ゲイリー・ハイドニック①:フィラデルフィア最恐!ハンバーガー司祭と呼ばれた男の裏の顔

ゲイリー・ハイドニック

(1943年11月21日~1999年7月6日)

 

幼少期

ゲイリーは、オハイオ州クリープランドの郊外に住む金型製造業を営む父と、美容師の母の間に長男として生まれました。

彼が生まれてから一年半後に弟が産まれるんですが、母のアルコール依存と浮気性な性格により家庭内は常にギスギスしており、ゲイリーが2歳の頃に離婚。

母の浮気相手が黒人男性だったことが、父の性格をゆがめてしまったらしく、幼い息子たちに

「黒人なんてろくなもんじゃない」

と人種差別の念を強く植えつけることになります。

 

ちなみに母親は、どうも無類の黒人好きだったようでその後二人の黒人男性と再婚。しかし、ガンに侵されて苦しみの挙句、服毒自殺でこの世を去りました。

 

ゲイリー自身の口からは、父は離婚後から異常なほど厳格で、子供の自尊心を傷つけることを平然と繰り返す

いわゆるモラハラ親父

であったと述べています。

 

13歳になったゲイリーは、軍事に対して凄まじいほどの熱を見せ、ブッカブカの軍服で敬礼してみたり、戦争関連の本を読み漁るようになりました。

14歳になると、軍人になることを目標に、名門のミリタリー・スクールへ進学。

優秀な成績を修め続けますが、何を思ったか最終学年になった際に突如

ワケも告げず依願退学

 

地元に戻り、地元の高校に編入します。

 

しかし、兵役につける年齢になると再度学校を退学しアメリカ陸軍へ入隊してしまいます。

 

行動の一貫性が取れていないのは、幼少期特有の”思春期病”なのでしょうか。理解に苦しみます。

 

軍隊編入後

陸軍へ入隊したゲイリーは、衛生兵として好成績を挙げ続けます。

しかしその傍ら、仲間の兵士相手に”副業”を始めました。

 

利息を高く設定した、いわゆる

”闇金”

軍隊内ではこういった取引はご法度でしたが、一時は給料よりも稼いでいたそうです。

 

もちろんバレないわけもなく、軍上層部に知られるや否や、貸し金の回収もままならないうちにドイツの駐屯部隊へ転属させられました。

 

 


 

しばらくは大人しかったものの、どうやらこの頃から彼の精神は蝕まれていたようで、重度の精神疾患にたびたび見舞われるようになります。

 

1963年に軍から”精神障害者年金”の満額受給資格が認められて、陸軍を名誉除隊。

この年金、なんと月に

2000ドル(当時の日本円で約80万)

 

働く必要の無いほど金を得たゲイリーでしたが、除隊後はフィラデルフィアに移り、看護師養成学校で看護師資格を取得。その後ペンシルベニア大学で心理学や経営学などの単位を取得します。

 

しかし、精神病の蝕みは止まることは無く、この間に13回の自殺未遂と、精神病院への入退院を20回以上繰り返しています。

神経性の顔面痙攣や、長時間の沈黙、派手な仕草で軍隊式敬礼を取るといった独特の奇行を見て、精神科医らはゲイリーの名前をもじって「ハイドニキズム」と呼んでいるほどでした。

 

しかし、ゲイリー自身は実はIQ130 という平均を大きく上回る頭脳を持っており、手にした高額年金を元に


 

株式投資に参入

数千ドルの元手から50万ドルもの資産を築くことに成功します。

投資家としてのゲイリーは、プロのコンサルタントも舌を巻くほど理論家でした。

 

新たな幕開け


投資を行っている人間に付き物なのが


税金です。

 

稼いだ額が大きければ多いほど税率は増してゆきます。

最大で儲けの半分も持っていかれるんですからたまったもんじゃありません。

ゲイリーももちろん悩まされました。しかし、1971年に名案を思いつき実行に移します。

 

宗教法人「神のしもべ統一教会」設立

 

宗教法人には免税措置が設けられており、節税効果が高いのはどの国でも一緒です。

ゲイリー自身は「カリフォルニアの海を眺めていたときに、神から教会を開き、子供を作れと告げられた」と述べています。

…おやおや?節税対策では…?

 

スラム街で信者の獲得に邁進し、自宅兼教会で短い説教をした後は、必ず信者をバンに乗せてマクドナルドへ向かい、ハンバーガーを振舞っていたようです。

そのため、スラム街の住人に付けられたあだ名が

 

ハンバーガー司祭

 

しかし、彼の聴いたお告げは、どうやら彼には本当に聞こえていたようです。

 

子供への執着

1978年、知的障害を持つ黒人女性の信者を

監禁、妊娠させる

という事件を起こし逮捕。懲役3年以上7年未満の実刑判決を受けます。

被害者は衰弱が酷かったようですが、その後女の子を出産。しかし養育能力がないとされ、養子に出されています。

それ以外にも3人の知的障碍者に子供を生ませており、子供への執着が異常なまでに膨らんでいました。


 

収監中のほとんどを精神病院で過ごしたゲイリーは、1983年に仮釈放を受けた後に結婚斡旋場でフィリピン人女性と出会い結婚します。

 

しかしゲイリーの異常な性欲の強さと浮気に嫌気が差したという理由で

3ヶ月で離婚

 

この女性もゲイリーの子供を宿していましたが、彼の元を去るときには伝えず、出産後に手紙で伝えていました。

 

幸せ大家族計画

1986年11月26日、フィラデルフィアのスラム街で客引きをする26歳の売春婦が、新品のキャデラックに乗ったゲイリーに呼び止められます。

そしてゲイリーの自宅ベッドで共に過ごした後

 

首を絞められて地下室へ放り込まれます。

泣き叫ぶ彼女をなだめつつ、ゲイリーは

 


 

「ここに何人もの女を閉じ込め、私の子供を生ませるんだ!大家族を作るんだよ!」

と壮大なクソ計画を語りました。

 

11月29日になると、新たな25歳の女性が連れてこられます。

この女性実は、以前ゲイリーの子を妊娠しており、出産費用として1000ドルを渡したにもかかわらず中絶したことで、ゲイリーから恨みを買っていました。 

12月22日には19歳の女性、翌年1月1日には23歳の女性、1月18日には18歳の女性と

短期間で5名の”ママ”を監禁します。

5名を鎖で地下に繋ぎ止め、ゲイリーは連日セックス三昧。

その上、レズ行為を強要したほか、暴行を加えたり食事を与えなかったりと虐待し放題。

模範的に振舞っていた最初の女性は、ゲイリーから信頼されて特別待遇を受けるようになり、地下室から出てキッチンでゲイリーと食事をしたり、同伴ではあるものの外出もしていました。

謎の階級社会を形成している「大家族」たちでしたが、2月上旬には2番目と4番目の女性が徐々に反抗的になってきます。

そこでゲイリーは2番目を天井に吊るし、

のどにパンを無理やり詰め込むというよく分からない拷問を行うようになりました。

このパン責めが一週間も続いたことで、衰弱してしまった二番目はとうとう

パンを喉に詰まらせて窒息死

 

地下室から遺体を運び出したあと、ゲイリーは


二番目の解体作業に入ります。

 

地下室にも届くようにチェーンソーの音を響かせた後、4番目を階上に連れ出しました。

 

数分後に戻ってきた4番目は、他の”家族”に

「二番目の首が鍋に入ってた…」

と告げました。

 

この日の家族の夕食は「二番目の肉とドッグフードを混ぜたモノ」

鍋の頭はゲイリーが居眠りしたことにより焦がしてしまったそうです。しかも、これにより近隣から苦情が相次ぎ

なんと警察まで出動

 

しかし、そつなく対応して騒ぎを収めてしまいました。

 

つづく

サイコパスの生きざまは面白い!!! 下手なドラマや映画ではない真実の物語を、現存するありとあらゆる情報をもとに1つのストーリーに。 生来の快楽依存から外傷による発狂まで、"裏"の日常をお届けします。