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結婚は人生の

 毎回毎回今日こそはnote書こうと思うんだけど、いざパソコンの画面を開くと途端に面倒臭くなってくる。そもそもよくよく考えたら無理してnote書く必要なくない?まあでも今日は珍しく何か書きたい気分なので書く。


 先日、高校時代における数少ない友人のうちのひとりの結婚式に行かせてもらった。彼は去年の夏頃、突然「結婚したんだよね」と僕に報告してきた。

 僕は当然10回ぐらい「えっ?」と聞き返した。なんせその時は彼と一緒にスーパー銭湯に行って同じ熱い湯船に浸かっており、日頃の疲れを癒している最中だったから「このタイミングで?」という驚きもあった。

 僕はしきりに「冗談じゃなくて?」「本当に?」とアホのように繰り返し、その真偽を確かめるための言葉をおよそ3624回ぐらい発したあとにようやくどうやら本当に彼が結婚したらしいことを悟った。

 僕と同世代の人間、知り合いの人間が結婚したというケースは初めてだったのでしばらく感情の動揺が抑えられなかった。しかし、そんな僕の動揺を知ってか知らぬか彼はさらにこう言い添えたのだ。「それでもうすぐ子ども産まれるわ」

 もうこうなってくると別世界の人間である。僕はスーパー銭湯の浴槽に浸かりながら、すぐ横で同じように湯船に浸かっている男がどこか遠くへ行ってしまったような感覚に陥った。僕も彼も全裸で、その身体の距離は30cmも離れていないのに、僕には彼の身体が3kmも先にあるような心持がした。
 ♪不思議だねこんなに近くにいるのに 君はどこか遠くへ行ってしまった wowow……と、現実には存在しない謎の曲のフレーズが脳裏に響き渡る。いや、もしかしたらこんな歌詞の曲は実在するかもしれないがそれはどうでもいい。

 僕はなんとか平静を保ちつつ、自分に発せる限りの祝辞の言葉を述べた。彼は穏やかにありがとう、と言った。それからついでに同棲生活の内情、人と同じ空間で暮らすことの困難さなどを僕に講釈した。僕のように短絡的な思考しか出来ない脳の持ち主からすると、結婚という二文字からは溢れんばかりの眩しい輝きをイメージしてしまうが、現実はそんなに簡単な話ではないらしい。僕はそんな彼のシビアな話を、湯上りのぼんやりとした頭で聞いていた。


 僕は家に帰宅すると、途方もない虚しさに襲われた。そして、今後はもう一緒に銭湯に行ったりマーベル映画を観に行ったりすることもなくなってしまうのだろうかと思い、寂寥の念がじわじわと僕を蝕んできた。ただでさえ友人が少ないのに、結婚なんかされたらもう僕を取り巻くアベンジャーズ要員はゼロになってしまう(ちなみに僕は「FANZA動画が発売された直後でレビュー数がゼロの状態にも関わらずパッケージ写真だけでその質の高低を瞬時に見分けられる」という特殊能力の持ち主、通称『チェリーマン』です)。


 ただ、こんな社会性の欠片もないような人間と一緒にスーパー銭湯に行ってくれるような男だからこそ結婚出来たのだろうな、という畏敬の念が沸いたのも事実である。僕がやるべきことは、素直に祝福することなのだ。人生初の人の結婚式というのはなんだか緊張するが、このご時世を考慮した形で行うということで、他人との余計なコミュニケーションを強要されることもないだろうと思い僕は結婚式に参加する旨を彼に連絡した。結婚式では他人と余計なコミュニケーションを取らなければいけないと思い込んでいる時点で完全な社会不適合者なのだが、しかし意を決してその場に足を運ぶ決断を下したことは評価されて然るべきではないだろうか。……僕は誰に向けて問うているんでしょうか。


 いざ結婚式当日、僕は高校時代の共通の友人、というか後輩を連れて結婚式場へ向かった。スーツにネクタイ、これだけで緊張するには充分である。後輩と共にバスに乗りながら「こわいなぁ~こわいなぁ~、ご祝儀の渡し方よくわからんし怖いなぁ~、受付ミスって全然知らん奴の結婚式に凸することになったら怖いなぁ~」とか馬鹿話をしていたら結婚式場に着いていた。

 式場は某海辺の某チャペル的な建築物がある某ホテルっぽいところで行われた。高校時代の友人と合流し、受付を済ませ、ロビーのような場所でソファに座って待つ。当然ながらいろいろな年齢層の人間がスーツ姿でたむろしている。

 僕らは会場の人間の指示に従って、チャペルに案内される。しばらくして、式の開始がアナウンスされた。外国人の牧師がカタコトの日本語で話し始める。あまりに見本のようなカタコト日本語なので、少し笑いそうになってしまった。僕の精神は未だに小学生の域を出ないようだ。

 新郎の入場という段階になり見慣れた男性がチャペルに入場してくる。チャペルに集結した人間たちに見守られながら入場してくる彼を見て、僕は彼の心情を想像した。人生の節目とも言えるようなこのシーンで、果たして何を思い、何を考えているのだろうか。このように自分が主役でありながら大勢の人に注目されるような機会をほとんど持たなかった僕にわかったのは、彼の顔がただ自信に溢れた笑みを湛えているということだけだった。


 続いて新婦の入場。話には聞いていたが彼の奥方を実際に目にするのはその時が初めてだった。彼女は真紅のウェディングドレスに身を包み、上品な艶やかさを備えていた。新郎新婦が壇上に揃うと、テンプレカタコト牧師が「エイエーンのアイヲー、チカイマスカ」的な言葉を述べ、たらたらとカタコトを垂れ流す。その後、「ソレデーハ、チカイノ、キスヲ」と牧師が言うと、チャペル内の人間は一斉にスマホを頭上に掲げシャッター音を鳴り響かせた。冒頭に「携帯の電源はお切りください」と言われていたのにまったく現金な連中である。僕は写真を撮らず自身の心象風景に映像を刻み込むタイプの人間なので、新郎新婦の接吻の場面もスマホを取り出すことなく行儀よく瞳孔をガン開きにして観察しているだけに留めた。


 チャペル式が終わると、一回屋外に出てホテルのガーデン的な場所へと連れ出された。そこで写真撮影とブーケトスが行われた。僕らは男性だったのでブーケトスの様子を遠目に見ていたのだが、ブーケは風で飛ばされ(当日は晴天だったが風が強かった)、たまたまそこにいた初老のオッサンが風で飛ばされていくブーケを必死でキャッチするというよくわからない展開になってしまったようだった。


 それが終わると今度は大宴会場のような場所へ案内され、丸テーブルに座らされた。僕ら高校時代の共通の友人は5人いたのだが、丸テーブルは9人分席があったため、4人は全然見ず知らずの人間であった。新郎曰く4人は中学校時代の友人で、女性3名男性1名ということだったが、正直終始気まずかった。コミュニケーションを図ろうにもアクリル板が邪魔で声が通らないし、せっかくの豪華な食事もコロナがもたらしたアクリル板の所為でするすると喉を通らない。後で一緒に丸テーブルに同席していた後輩に「あの時もうちょっと積極的に話しに行った方が良かったんじゃ……」と指摘されたが、アクリル板がある以上は消極的にならざるを得ない。第一まずなんて話しかければいいのだろうか。共通の知り合いである新郎についての話を振ればいいのだろうということはなんとなくわかるが、いざ実際に声を発しようとすると何も出てこない。結局「このスープ何が入ってると思います?」「は?どう見てもパンプキン入ってますけど……」「…………パンプキン……かぼちゃね……そ、そっすよね(笑)」という糞みたいな脳内シミュレーション会話を行うだけで時間が過ぎていってしまった。ともすれば新しい出会いがあるのではないかという甘い期待を抱いた自分が馬鹿だった。そもそも出会いがあっても交流が発生しなければ意味がないのだ。


 そんなこんなで結婚式が終了した訳だが、やはり一応僕にも人間の心というものがあるのでそれなりに胸にくるものがあった。宴会場で食事をとっている最中にプロジェクタースクリーンのようなものが天井から下ろされ、新郎新婦の出生から現在に至るまでをまとめた映像が流れた時は完全に保護者の面持ちになってしまった。実際に高校時代の共通の友人も顔にハンカチをあてがい、しみじみと感傷に浸っていた。結婚式しか勝たん!


 しかし、生まれつきながらの異常独身男性である僕にとってはこのようなイベントが心に正の感情をもたらすと同時に負の感情をももたらしてしまうことは天上の運命(さだめ)であり、逃れられないカルマなのである。

 当然、当人に非はないのだが幸福な人間を目にすると自分自身の不幸さが気になってくるのが人間の常であり、これは現代のSNS社会を見るにつけても顕著な現象である。

 この間声優の田村ゆかりのラジオを聴いていたら「facebookとかで成功してる人見るとなんか敵わねぇなぁ~って虚しくなる」みたいなことを言っていて非常に共感を覚えた。AMの深夜放送とかも聴いていると陽より陰寄りの人間が多いのでもう僕にはラジオしか居場所が無いんじゃないかと思えてくる。陰寄りの人間が多いというのは完全に偏見だが、ラジオを聴いていると心の安寧が保たれるので僕の波長に合うということはおそらく陰寄りの人間なのはほぼ間違いない。

 そんなねじ曲がった考え方をする人間がこの先結婚出来るとは到底思えないが、自分が結婚した時の妄想だけは人並み以上の回数を誇っている、そんなナードなのでした~(『おめざめテレビ きょうのにんげん 11月6日』より)。






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