壮絶な戦いから始まった日本ダニ学

 いつもやわらかいテーマをもとに,ダニという生き物について知ってもらいたい,と思う気持ちで文章を書いている.必要以上に怖がったり,目を背けたりすることなく,その生態を知ることで冷静に防除をすることもできる.
 また,人間に無害のダニをつかって,環境指標生物としての利用もおこなわれている.季節性の昆虫とは違い,土壌ダニならどこにでもおり,いつでも調査ができるという利点があるからだ.

 しかし,その裏には,ダニが原因となった,あるいは,ダニが疑われた疾患によって,命を落としたり大変な苦労をさせられたりしてきた人類の歴史があることにも触れなければならない.

 現代では.命の危険に曝される,日本紅斑熱,重症熱性血小板減少症候群(SFTS),ライム病に,代表されるマダニ媒介性疾病.とくに,長い闘病生活を余儀なくされ人生を狂わされるライム病の恐ろしさについては,特筆すべきものがある.現代の疾病については,私は医師ではないので,明瞭な情報が得られる書物,あるいはネットサイトをご覧頂きたい.(厚生労働省 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164495.html) 

 さて,日本でも,後に佐々学先生によって完全否定された腎食ダ二症(人体ダ二症)は.当時の論文を読むと痛ましい事例をみつけることができる.第二次世界大戦中に,大陸で大流行したトゲダニ類が媒介する原虫性流行性出血熱,あるいは,風土病のひとつとして人々を悩ませてきた野兎病.これらの病気に対して多くの研究者が立ち向かってきた.(以下は,下に示す出典より,転写一部加筆).

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 「へそ曲がり」な気持ちだけでダニ学者がダニを研究しているわけではない。日本が世界に誇る黎明期の科学研究が,ツツガムシ病で行われていたことについては正当な評価がされていない。
 これは、特定の日本国内の研究グループに,賞を与えようにも,あまりにも日本国内の研究グループ間の競争が激しく、優劣の判断が困難を極めたからだと言われている。
 つまり,特定の研究グループだけを評価するわけにもいかず.かといって,両方に賞を与えることもできず,そのうちに時間が経ってしまい,ついに.今日まで国内の評価が遅れてしまったわけだ.

 19世紀末は、日本は風土病としてのツツガムシ病の克服のために、病原体としてのリケッチアの発見を行った、北里柴三郎といった著名な細菌学者たちのいくつかのグループがしのぎを削った時代だった。日本の研究が世界に先駆けて東アジアで猛威を振るっていたツツガムシ病の病原体を明らかにしたのである。この研究のカゲには、当時、まだ、治療薬もなく、また、安全性が配慮されていたとはいえ、設備も十分ではなかった時代。実験室での研究中にツツガムシ病に感染し、半ば狂乱になり命を落としていった研究者達の犠牲がある(小林照幸著『死の虫』中央公論新社 2016年6月刊に詳しい。ツツガムシは第3話を参照)。


 戦後、1940年代から50年代。奄美群島や沖縄列島などの南西諸島が、戦後アメリカの領土となり、再び日本に返還された時代、まだ、凄まじい風土病や伝染病がまだ、南西諸島には残っていた。戦争中に、南の島々で軍医となって活躍してきた佐々学先生や、沢井芳男先生など当時の東京大学伝染病研究所の専門家が、奄美や沖縄に調査に入り、フィラリア症や、毒蛇ハブ咬傷などで命を落としていく人々を救うために必死になった。佐々学先生は、近代ダニ学の父とも言える人物である。
 佐々学グループが、人間が出す二酸化炭素によってツツガムシが人間を認識し人間にとりつくことを発見し、またツツガムシの生活史を明らかにし、野ネズミが生息するところにそれにとりつくツツガムシが同時に生息して人間に発病が見られること等も明らかにした。言ってみればツツガムシ病のダニ側の側面を明らかにしたのだ。さらに、佐々学先生は日本最初のダニ学の教科書「ダニ類」を上梓され、日本のダニ研究がそこから一気に加速したのだった。


 ダニにまつわる偉人はほかにもいる。山梨のブドウ栽培は2万ヘクタールを超えて日本で群をぬいて多い。しかし、1900年初頭、体長1mmにも満たないフィロキセラ(ブドウネアブラムシ)が外来種として、日本に移入してから山梨のブドウは壊滅的な被害を受けた。当時、山梨県農事試験場にいた神澤恒夫氏は、このフィロキセラの生活史を解明し、また、山梨の「甲州」や「デラウエア」等に適した接ぎ木による防除法を確立した。山梨のブドウとワインは、まさに、神澤氏によって救われたのである。ブドウの害虫であるハダニの一種は、神澤氏の名前をとって「カンザワハダニ」と名付けられ、日本のハダニ研究では今でもよく用いられている。

 蚕業試験場の甘利進一氏が1917年前後に発表したシラミダニに関する研究は,当時日本で広く行われていた養蚕業(カイコによる絹生産)現場を悩ませる,生態の良く解っていなかったシラミダニについての徹底的な研究であった. 


 私のような自由生活性のダニを研究しているダニ学者は、このような凄まじい人間の生命の危機や、農業生産の危機を克服するために研究している訳ではない。
 人間のためというよりは、自然を護るために研究をしている。赤道直下のジャングルから極寒のツンドラまで、命の危機を感じながらも生物調査に出かけてゆく原動力のひとつは、美しい自然に魅了されたことで、心底、そのすばらしい自然を守りたいと思って活動を行っている.


出典
1) 島野智之 第6話 ダニと薔薇の日々
Web 科学バー「ダニマニア宣言 やっぱりダニが好き!」  https://kagakubar.com/mania/06.html

2) 島野智之  2021.『ダニが刺したら穴2つは本当か? 』風濤社


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