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闘病記(50) 50回続きました 。

 このテキストのシリーズ「闘病記」が50回目を迎えました。これも、読んでくださる皆さんあってのことだと深く感謝しています。
 何分、「好きなこと以外は続かない。」性分で、 (本当に何にも続かない人間だったのです。)ラジオ体操= 1週間続いたためしなし。勉強の計画=続いても2日位。三日坊主にすらならない。あ、部活動の腹筋運動は余裕で50回以上続きましたね。先輩が見張っていて怖かったし。アルバイトも続きました。お金がかかっていたもので。
 このテキストのシリーズを書き始めた頃は、「10回続けばよしとしよう。まぁ気楽に書いてみよう。どうせ、誰も読まないんだし。」位の気持ちでした。
 ところが、読んでくださる方がいる上に、「スキ♡」をポチリと押してくださる方もおり、さらには、こんな自分を「サポート」してくれる方までいらっしゃって、当初は感謝と言うよりも驚きの方が大きかったと思います。(もちろん、とても感謝をしています。)
 「人の評価など気にする事はなく、わが道を行くべし。」と言う言葉が、座右の名であったりするはずもない俗物の自分は、「スキ♡」の数をちらりほらりと見ながら書き進めてきました。「へー。こんな記事に共感をしてくれる人が多いんだな。」とか「誰もが楽しんでくれると思って書いたのに、そうでもなかったなぁ。」とか…。あるいは、「おお!この投稿の時は、好きと言ってくれている人が多いな。一体何が良かったんだろう?」と思って読み返してみると、いつもとこれといって変わらない文章で。変わっているところと言えば、双子の兄がSNSを使ってシェアしてくれていたと言うことだったり。(影響力のある人は違うなぁ。と思うのですが、自分がそうなろうと努力をしないところが自分の至らない所なのでしょう。)
 ここに綴ってきた文章は、脳幹出血を患いリハビリ病院に入院していた頃、体や心に深く刻み込まれたことを淡々と記してきたのですが、気づけば、こんな回数になっていました。
 友人の中には「内容が面白いし、他の闘病記とは毛色が違うからこのまま出版できればいいのに。」と、ありがたい言葉をかけてくれる人もいます。そのような気持ちは全くないと言いたいところですが、脳幹出血を患い、おそらくはそんなに長生きはしないだろうし、長生きしたところで、部屋に閉じこもってパソコンの前でメロディーを考えたり、文章は捻ったりするだけの、生きているやら死んでいるやらわからない暮らしなので(笑)、ここらでひと花咲かせたいと言う気持ちがあるにはあります(笑)。が、何せ、自分は何をするにもフットワークが重たいので。
 外に出て移動をすると言う事、活字など目から入ってくる情報から自分に必要なものをピックアップしていくと言うこと。全てが「しんどすぎる。」のです。
 そこで、「この出版社は、編集者が常に目を皿のようにして闘病記を探している。」とか、「この出版社は、たとえ駄文であっても、コツコツと回数を重ねている障害がある作者には門戸が広い。」
 など、情報や知恵がある方は、コメントやFacebookのMessengerを活用して教えていただければありがたいです。
 出版等されようはずもないのですが、自分の書いた文章が本になり、本屋さんに平積みされていたり、「重版出来」と蛍光ペンで書かれていたり…。
 そんなことを考えているだけで、口をぽかんと開けて(下手をするとよだれをたらしながら) 15分位が過ぎていきます。
 100回目とかにはまた、少し幸せな気持ちになれるでしょうから、どこまで続くか、のんびり書いて行ってみようと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。
 と言うわけで、50回を記念した、そして少し過ぎてしまいましたが「節分」にちなんだ拙文でした。 

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