「期待を手放しましょう」それホント?
「期待しているから上手く行かないんです」
「期待は手放しましょう」
という言葉を聞くたびに、
え、なんで?
期待するのって全然ええやん!
どうしてダメ扱いされるんやろか?
って、毎度不思議に思ってたんですよ。
だから、そういう発信の真意が全っ然分からなかったんだけど、よーーーーやく腑に落ちた!のでシェアしますね。
上に挙げたような”手放した方がいい期待”とは
本当に(未来が)そうなるかな?
という疑い、不安
を差している。
それを「期待」と定義している人が、こんな風に発信してる。
なるほどなぁー!と、自分の中の言葉の違いにようやく気が付けたのですよ。
私にとって「期待」とは、”これもあれもできそうだぞ~楽しみやな~って未来に色んな可能性が広がることを楽しみに待っているイメージ。
だからこそ、「なんで手放すの?え、持ってて全っ然支障ないよ?むしろ必要じゃね?」ぐらいの調子になるわけです♪
ちなみに「期待」という言葉を辞書で引いてみれば、
ということなので、
不安や疑いというのは、「期待」という言葉に貼り付いた・もしくは派生させた各人のイメージなんだなぁと納得したのです。
で、確かに
本当にそうなるのかな?という疑念や不安は、強すぎないほうが良いと思う。
けど、100%無くなることはないやん。いくら自分が「こうなるぞ」って決めたとしても、絶対にその通りになる証拠も誰かからの確約も何もないのは人間全員に共通している。
たぶん「期待を手放そうよ」って言ってる人は、未来への疑念や不安に囚われることを辞めて心地よく待とうね!ってことを言いたいんだろうな。そこが根っこ。
疑念や不安に絡みとられていると、日々の自分のエネルギーを向ける方向が四方八方に錯乱したり、願ってもない方向に注いでしまって、結実しにくくなる。
だからそれを辞めて、疑念や不安もヨシと受容しつつ、それでも「自分はこうなるぞ、こうしたいぞ」と思う方向にエネルギーの向ける、それを丁寧に整えて行く。その結果、実を結びやすくなる。
だから、期待が云々~~とか期待しちゃダメだ手放せ~~って話よりも
疑念や不安を手懐けながら、なるべく心地よく待とう
これが真意だなぁと思った。
それにしても、言葉一つとっても人によってここまで意味が違う。
そりゃ丁寧にコミュニケーションしないと分からんもんだわ…と改めて感じるものです。
最後に余談。
何巻か忘れちゃったけど、めっちゃええこと言うわ~ずんこ先生!と思って忘れられない言葉がありましてね。
これは、本当にそう。そうだよ。期待って希望でもあると私は思う。
そして、自分が自分に期待することと同じぐらい、自分に期待(と言う名の大丈夫!の眼差し)を向けてくれる誰かがいることは、すっごい力になる。
そうやって目の輝きが変わって行った人を見た身としては、自信を持ってそう言えるな。
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