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改めて自己紹介 第1弾

いつもnoteみてくれて有難う御座います。

改めて自己紹介を自己紹介をしたいと思います。

遠田悟と言います。現在介護福祉士としてフリーランスで働いています。

どうして介護の仕事を始めたのか、私がどんな人物か知ってもらえればと思うので、幼少期から現在までの生い立ちを少し話したいと思います。

第1弾として幼少期~小学校卒業までを書きたいと思います。

保育園~小学校1年生

私は山梨県の生まれで山梨の中でも物凄い田舎にこ誕生しました。

周りにあるのは山、山、山という山に囲まれた中で育ちました。

周りに友達は住んでおらず、住んでるのは猿、熊、猪、狸等の野生動物が日常的に表れるような場所です。

そこから母親の車に乗って保育園に通ってました。

保育園の時の事を母親に聞くと兎に角「なぜ?」が多い子だったと話していました。

自分の中で子供の頃の記憶はとてもずる賢いだったイメージでした。

いい意味で争いを避け、誰とでも仲良くしている子でした。

それなりに活発で男女ともに遊んでいました。

小学校に上がるまではどこにでもいるような普通の男の子でした。

小学校にあがり、集団登校で1時間ほどかけて学校に通うという6歳には厳しい環境の中で集団登校をしていました。

小学校にあがり1年生の時から問題児だったと大人になってからあった先生に言われました。

当時ゲームボーイが流行ってました。

それをランドセルに入れて持っていき母親と先生に怒られたり、学校に帰り道に折り紙を燃やしたらどうなるんだろうと言う興味から下校中に折り紙を燃やし校長先生に怒られたのもいい思い出でした。

そんな子供の頃を過ごす男の子でした。

小学校2年生~小学校5年生

兎に角問題児だった私を母親はスポーツ少年団にいれました。

小学校2年生からサッカーというものを始めました。

理由はただ友達がいたからと言う理由でした。

対してサッカーが好きなわけでもなくサッカー選手を目指していたわけでもなく友達がいたからと言う理由でした。

週3回サッカーに友達のお母さんの送り迎えで行き、サッカーをして帰ってくる、そんなスポーツ少年でした。

ですが小学校5年生の時にサッカーを辞めました。

理由は大人数の団体競技が苦手だった。

そんな私は今度バスケを始めました。

理由はスラムダンクを読んだから。

今のバイブルもスラムダンクです。

一番好きなキャラは小暮です。

小学校5、6とバスケクラブに入り関東大会にも行きました。

そんな私が今の仕事でもある介護に出逢ったのは小学校5年生の時でした。

小学校5年生の時に両親が離婚をして、母子家庭になりました。

以前より介護の仕事に興味があった母親は仕事を辞め介護職としてグループホームで働き始めました。

グループホームとは、要支援2以上の認知症高齢者を対象にした小規模の介護施設です。"ユニット"と呼ばれる単位に分かれ、家事などを役割分担しながら共同生活を行います。1ユニットは最大9名で構成されている施設です。

介護職として働いていた母親は勤務はバラバラ朝も早かったり、夜も遅かったり夜勤なんかもありました。

私には妹が二人います。

離婚をしたときは私が10歳、妹が6歳と4歳でした。

そんな小さい子供を残して働く母親は心配もあったかと思います。

そこで私と妹二人は母親の仕事が遅いときは職場に行って母親を待つようになりました。

私が小学生の妹、保育園の妹を迎えに行き、バスと電車に乗りながら母親の職場に向かい、じいちゃん、ばあちゃんと一緒に宿題をして帰るという生活を1年程しました。

その時に介護職、認知症、高齢者に出逢いました。

その際のエピソードを介護の漫画 ヘルプマンに載せて頂きました。

https://www.amazon.co.jp/dp/B07KZNW3TY/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

母親の楽しそうな姿、かっこいい姿をみて私は介護福祉士になりたいと思いました。

そこからは介護の事について調べました。

ですがまだそこまでインターネットも普及していない、ましてや小学校の図書室には介護の本なんて置いていない。

どうやって勉強したかと言うと、母親がヘルパー2級を取る際に勉強していた本をひたすら読んでました。

見覚えがある人もいる気がします。

介護の勉強をしながら母親が土日が仕事の時には一緒に職場についていき、一緒に遊んだり勉強をしました。

その母親と同じ職場に介護職として8年後に入社することになるなんて。。。

その話は次で書けたらなと思います。

両親が離婚したことにより、いじめを受けたこともありました。

田舎では片親と言うのが今ほど多くなく、

友達の親から

「うちの子と遊ばないで」「うちには来ないで」なんて言われたこともありました。

今考えるとひどいですよねw

ですがじいちゃん、ばあちゃんはそんな事気にしてません。

「おまん誰だっけ?」(甲州弁であなた=おまん)

「どこのぼこで」(甲州弁で子供=ぼこ)

昨日来たことも忘れる、話した事も忘れる。

一緒に色鉛筆食べたり、金魚を手づかみしたり。

小学生の私には信じられない光景が目の前に広まっていました。

ですが同時に楽しさも感じました。

学校ではいじめられてても、施設に来れば暖かく迎えてくれる。

グループホームが自分の居場所になりました。

介護の楽しさと同時に人が亡くなることも知りました。

昨日までいた人が今日はいない。

昨日ちょっとひどいこと言ったから今日謝ろうと思ったのにいない。

急に目の前で具合が悪くなり救急車で運ばれる。

そんな瞬間を何度もみました。

そこで介護職の大変さ、怖さを知ったと同時に最後の1日になるかもしれない日にどうやって関わることが出来るのかを考え始めました。
でも子供なので兎に角笑って貰おうて楽しくしようと頑張ってたのを覚えてます。

私がふざけてるのを見て笑ってくれてる人たちを目の前にしてこの人たちを楽しませたいと思うようになり

そんなことができる介護の仕事をしたいと思いました。

色々あった2年間をなんとか過ごし、無事に小学校を卒業しました。

ここまでが幼少期から介護福祉士に出会うまでです。

本当は最も濃かったのですが長くなるので省きました。

もし続きが読みたいと思ったら【スキ】を押してもらえると嬉しいです。

続編は見たくなくてもあげると思います。
お楽しみに!

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