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【映画批評】マッドマックス フュリオサ

「マッドマックス フュリオサ」やっと観ました。

前作「怒りのデスロード」は爽快なスポーツの如き映画だったゆえ、感想書くのもヤボな感じで言うことなかったけど、今回は言いたいこといっぱいありますね。俺としてはモヤモヤがけっこう溜まりました。

この映画、商業的にはけっこうコケてるとの話も聞きましたが、マッドマックス史上最も商業路線のウケを狙った映画かと思いました。多方面に良い顔しようとして色々中途半端な印象。

細部の作り込みや世界設定の巧みさは流石の仕事でしたが、フュリオサ周りのアレコレはほんとモヤモヤ。ケチつけ出したらキリがないぐらいです。良かったのか?これで。まあ良いんでしょうけど。。

モヤッたポイントは以下

①フュリオサはイモータン・ジョーにレ⚪︎プされていない

「デスロード」ではフュリオサはイモータン・ジョーに強制的に子作りマシーンにされて散々酷い目にあったとの設定であった。ゆえにフュリオサの復讐鬼としての怒り・憎悪の強さ、(自分と同じ苦渋を味わったはずの)その他の花嫁を救おうという強い動機付けにも繋がっていたはず。

はっきり言えば、今回のこの映画でフュリオサは別にジョーに酷い目にあってないのだ。それどころかジョーの砦の中で普通に働いて生き延びており、もしジョーに出会ってなければ暴力の荒野で有象無象の変態どもにもっと酷い目にあわされ、犯され喰われ骨も残ってないだろう。

イモータンは確かにロクでもない独裁者だが、フュリオサなる聡明で既知に富んだ人物が流石にこの支配体制の中で生き延び出世までしたことを自覚できない訳もあるまい。それでも復讐するのよ!と言われたら止めはしねえけど万人を納得させるほどの強い動機付けはもはやなく、設定として弱いと言わざるを得ない。

②フェミ思想が中途半端
監督ジョージ・ミラーがどのような人物か言うまでもないが、前作も今作も強いフェミニズム思想がある。この暴力の荒野で女性目線を取り入れるならば、明るい映画になることは絶対にないが、敢えてこの路線を選んだのだからすごい(「北斗の拳」などは女は男の所有物か、セックスできるお母さんとしてしか描いていない)。

前作はその辺の思想臭さは殆ど感じさせず、文字通りに爽快に走り抜ける傑作。しかし終わり際には静かな感動が残る。対して今回はどうかっていうとイマイチ下手くそだと言わざるを得ない。

それは何も持たないフュリオサが砦の中で首尾よく出世した理由にある。結局タフで権力持ったオジサンに見出された(惚れられた?)からに過ぎない。そんな風に見える。そうとしか思えないっつーか。

前作はマックスとフュリオサはパーフェクトに対等で恋愛要素は一欠片もなく、それでいて互いに背中を任せられる強さを持ち、その関係性が素晴らしかった。色恋と性欲を排除したからこそ生まれる強い信頼みたいなものを描けていた。これぞ万人が認める真のフェミニズムではないかと思わされた。それがまさかこんな。

フュリオサの元カレが砦の警護隊長で、その警護隊長がパッチリおメメのキャストに変更されたおニューのフュリオサの目が綺麗だからとか、そんなセリフ付きで引き立ててくれて…いやはやそれでフュリオサがのちのち大隊長になるって、それって単なるパパ活か枕営業じゃんよ!そんなふうに見えるのは俺の生きてる世界がいまだにそんな有様で、その色眼鏡を外せぬ俺自身に責があるのだが、やっぱり納得いかねえ。最初から最後まで誰とも口きかず女であることも明かさず独力で自分の腕の力で生き抜いていて欲しかったわ。処刑される前におでこ擦り付けあったりとかしないで欲しかった。
女であることのメリットを最大限に享受し、女であることのデメリットは概ね免除されるご都合主義。これが納得できるほどワシも大人やない。

若い娘に恋愛するなとは言えんが、この映画でその設定はどうなのよ? デスロードのフュリオサのイメージば完全に崩れたと言っていい。結局タフな優しい権力者のイケメンなら心許してパンツも脱いじゃう訳か? んーーーーそれ普通の日本の女の子じゃんよ。。。

考えてもみてほしいがマッドマックスの世界で、他に色恋に溺れてる奴なんか一人でもいるのかよ?そんなヌルい世界なのかこれ?それがことさらにぱっちりお目目のフュリオサのみがイケメンと恋愛してるんだからねえ。。色々ゆとりあるよなあ。性欲は別として、恋愛ってそうとう生活に余裕がないとできないと思うからよお。けっこう砦の生活が楽しかったんじゃねえの? 尚更後に復讐鬼に化ける理由がわからんよ。

更にこれに関しては、護衛隊長かつ元カレのジャックとマックスの性格上の共通点を並べ「フュリオサはのちに出会うマックスにジャックの面影を重ねていたのだ」と述べる人が大変に多いのだが、フュリオサがマックスに元カレを重ねていたなんて乙女ちっくな設定が公式見解にならない事を切に祈りたいものだ。。(前作のシャーリーズ・セロンがそんな風に見えなかったので尚更こう言いたくなる)

とまあ捻くれ度マックスな解釈ですんませんな。

③ディメンタス将軍の取ってつけた感
イモータン・ジョーを今作でやっつける訳には行かなかったのはもちろんわかる。わかるのだが、代わりの悪役として立てられたディメンタス将軍の存在理由はひたすら哀れだ。

なにしろ、今回のフュリオサがとりあえず格好つけるために作られたと言っても過言ではない。見た目もやってることも三下感が否めず、カリスマは全然ない。

それでも死んだ息子が大事にしてたぬいぐるみを常に身につけているとか、処刑の途中で心底うんざりした顔で「飽きた…」と呟いだりだとか、深みを感じさせる設定も見られたが、不幸にも本来ならジョーが被るはずであった罪を全て被り、意味不明な禅問答の末にドラマチックに殺されるのが役割だ。気の毒でならないし、こいつをやっつけるために2時間28分は長過ぎるんじゃないかね。

もっとも、アクションは流石の完成度でいうことないです。特にフュリオサの母親が娘を取り返そうと奮闘するシークエンスは最高でした。フュリオサの母親が娘を取り戻すまでの一本で十分だったのでは?89分ぐらいで。クールな一本になっただろうに。
(ヘッダー画像はフュリオサのお母さん)

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