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【映画批評】鬼が来た!

インテリジェンス?映画の「無名」を観ていると、抗日映画って昔からなーんも変わってないんだなというガッカリ感は否めなかった。こう考えると「鬼が来た!」はすごい映画だったなと考えを新たにしたのでレビューを書き直したい。

「鬼が来た!」は中国共産党当局から発禁処分を受けた映画だが、これをカンヌに応募する際に当局の審査が終わるのを待つ必要があったのだが、それを待たずしてカンヌに持ち出したため中国国内での上映が禁じられたとの噂である。

とはいえ、「鬼が来た!」というタイトルは中国題は「鬼子来了!」なのですが、鬼子というのは中国人が外国人を蔑視する表現とされており、文脈的にも内容的にも鬼子=日本兵、日本軍、日本帝国であることは明らか。

しかし、そのイメージを逆手に取ったのか、この映画の言う「鬼」が本当の本当は何者か、という哲学的問いが根底にあり、様々な解釈が可能となっていてこの映画を奥深いものにしている。

冒頭から不穏である。はためく海軍旗を背景に「気をつけー!」という軍隊式の掛け声(しっかり日本語)と「鬼子来了!」のタイトルバック。そしてわざわざ生演奏を収録したと思われるややアップテンポの軍艦マーチ。一体どんな抗日映画が始まるのかとヒヤヒヤ。

しかし、前半は日本兵による暴虐シーンなんぞ皆無。

ある夜、農民マーの下にいきなり連れてこられた日本兵軍曹と通訳。麻袋に入れられ、口には詰め物。連れてきた人物は正体不明だがドイツ式の古いタイプの拳銃をマーに突きつけ、「数日後に迎えに来るからこいつらの面倒をみろ」「日本兵に見つかるな」「時間あるから尋問しとけ」みたいなふわっとした命令。

マーは怖くて目が開けられず、この連れてきた男が何者かわからない。映画を通してこの人物の正体は明かされない。最後まで謎のまま終わる。だが、この男が「鬼」である日本兵を連れてきた訳である。それは確実なのである。鬼は災いを意味する言葉でもある。日本軍占領下とはいえ3年も平和を保っていた農村に災いを運んできた者が一体誰なのか…その謎解きは綺麗さっぱり無視されているのだ。

日本兵の名は花屋小三郎(香川照之)。粗暴でとにかくやかましい。戦陣訓を植え付けられており捕虜になるとやばいので死にたくてしょうがない。
海軍の監視塔がすぐそばにある訳なんで、村ぐるみで花屋を隠すのだがその存在は蒙昧な村人の手に余る。

村の決定でいっそ花屋を殺してしまおうとなるが、マーは素朴な善良さを持つ人物で花屋を匿って密かに食べ物を与え、下の世話までしていた。花屋はこれに徐々に恩義を感じるとともに、本当は死にたくないという気持ちを吐露。村人達に自分を原隊に戻してくれればお礼するから何とか頼むとお願い。村は不安に感じつつも食べ物が少なく困窮していたのでこれを承諾。日本軍から受け取れる褒美が狙いである。

一見するとこの取引はウィンウィンである。誰も困らないし良い話である。理屈で言えば。
しかし日本帝国の、それも陸軍は理屈が通じないことで世界史に名を残したといっても過言ではない組織だ。

隊長の酒塚猪吉少尉(澤田謙也)は気の荒い狂人で、おそらく描写としては小隊長クラス?と思われるが、現地では異例なほどの強権を与えられているのがみて取れる。

怖い。。

見るからに恐ろしげな人物で、どこからどう見ても昔の日本の軍人(殿堂入りレベルの演技です)。凄まじい迫力でとにかく声がデカくて太い。見た目も恐ろしげで目を合わせたら即座に捕食されそうなほどの恐怖の存在感であるが、こういう人って俺らがガキの頃はまだその辺にいましたね。怒らせたら絶対ヤバい、絶対逆らえないってのが一目でわかるんすよ。

日本兵は全て日本人がちゃんと演じているので抗日映画特有の奇妙な描写は殆どなし。日本語も聞き取りやすいです。まあ、彼らの話す言葉はほぼ軍隊用語なのでややマニアックですが、ちょっとしたやり取りに至るまで特別おかしなところはない。寧ろ驚愕するほど正確な描写かと思います。

酒塚少尉は花屋を捕らえた者が村にいると確信しており、村を焼き払って村人を皆殺しにしてしまう。この集団心理も素晴らしい。さっきまで酒飲んで村人と仲良くやってた日本兵達だが、この恐怖の隊長が一喝するやいなや急転直下で本来の仕事(おそらく後方での治安戦を担当していた部隊と考えられる)を開始。当時の日本軍の治安戦の基本は燼滅掃蕩であり、ゲリラが潜んでいると見られた土地は住人を皆殺しにするか全て追放し、無人地帯と設定するのが基本であった。酒塚の小隊は長らく八路軍とのゲリラ戦を繰り広げていたと考えられる。

こう考えると、小隊クラスのこの部隊が本部から独立して作戦を遂行している(ように見える)理由も見えてくる。

隊長の酒塚も叩き上げの野戦昇進した下級将校と考えられる。日本軍の中でも最も戦闘経験豊富な血の気の多い連中がその任に就くことが多かった。彼が人間が普通持つであろう憐憫を全て排除して村人を殺す命令を下し(酒塚は中国人をやたらに「畜生ども」と呼ぶ。ジェノサイドの第一段階は敵を非人間として扱い、呼び名を虫ケラとかネズミとか豚とか呼ぶことである)、部下の兵隊はこの恐怖の隊長に全く逆らえず、瞬時に殺戮を生業とする自動人形と化してしまうのだ。

みんながやるなら俺もやるー!みんながやること俺もやらないとまずいー!という日本人の滑稽な公共心が完全に中国人に見抜かれている訳で、ある意味とても痛快である。これほど日本人を知り尽くした中国人がいたであろうか。(監督のチアン・ウェンは村人マーをも演じている)

そんな訳で色々考えながら観ていても面白いんだけど、この映画が本当の意味で最近まで発禁処分を受けていた理由も併せて考察したい。鬼が来た!の鬼って結局何のことなんや?誰のことなの?どうも日本兵のことではないような。。人の心の闇の奥に住まう観念としての鬼なのだろうか?そういうおざなりな結論か?ならば何故発禁になるのか。

この映画の最大の謎は、先にも述べたように花屋を村に連れてきた正体不明の存在である。ストーリーにもその存在の謎は深く食い込んでいる。何故誰もその謎を解こうとしないのか?

しかし、よく考えなくても明らかだ。当時、後方で日本兵を奇襲したり鉄道を爆破したり村人を懐柔して味方に引き込んだり、そんな真似ができたのは八路軍であろう。八路軍以外にない。マーを連れてきた正体不明の存在は間違いなく八路軍所属のゲリラである。それ以外の可能性は無いと言ってもいい。

八路軍といえば、中国共産党の源流である。八路軍=共産党と考えて問題ない。鬼子(=日本兵)を連れてきた、銃を突きつけ、無理やりに村を破滅に追い込む種を植え付けたのは共産党だという暗喩が隠されているのだ。だからこそこの映画は中国共産党独裁政権下で発禁処分を受けたと考えるべきなのだ。

まあ、今は中国国内でも動画配信されてるらしい。なので、この解釈は違うのかもしれないが、個人的には当たらずとも遠からずではないかと思っている。抗日映画のフリして体制批判を巧みに埋め込んだ骨のある映画って訳。

先に挙げた「無名」は真逆で共産党の過去の歴史を賛美する普通の抗日映画であった。どちらもインテリジェンス映画だと思うんだけど、作りは全く違っていて「鬼が来た!」のほうが何十枚も上手である。24年前にカンヌでグランプリを受賞したこの傑作に今一度スポットが当たればなあと思っているが、香川照之も干された今ますます厳しい情勢になってしまった。

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