辛いまま、怖いまま、幸せを選ぼう。

辛いから…
怖いから…
それを理由に、立ち止まる

いやむしろ【立ち止まる】以外の選択肢がないって、無意識のうちに思っていたのです。

「辛い時は、辛いという状態でいなければ」という謎過ぎる観念。言語化してみると、ますます謎だな。でも、そういう観念を自分が握りしめていたことにふと気が付いた。

この観念に気が付いた時、東日本大震災が起きた時のことを思い出したのです。

東北地域の人たちがとても大変な状況に置かれている時に、未曽有の大災害が日本の広範囲で起きている時に、楽しいことはしちゃダメだ。辛い思いをしている人たちに思いを馳せ、自分ができることをしなくちゃならないのだ。

そんな空気を象徴するかのように、一時期はCMのほぼ全てが「ポポポポ~ン」で溢れかえった時がありましたよね。
当時の私も関東にいて本当に怖い思いをしたし、計画停電も大変だったし、連日のニュースを観ていて何もできない自分に無力感ばかりが募っていることもあった。

大きな括りの漠然とした話にはなるけど、日本人の良いところは、こうして大変な時にこそ、自分のことだけを考えずに他人や集団のことを考えて行動する人が多いこと。協調性、そして繋がる力の強さだなぁと強く思う。

だけど、物事には陰陽両面が同時にあって、この陰の側面としては同調圧力の強さがある。皆がこうだから自分もこうせねば、は代表格。
少し前に聞いた話だと「周りが取っているリアクションに自分を合わせていたら、自分が何をどう感じているのか分からなくなった」という学生さんがいた。なんちゅうこっちゃ…。


そう、日本に住んでいると当たり前すぎて麻痺していることが多いけど、

  • 周りがこうだから、自分もこうせねばならぬ

  • 自分や周りが辛い状況の時は、決して楽しんではならぬ

という呪縛が強すぎる傾向があると思う。なので、私が感じた「辛い時は、辛いという状態でいなければ」という観念もその一つなんだろうなぁとしみじみ思ったのですよね。

だけど、よくよく冷静に考えて見ればおかしな話で、周りに自分を合わせる必要もないし、辛い時に辛くなきゃいけないなんて変な話は、ない。


私はカウンセリングやセラピーを複数利用することもあるのですが(この人だけ!と絞らないことが非常に大事、この話はまた後日)私が信頼する方々は皆、口を揃えてこう言うのですよ。

ラクな方、幸せな方を選んでいい

身体がしっくりくる方を選んでいいよ


例え今がどれだけ絶望状態であったとしても、刃物を突き付けられたり、雨風がしのげない状況じゃない限りは、死なないし安全な場所にいることは確か。

「ああ、もうどうしよう」と途方に暮れ続けることもできれば、「絶望はしているけれど、今ここで生きているんだよな」という存在の安心感にアクセスすることもできる。

これは、自分の意識や感情を注意深く観察して、気付けるかどうかの差が全てなのだと思う。資質、能力、才能、全く関係ない。強いて言うなら、その気付きを日常に生かせるかどうかという点だけ。

ネガティブな感情は重くてドロっとしていて波動が低いので、どうしても引きずられがち。ネガティブな感情が「悪い」とか「ダメ」という二元論的な話ではなく、重力の影響と同じ不可抗力なこと。

そこに浸っているとずどーんと自分が沈みゆく感覚に陥るし、さらには睡眠や栄養不足で身体にエネルギーが少ないと、貴重なエネルギーがどんどんとそこに消耗されてますます負の方向へと自分全体が傾いていく。

だけど、そんな状態でも、その状態に気が付くことで、自分は今この瞬間の意識や感情を選択できるのだという真実を思い出すことができる。「今幸せを感じること」を選ぶことができる。
選択ができるということは、自分へのゆるしであり、自分へ向ける最大級の愛なのです。

好きなスイーツを食べてもいいし、ふて寝してもいいし、日差しにあたってもいい。
好きな音楽を聴いてもいいし、好きな人を思い浮かべて微笑んでいいし、お笑いを見て思い切り腹抱えて笑っていい。

何度も言うけど、今この瞬間の自由意思に与えられている無数の選択の一つなのだ。
そして、それは周りの声や世間一般の常識に邪魔されることは本来ない。ないのだよ。

私はこの「選択の自由」をすっかり忘れていた。スピリチュアルでいう所の「創造主の視点」なんだろうな。まぁそういう専門用語はどうでもいいけども(笑)

気付いた瞬間、本当にビックリした。それほどまでに、ネガティブな感情の引きずる力というのは強いのだと思うし、映画やドラマに没頭して我を忘れてしまうぐらいの作用があるのだろう。

だから私は、自分自身に何度でも言ってあげたいんですよね。

辛いときにも笑っていいし、怖いときにも進んでいい。

たとえ苦しい状況であっても、幸せを選んでいい。矛盾してていいのです。


わざわざそこ(不快な状態)にずっと居続ける必要はなければ、かと言ってそういう感覚を無視することもしない。
ただ、そのまんまの自分で、選択をし直していいし、立ち止まってもいいし、進んでもいいし。ふんわりと幸せな気持ちでいていいし、ホっとしていいんだ。

そしてその波動の状態こそが、実は一番の他者貢献・社会貢献になるのだから。だから、辛いまま、怖いまま、幸せを選ぼう。選んでいいのだ。


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