テセウスの船

先日一気見したTVドラマ「テセウスの船」ですが、「はて、こんなにあっさりした展開だっけ?」と思い、原作を改めて確認しました。

以下、感想です。なるべくネタバレしないようにと思いつつ書きますが、気になる方はこちらでお引き取りください(笑)。

さて、今回の映像化においては、人物設定とストーリーが、かなり変更されていました。放送が日曜日の夜9時台ということもあったのでしょう。相当マイルドな仕上がりを目指されたようです。私も、「グランメゾン東京」のあとが「テセウスの船」と知ったときは「大丈夫か!?」と思いましたが、このあたりはうまくアレンジされていたように感じました。猟奇的な描写もありませんし、なにより真犯人が違います。しかし、日本人的ウェットな人情的動機(a.k.a.火サス)にまとめようとしたせいで、一番大切な部分がなくなってしまったことは、いただけません。

タイトルは、クレタ島から帰還した英雄・テセウスの船の逸話に由来しています。船を後世に残すため、修復作業を重ねるうちに、もとの部品がひとつもなくなったのですが、果たしてこれは同じ船といえるのか、というパラドックスです。

ドラマでいえば、過去にタイムスリップした主人公の最終回における展開が「まったく別物の部品」に当たるのでしょうが、原作では、このテーマが作品内に散りばめられていて、それが物語の厚みを形成していました。

象徴的なのは、真犯人と実行犯の少年との会話です。

少年「僕はそれでもいいよ / 顔が違っても中身は同じでしょ」
真犯人「同じじゃない…… / 同じだけど / 同じじゃない」
(東元俊哉『テセウスの船』10巻より)

最終的に描かれる現代ですが、タイムスリップした主人公を除けば、ドラマ版は完全なるハッピーエンド。しかし、原作は、もうひとつスパイスが効いています。ここで、タイトルの「テセウスの船」の意味が重要になってきます……。

同じような設定では、amazon primeで映像化された「高い城の男」が挙げられますが、本作品の原作の方が、ちゃんと広げた風呂敷を閉じているように感じます(笑)。

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