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あなたはどっち? シンプルマン vs. ビッグマン

「受け答えが、上から目線で感じが悪い」

政治家のインタビューで、論破合戦になっている場面をよく見かけます。どんなに正論でも、敵をつくったら意味がない。彼ら自身の目的達成から遠のくのではないかと、ヒヤヒヤします。

リーダーと言うと何でも命令できる権力者のイメージがありますが、その本質は違います。実際はサーバントリーダーシップに近い。公僕と言われるように、コミュニティ全員に仕える下僕なのです。

例えば、ニューギニアの少数民族ではリーダーのことを「骨を食べ、石灰だけを噛んでいる男たち」と呼ぶそうです。つまり、自分を後回しにできる人のこと。うちの祖父も埼玉の小さな農村の村長でしたが、似た話を聞いた覚えがあります。

誰もが嫌がる仕事を率先して引き受け、取り分はみんなに振る舞い、最後に残ればいただく。集会でみんなが持ち寄ったご馳走も、一番多く振る舞い、歌い、踊り、笑顔でみんなを盛り上げる。お酒を注いで回り、自分が箸をつけるのは最後の最後、残り物です。

権力も名誉も報酬もないので、正直メリットなし。何もないのに奉仕活動ですから、ほとんどの人がしぶしぶその役割に就いたと言います。

「なんだ、じいちゃん、生徒会長と同じだね」

少年時代のぼくも、小学校でイヤイヤながら生徒会長をさせられていたので、理解できました。メリットなんて一個もありません。放課後にみんながサッカーして遊んでいるのを横目に、つまらない生徒会の活動があります。行事があると何百人もの全校生徒の前で緊張してスピーチしなければならず、何を話すか原稿を書いて先生から事前チェックが入ります。超めんどくさいのに、特にリスペクトも得られない。生贄のように、「かわいそうに... 」と同情はもらえるけど。

公僕。まず、この前提があります。ビジネスの世界では「リーダーの仕事は決めること」と言われますが、政治は違います。「決める」権限はなく「全員から納得を得る」のがリーダーの仕事です。決断ではなく、調整。

例えば、村の寄り合いがあります。民主的というと、多数決で白黒を決めるイメージがあるかもしれませんが、白黒は決めません。意見が分かれたら、何日でもみんなで集会所でノンストップで話し合います。どこからか弁当が差し入れられて(これもリーダーの家からだったりする)、眠くなった人は寝て、起きてまた話します。3日も経つと疲れも出てくるし

「まあ賛成ではないけど、みんなでここまで話したし、しょうがないか」

という空気が醸成され、「ではまあ、みなさん、そんなことでよろしいですか」と解散となります。

多数決で白黒を決めると敗者が出るので、間をとってグレーにして妥協点を探ります。痛み分け。これが大事で、少数派の人たちも「意見を聞いてもらえた、排除されなかった」という安心感が居場所には必要です。自分の意見が無視されたと感じると、敗者は立ち去り、村人が減ってしまう。だから急がずに、全員の話を聞いて回りますし、変化への不安を共有し、心がそろうのを待ちます。誰も置いていかない。

狭い日本で、人的資源が限られた社会は、まるで村です。論破してやり込めていくと、どうなるでしょうか。代わりがいる状況ならまだしも、少子化時代に人間は貴重です。賛成まではしてくれなくても、全員に「しょうがないか」と納得してもらう。やわらかで高度なコミュニケーションが求められるのです。

いくら正論だって、感じ悪い人の協力はしたくありません、人間だもの。

民族学者のレヴィ=ストロースは、リーダーの資質として「もっとも重要なのは気前の良さだ」と言っています。みんなから分け与えることを期待され、いつも余分な食料を確保していなければならない大変な立場です。そして結局、どの民族でも「リーダーの持っている資産は、最後の一滴まで絞り尽くされる」と。恐ろしいですが、すべてを与え、自分は丸裸になるのがリーダーの宿命です。

小さな会社のオーナーも、同じかもしれません。稼いだお金をまずは社員の給料として分配し、最後の残りが自分の分です。業績が下がったら自分の給料はゼロ。マイナスになることさえあります。そのくせ業績が上がると、みんなに「分配が少ない」と言われ、結局気前よく分配しちゃって丸裸になる。

それでもやるのは、与えるのが喜びだからでしょう。面倒ごとを頼られるのも嫌いではありません。困ったなぁと言いながら、腕まくりして取り組む。損得で言ったら、損でしかない。

そんな時、やっぱり考えるんです。ぼくらは、何のために生きているのか。

いかに楽して得するか、そんなことのために生きているわけではないでしょう。

ブッシュマンという先住民族では、いくら効率よく稼いでも、節約して使わない人は「シンプルマン」と呼ばれて軽蔑されるそうです。まわりに何も与えず、何も動かさなかった人として「シンプル」とされる。

貯めるより、使え。気前よく分け与えて、お金も人脈もぐるぐる回して人助けをした人は「ビッグマン」とリスペクトされます。よく生きるための本質は「動かすこと」。昔の人は、わかっていたのでしょう。

たくさんの人と交流し、徳を積む。苦労も喜びも葛藤もたくさん味わい、泣き笑い。人間としての器を成長させて、自分という素材をフルに使い倒して死ぬ。気前よく生きるのが、ビッグマンの生きかたです。

TEXT:自由大学 学長 深井次郎 (自分の本をつくる方法教授)

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