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【再稿】洗練され完成しているお茶の文化を

取材・写真:水子貴皓 / 記:2018年12月3日

大正15年(1926年)に浅野辨次郎氏によって、昭和3年ごろまでの3年間をかけて建築された浅野邸。以降も引き継がれ、倉敷美観地区に隣接する、大正期~昭和初期の町家建築として住居に利用されてきました。

現在は新しく、サテライトオフィス&コワーキングスペースへと再生され、個人事業者・アーティストの方の打ち合わせ場所や、イベント会場などで利活用されています。

今回は「住吉町の家 分福」で行われたお茶の会「町の茶道部vol.1 in 倉敷」に参加しました!

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洗練され完成している
お茶の文化を

Q:気軽に色々な方にお茶に触れてほしいという思いがあるんですね。

そうですね、日本固有のものですからね。それに仕事で海外の方をもてなすときに呈茶(ていちゃ:客人にもてなしの茶を差し上げること)をすると、すごく喜んでくれますし、そういう文化に触れるきっかけになればいいなと思ってます。

Q:お茶に触れて、お茶を通じて感じてほしいこと、はありますか?

お茶の動作は合理的かつ機能的、それでいてすごく洗練され完成している、人間の作りは時代を経て環境が便利になっても、お茶は400年前からほとんど変わっていないということを思い起こしてほしいなと。

それに僕がやっていて、無心で澱みなくお茶に向かえているときがあって、それが気持ちいいですね。集中している瞬間を感じられたらより面白く思えるんじゃないでしょうか。

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Q:流尾さんはどういった気持ちでされていますか?

お茶は総合芸術と言いますよね。花や茶碗でも名前や意味、由来や逸話があり、棚でも云われがあって、無限の組み合わせがあります。その全部を知るのはハードルが高く無理に近いと思いますが、それぞれの複雑な組み合わせに可能性を感じてます。
利休七則という言葉があるように、お茶は一回完成されていてそれがすごいと思いますね。

完成されているものをまねて違う楽しみを見出すわけじゃないですか。
芸事も守破離(しゅはり)といって基本を守って、型を破り、離れていく。
型を知ってそれを破っていくのは「型破り」、型を知らなくて型を破ろうとするのは「形無し」基本・型を知っていることが大事なことであり、何事にも通じることですね。

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取材・写真:水子貴皓
記:2018年12月3日

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住吉町の家 分福
〒710-0046 岡山県倉敷市中央2丁目13−3
TEL:086-527-6248
営業時間:10~17時
※駐車場はございません。お越しの際は公共交通機関をご利用ください。

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