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なぜ、先祖の因縁を解く旅に出るのか(2)

この記事の続きです。

本当か、真実か、それを追求することが私の目的ではないし、答えのない迷宮に入って自分を見失って行くだけ。

そうじゃなくって、頂いたヒントを加味しながら自分がどうしたいかだけを考える。

そう思うと、私にとっての「正解」は既に決まっています。

私は、自分に出来ることを片っ端からやり尽くしたい

不思議と、その一心しかない。

華厳寺内の満願堂


それだけ、その悩みが私にとって深刻で大切で「今世の人生」に限った話では全くないのだということ。前世からずっとずっとずっと課題にしてきた、どうにかしたいと願っては諦めてを繰り返してきたのだなぁと感じるから。

悩み始めた10年前は向き合うには荷が重すぎたし、相談できる人もいなかったし、それどころじゃない状況もあった。一番の遊び盛り働き盛りだったし、母親は病気になるしで。

これは私の直感だけど、今世の自分の人生のテーマというか、私の「魂」がずっと欲していた経験は、その悩みの中にあるのだと思う。

必ず、ある。
誰に言われた訳でもないけど、そう確信している。


だから、どうしても、諦められない。

肉体を脱いだ時に「ああ、またダメだったなぁ」って悲嘆して、次の人生に輪廻転生したくない。前世の繰り返しは、もうしたくない。

今世、この肉体を持って生まれ、少なくとも前の人生よりは色々なことに恵まれているであろう私は、この繰り返しや諦めを断ち切って新しい流れを作りたい。
今の私なら、きっとそれができる。今世ではそのチャレンジができるはず。
やってやるんだよ。

そんな沸々と湧き上がる思いが、強い。

今世の私が、どれだけこの課題を前進させられるかは、分からない。

もしかしたら何も得られないかもしれないし、何も変わらないかもしれない、傷付くことだって当然あるかもね。

でも、何もせずに諦めるよりは、何かをして結果を受け取る経験ができる方が1000万倍、良い。それが私の考え。その経験は必ず、魂に刻まれるのだから。

次の輪廻転生で今世の記憶はまた消えるけど「私はチャレンジした、できるんだ」っていう経験値は、魂レベルで残ると信じている。
現に、今の私が前世の記憶がなんだかんだと分からなくても「もう、この繰り返しは嫌だ」と、何の根拠もなく感じているのが全てを物語っているしね。

魂が脈々と受け継いだ重い課題ですらも「人は変われる」「変わるプロセスに飛び込むからこそ、本当の愛を感じられる」と思うし、私は、肉体を持ってそれを味わいたい。ゆくゆくは、その経験を人にも伝えていきたい。

エゴでも何でもいいけど、これが私の願い。私の魂は、私もよく分からない大きな目的に向かっているのだろうと思います。


もうね、読んでる人にとっては「なんのこっちゃ意味不明~」って感じの話だと思うけど、それで当然です。理解させるのはほんのごく一部、そんな世界もあるんや~ぐらいで読んで下さいまし。

華厳寺本堂にて



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