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体重をめぐる悲喜こもごもについて

 僕は幸か不幸か人生で一度も「太る」という経験をしたことがない。まあ厳密に医学的な観点からいえばあったのかもしれないが、少なくとも風呂上がりに自分の裸体を見て「なんか太ったな」と感じたことは今まで生きてきて一度もない。
 自慢話のように聞こえるかもしれないがもともと貧相で軟弱なイメージを与えるような痩身体型なので、この太りにくい体質を自負するような感情は全くない。
 だから人に「痩せてるね」とか「スタイルいいね」とか言われることがあっても素直に喜べない。どうせ裏では「貧弱だな」とか「その気になればすぐ正拳突きで倒せそう」みたいなこと思われているのだろう、という陰湿な感想が出てきてしまうのだ。

 世の中には「痩せたくても痩せられない」と嘆く人間がいるように「太りたくても太れない」と嘆く人間もいる。そしておそらく両者は永遠に理解し合うことは出来ないだろう。ダイエット中の人間が、痩せている人間の「太りたくても太れない」という言葉に「ふざけるな」と激昂するように、細身の人間は「痩せられない」と嘆く人間に「なんでだよ」と反発する、こういう風に相手の気持ちを心から理解できない事例はもうやがて戦争に発展しかねないと言っても過言ではなくはない(過言)。

 多分太っているか痩せているかっていうのは体質の面が大きいからそこまで気にせず割り切ってしまえばいいんだろうけど、やっぱりどうしてもコンプレックスに感じてしまう点がある。
 僕は痩せている側の人間だから、太っている人間の悩みを具体的に省察することはあまり出来ないけれど、多分見た目やイメージ的に「デブはカッコ悪いから嫌だ」とか「汗っかきっぽく見られたくない」みたいな自己嫌悪感に駆られてしまうのだろう。ガリサイドから無責任かつ楽観的に言わせてもらえば太っている人って好きなもの食べまくって人生楽しそうなイメージがあるけど。あと人当たりの良くて面白いクラスの陽気な人気者的イメージもある。こんなこと書くと「僕はろくに好きなものも食えずに学生時代不登校だったデブです。こちらの苦労も知らないで無責任なことを言わないでください、視野狭窄が過ぎます」というクレームが入りそうな気がするが、まあ真剣に自身の太りやすい体質にコンプレックスを抱えている人だっているのだろう。

 じゃあ逆に痩せている人間のコンプレックスって何なんだと言われると、弱そうに思われたりナメられやすかったり、かなりマジなトーンで「食べてる?大丈夫?生活苦なの?」という心配をされたりすることが挙げられる。一部の人にしか理解してもらえないかもしれないけどこう思われるのは精神的に結構ショックなものである。
 以前親戚と家族ぐるみで焼肉に行った時、僕がかなり痩せているモンだから親戚家族に「ちゃんと食べてる?」と心配されて「今日は好きなだけ食べなさい」と言ってもらったことがある。じゃあ遠慮なく、ということで僕は大量の肉と石焼ビビンバを注文し、それらを完食して「へぇ~意外と食べるんだね」と感心された。そもそも僕は普段からご飯をあまり食べていないわけではないし、少し多いぐらいの量の肉を食べるのも苦ではないのだ。
 僕がそう言うと親戚は「そんなに食べて太らないの羨ましいわ~」って言ってくれたんだけど、その場にいた僕の母親がすかさず「いや食べてもすぐ出るだけだよ、胃腸が弱いから」と口を挟んできた。いや食事中にそんな話するなよお前…………いやわかるよ、自分の子が持ち上げられたら親の謙遜として一回落とさなければいけないのはわかるけど暗に「いや太らないっていうかすぐウンコになって出るだけだよ」って下げ方は悪手すぎるだろ……。実際そういわれた親戚もなんて返せばいいかわかんなくて言葉に詰まってたしね、「そんなことないでしょ~」とも言えないし。というか親がそんなんだからこちらもストレスが溜まって胃腸が弱り結果的に痩せ型になってしまうのである。
 確かに僕は自分が痩せているのは黄金を排出する回数が多いからという理由もあると思う。実際平日の朝は平均3回ぐらい便座に座る。なんでこんなに多く黄金を排出しなければならないんだろうって思うけどやはり日々の生活から感じるストレスが原因なのかもしれない。

 しかしストレスで痩せた人間が本当にストレスで痩せたのか医学的に証明することは出来るのだろうか。もし出来るのだとしたら、発明の才覚を備えた医学者に「具体的にどういう種類のストレスで何キロ痩せたかがわかる体重測定器」を製造してほしい。体重測定器の上に乗ると音声で「今日は苦手な上司と8時間同じ空間にいたため5キロ痩せました、現在のあなたの体重は43キロです」という風に体重増減の理由を教えてくれるのだ。
 僕が痩せているのはほぼほぼ対人関係の90%において会いたくもない人間と会っていることが原因だろうから、それが医学的かつ視覚的に証明されればもうその人間を何らかの手段で消すことで問題は解決するのでこっちのモンである。と言いたいところだが生憎僕は闇組織の人間でも何でもないので当然そんなことは出来ない。辛酸をなめながら残酷な現実を耐え抜くだけである。

 でも「痩せている」と言われた時に「好きで痩せてるわけじゃない、かくかくしかじかな負の要因により痩せているんだ」ということを視覚的に証明できる手段はほしいものだ。というよりただ単に同情がほしいのかもしれない。

 

 僕みたいなコンプレックスを抱いている人間はえてして「人に寄り添う」という優しさの姿勢を他人に強要してしまいがちだ。何故この悩みを理解してくれないのか、と自暴自棄になりかける時もあるけれど実際にその人間にしかわからない心情も存在するわけで、人間の想像力には限界があるってことを考慮しなければならない。でなければ、いつまでも想像力の先にある優しさに期待して甘えてしまうから。


おわり

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