのハッタリに騙され、フューラーから全権を委任された特務の空軍大尉だと思い込む。んであれよこれよと惨劇が巻き起こる話の運び。話の展開はテンポ良く、退屈する暇もなく見通せる。
ヘロルトは似たような脱走兵をどんどん仲間にし、山賊の親分のようになって銃後を放浪する。野戦憲兵隊の上役と仲良くなり、軍の刑務所へ連れて行かれる。そこではまたまた似たような脱走兵や掠奪者が逮捕されて汚いバラックに収容されていた。
収容所を管理しているのは内務省と軍の共同なのかな?という印象でした。内務省のトップは親衛隊全国指導者のヒムラーで、ヒムラーは全ドイツ警察長官でもある。内務省=エスエスと警察が合体したお役所。
収容所の所長は突撃隊の制服を着ているようですが、あまり強い権限は持っていないように見える。何しろ一介の空軍大尉の独断専行さえ阻止できないのだから。この当時の突撃隊はショボい後方勤務で、党の広報や国防軍入隊前の人々の軍事教練やらを細々とやっておりましたが、末期は国民突撃隊(=戦力としてイマイチな人々のかき集め。シチュー鍋なんて揶揄されていた)の一翼を担っていたようです。刑務所の所長に突撃隊が出てくるのは極めて珍しい描写。(ひょっとしたらこの刑務所は脱走兵の再教育施設なのかもしれません←眉唾)
冒頭でスコープ付きのカービン持ってヘロルトを追いかけ回してた男は憲兵大尉※です。憲兵は陸軍所属ですが警察にとても近い組織。
「ドイツ軍」と呼ばれるものの総体は、ナチス親衛隊(エスエス)と国防軍(ヴェアマハト)と警察(オルポ)、憲兵が一緒くたに語られることが多いんですよ。理由を語るのは省略しますが、ドイツ軍の制服はエスエスも国防軍も警察もよく似てるんすよ。だからややこしい。この憲兵将校は「1940年にポーランドにいた」という台詞があります。これはホロコーストに関与していたと解釈して問題ないと思います。つまり筋金入りの悪人笑。
誰も知らんとは思うが、この当時警察と軍とエスエスは一つの組織になる途中といった状況でした。エスエスはヒトラー個人のボディガードから始まり、刑事警察(クリポ)、プロイセン州の地方警察だったゲハイメシュターツポリツァイ(ゲシュタポ)と、バイエルン州秘密警察、党諜報部ジッヒャーハイツディーンスト(SD)、国防軍防諜部(=アプヴェーア)などなどを吸収し、国家保安本部という名の巨大な国家警察機構を作る途中でした。昔ながらの一般警察のオルポは組織としても人員としても巨大で、これを取り込むのは《親衛隊》を完成させる最後の仕上げだった訳です。んで、一方ではオルポから国防軍に転属する者も多く、憲兵隊に配属される者も多くいました。憲兵は少人数のエリート部隊で、隊員は下士官以上の階級が与えられ、同じ軍の階級でも同格以上の扱いを受けました。これは違法行為に対して迅速に無条件に逮捕できるという強権を与えられていたからです。また、1939年以降、戦地の拡大と治安維持の必要性からオルポの膨大な人員を軍もエスエスも欲しがっていたという背景があります。憲兵は軍人とは限らず、元警察官もたくさんいました。オルポから引き抜きがたびたびあったのです。
加えて、フューラーは国防軍を掌握しきれていなかったため、戦争遂行においてたびたび軍が独断専行をし、自分の命令を無視することにムカついていました。末期は自分の命令を確実に聞く《武装親衛隊》を巨大化することに血道を上げましたが、人員は不足し、占領地の外国人の傭兵を頼りにする有様。
複雑ですね。
まとめると、エスエスがそもそも軍と警察の複合体みたいなもんで、既存の一般警察官や軍人を大量に吸収してでっかい治安機関(或いは軍)になる途中といった組織だったわけです。何しろナチスは政権を取って13年で滅亡した取るに足らぬ短期政権です。自民党以下(笑)。国を掌握しきる前に滅亡したって訳だ。地獄の閉鎖国家を作り上げてその後も何十年も悪さを続けたのはむしろソ連や中国。ナチスはソ連や中国に比べれば赤ちゃんみたいな独裁国家です。
そんなわけで、この際警察もエスエスも同じようなもんだと思って頂ければと思います。むしろ国防軍も似たようなもんですよ。制服がちょっと違うだけだ。所詮は同じ人間。
ただし、ヘロルトが空軍大尉としてちょっと一目置かれたのは理由があります。これが陸軍大尉や警察大尉ではホラも通じなかったでしょう。空軍はナチスにおいてはエリートだったのです。ドイツ空軍はナチスが政権を取ってから巨大化した組織で、国防軍の中では最もナチスの影響が色濃い組織でした。トップはナチスのナンバーツー(ナチスのナンバーツーは何人もいるんだけどね。。)、ヘルマン・ゲーリングですし。国家保安本部の長官ラインハルト・ハイドリヒも空軍大将の階級を持っていました。空軍大尉がフューラーの秘密指令を受けている、というのは割と説得力のあるハッタリに思えたわけです。
そんなエリートの空軍だが、戦争末期には飛行機もない訳で、もっぱら都市で高射砲部隊を率いたり、普通に陸軍と一緒に野戦師団を編成してソ連軍の戦車に踏み潰されたりしていました。海軍も同じ。乗れる船もガソリンもない訳で、丘に上がって陸軍と一緒に戦っていました。国防軍も44年のヒトラー暗殺事件の失敗を皮切りに、ヒムラーがヴァイクセル軍集団の司令官に任命されたりだとか、党に実権を奪われようとしていた訳ですね。
さて、こんなうんちくどうでもいいと思うかもしれませんが、この映画を理解するなら知っておきたい無駄知識です。少なくとも俺はそう思った。それぐらいこの映画は解説が全然ない。ここまでわかってなきゃヘロルトにまつわる物語は実に嘘くさい、脚色されたフィクションのように思える。
ヘロルトはきっと将校のフリして逃げのびたかっただけなんじゃないかと思うが、きっと周囲に祭り上げられて権力の味を知ってしまい、調子に乗ってしまったのでしょうか。
ヘロルトは取るに足らないロクデナシですが、問題はその周囲の人間だ。特に収容所の管理職クラスのシュッテ氏。(階級は少尉かな?)バックトゥーザフューチャーのビフみたいな顔したお人だ。
彼は当時の視野の狭い愛国者の具現化といった人物で、前線で戦うことを拒否した卑怯者がぬくぬくと銃後で安全を貪るのは許せない、という思想の持ち主。これは当時のナチのお偉方の中ではごく普通の認識で、ヒムラーも全く同じような言葉を残しています。その思想が銃後の人々の食料配給を後回しにするだとか、障害者や捕虜やユダヤ人を医学実験の材料にするといった犯罪行為に繋がっていく訳です。
シュッテは収容所の脱走兵たちが許せない。皆殺しにしたいと思っている。そこにヘロルトが現れ、ショボい後方勤務の自分にはない権力を持っているかのように勘違いする。彼はヘロルトを利用して収容所を「片付けようと」する。これはヒトラーとその取り巻き達にも似たような構図がありました。
ヘラルトのハッタリを誰も疑わないのは、「無駄飯食らいはさっさと殺しちまえ」という思想が上から下まで綺麗に浸透していたからなのです。第一次世界大戦の頃、英海軍の海上封鎖で食糧不足となったドイツでは、障害者や病人など戦争の役に立たない人々の食料配給を止めるなどし、何万人も餓死させるという悲劇が起きました。「役立たずは殺すべし」との思想は、ドイツでは伝統的な価値観で、昔からある考え方だったのです。
むしろ良い口実ができたと囚人を処刑しまくるシュッテ。シュナップス片手に銃殺を繰り返すヘロルトの親衛隊達。権力は周りの人間が与えるものだと改めて思い出させられます。(思えば「モレク神」というロシア映画も似たようなテーマでした)
残虐描写は控えめだが、殺し方はフリードリヒ・イェッケルンSS大将(ユダヤ人大虐殺の重要な実行犯の一人)が考案した『缶詰イワシ方式』という名の処刑法です。囚人に穴を掘らせ、詰め込めるだけ詰め込んで銃殺し、死体の上に更に囚人を連れてきてまた銃殺にし、穴がいっぱいになったら埋め戻すのです。東部戦線では短期間のうちにナチの特殊部隊が90~200万人のロシア人を射殺しましたが、最初は非効率だったけれども徐々に処刑法は洗練されて行きました。その到達点が『缶詰イワシ方式』。処刑に胸を痛める兵士もいましたけれども覚醒剤とシュナップスという強い酒がこれを解決しました。劇中、銃殺刑を酒瓶片手にふらふらの足取りでやってる兵士が確認できます。罪悪感に駆られて何もできずにいる兵士に、ヘロルトは処刑に手を染めるよう命令する。東部では無数に行われた大量殺戮の史実のヒトコマを忠実に再現。ヘロルトが高射砲を使用するのも史実。20ミリ機関砲で人間を撃つと人体はばらばらに四散します。この映画はそれすらもちゃんと再現している。
このように、物語はひたすら現実的で、ファンタジーによくある共感できる登場人物やハッピーエンドなどの救いが一切用意されていないので、観客は逃げ場を失って息苦しくなってしまう。窒息するかのような閉塞感で満ち満ちており、久方ぶりに映画で胸が悪くなりました。一般的にはかなり不快な映画でしょう。
観る前はヤンキー漫画の「カメレオン」みたいな、半分ギャグのようなストーリーだと思っていたのですが、これはギャグはあまりなく、不快なストーリーを陰鬱に描写するばかりで、歴史に興味のない一般人はまず観ないほうが良い映画です。後半は単なる略奪隊と化したヘロルト親衛隊が逮捕されるまでの物語が描かれます。「愛国心」や「徹底抗戦」をスローガンに罪もない民間人を吊るすだけの愚連隊。こんなのが本当にいたのかな?そう思われても仕方がない。
俄かには信じ難い世界だが、末期ドイツ本国 で「移動軍法会議」と呼ばれる、将校と数人の兵隊から成る機械化された殺人部隊が暗躍していたのは史実です。民間人や脱走兵を即決裁判で処刑し、屍を街路樹に吊るすのです。これらは総統命令で全国で編成され、規格外の権力を与えられてやりたい放題でした。正にフューラーに全権を委任されたゴロツキ達。ヘロルト親衛隊みたいな集団は全国にたくさんいたのです。ヘロルトが恩赦されるのは「ヴェアヴォルフ(=人狼)」部隊参加が条件だったからだそうで…これについてはいつか語ります、、、
また、この映画が99点を献上するにふさわしいと感じたのは、末期のヤケクソかつデカダンスな退廃美がこれでもかとぶっこまれているところです。ドイツは文明国です。国民は戦争に負けるととっくの昔に知っていました。それでも死ぬまでやらなきゃならん。それが公共心だったわけだが、人間は脆いものでどうせ死ぬなら今のうちに楽しみたいと思うようなのです。物語ならこういう話はいくらでもあるが、現実に滅びに瀕した大衆が何をするのかって史料は第三帝国に無数に眠っています。男も女もとりあえず酒浸りになり、覚醒剤を乱用し、朝から晩までセックスに明け暮れました。ソ連兵に処女を渡すぐらいならと、娘っ子でさえ男を見つけたら茂みに誘い込み路上でセックスをしたそうです。そして快楽に酔いしれ、もうすぐ死ぬのだという事実を忘れようとしました。
この映画はこの時代のヤケクソな空気を完璧に演出しています。そもそも脱走兵や落ち武者が危険だったのは事実なんですよ。そして当局が取り締まりに四苦八苦していたのも事実。エーデルヴァイス海賊団の話を紐解くまでもなく、ゲシュタポは案外に理想的アーリア人種たる自国民には甘かったんですよね。北朝鮮やソ連みたいに無茶苦茶なことはしてませんでした。政治的スケープゴートはたくさんカテゴリーを作ったが、どれにも当てはまらない国民が何かやらかしたところでそこまで強くは裁かなかった。これはソ連とは全然違う。ソ連政府は1918年~39年までに自国民を人為的に1000万人以上餓死させましたし、大粛清の際には公式に70万件の銃殺刑を行いました。こんな無茶苦茶な話はナチにはなかったんすよ。そんな訳なんで、裏切り者や労働忌避者や脱走兵に手ぬるすぎだぜ!とは多くの人が考えていたようなんです。シュッテさんが怒り狂ってヘロルトを頼りにする理由はこれ。ここまでナチの事情を知っておかないとこの映画を完全に理解したとは言えません。。。
この映画は陰鬱で気が滅入るが、史実はもっともっと悲惨というのが正直なところ。まったく戦争は嫌ですね。日本なんて本土決戦せずに済んだだけまだマシだったな、と思うぐらい末期のドイツは地獄だったようです。この映画は割とそれを再現できていますのでオススメします。
参考図書にアントニー・ヴィーバーの「ベルリン陥落」を勧めます。僕がここで語ったうんちくは殆どこの本におさめられています。全部読むのは大変だけどね。
(新装版が出ているのに驚きました)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?