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【自由大学FREEDOM UNIVERSITYメールマガジン】| 『ていねいな暮らしは、何をていねいに扱うのか』| 学長コラム

メディアが煽るお金で買える上質の暮らしもいいけれど。あなたの「人生の目的」について考えを巡らせるほうが、有意義かもしれません。

うまく波に乗っている人も、ひとつ歯車がくるうだけで途端に意欲が低下することがあります。吟味して「人生の目的」に沿った仕事を選んでいるはずなのに、なぜぼくらは燃え尽きてしまうのでしょうか? 

「自分は何のために生きているのか」

企業が掲げるように、個人でもパーパスを言語化していく人が増えています。人生の目的、その北極星に沿った活動を選ぶことで、毎日に充実感を与え、モチベーション高く邁進できるからです。

例えば、20年前から公言しているぼくの個人的なパーパスはこれ。「充実した人生を増やす」 それ以降、作家として出版、オウンドメディア立ち上げ支援、学校運営、学びの場創立コンサルなど、さまざまな仕事をしてきていますが、すべてパーパスに沿った文脈の活動です。

にもかかわらず、実のところ何年かに一度は空虚感に襲われ、燃え尽きてしまう時期があるんですね。「こんなことしてる場合じゃないぞ、もっと大切なことに取りかからないと...」おまえ時間(=命)を浪費しているぞと魂が叫び、仕事中にもかかわらず無性に悲しくなるんです。

同じような人が多くいるようでよくお便りが届くのですが、パーパスって何なんだろうと。働きかた研究家として、深掘りしてみたんです。すると、思い込みに気づいた。さっきの安易な表現「北極星」からもわかるように、「パーパスはひとつである」と思い込んでたんですね。

「喜びの源泉」「ワクワクの核」「パーパス」... 今までの著書やエッセイの中でこう表現してきましたが、誰もがこれが複数あるんです。「ああ、今が永遠に続いたらいいのに」「夢なら覚めないで」と震える最高の瞬間。すべてが完璧にはまって、地底からゴゴゴと充実感が込み上がってくる瞬間が人生で何度かありませんか。

反対に「これに耐え続けるならいっそ誇り高く切腹したほうがマシ」とまで思えるほど嫌悪する対象もあるでしょう。幼少期から今までの喜怒、両極の状況をつぶさに分析していくことで、自分にとっての「喜びの源泉」が浮かび上がってきます。

ぼくの場合は、公言しているひとつ以外にも「世界が新しく見える大発見をし、それをわかりやすく共有する」「きらめきを蓄積して達成感と成長を味わう」「一生会うことのない、知らない町の誰かまで届ける」など、10個以上あるんです。

喜びの源泉は複数あるので、たった一つの仕事で全項目を満たすのは難しいでしょう。だから、一つの仕事だけしてると燃え尽きるんです。他にも複業したり、マイプロジェクトやボランティア、趣味をしたり、家族を築いたり地域に貢献したりして、生活全部を通してリストを満たしていくほうがいいんですね。

「やりたい仕事をやっているはずなのに、モチベーションが上がらない...」そんな時は、すべての項目を点検してください。長らく放置されている項目に気づくはずです。人間は一人ひとり違うので、万人に共通するチェックリストはありません。リストは自分でつくるものです。

「勝利し、優越感に浸る」「注目を浴び、大きな期待を背負う」「多くの人からリスペクトを得て、特別視される」

一見するとおしとやかなのに、こんな喜びの源泉を隠し持っていた女性もいます。親の教育も影響して、「競うと誰かを傷つけるんじゃないか... 」「目立ちすぎないように謙虚に... 」なんて学生時代から自制してきたのですが、これが満たされないとどうにも生きてる心地がしないんです。

たとえ最終的にこれらを達成できなくても、目指すだけでいいんです。目指して挑戦しているだけで、心は充実していきます。貴重な時間(=命)を無駄に垂れ流しているような、空虚な気持ちにはなりません。ちゃんと目的地に向かっているのですから。

これは「目標」ではなく、人生の「目的」なんです。「目標」は具体的に叶えるもので、叶えたらそこで終わりますが、「目的」は挑戦し続けるもので終わりがありません。

「空想をかたちにする」「ユーモアで笑顔にする」「かわいい生き物を慈しむ」「平穏に安全に生きる」「理不尽をなくす」「自分の城を築く」「美しいものに囲まれる」

大小さまざまだし、利他的、利己的いろいろですが、人生の目的に良いも悪いもありません。それらを経験したくて生きてるんですから。別にまわりに公言する必要はないので、照れずにすべての喜びの源泉を丁寧に扱っていこうね。

TEXT 自由大学 学長 深井次郎

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