「仕事一筋」「仕事熱心」とは⑦ ~「仕事一筋」「仕事熱心」だけど、一緒に仕事したくない人~
「仕事一筋」「仕事熱心」という言葉は、
仕事の事しか、考えていない人。
それこそ、この人から仕事をとったら何も残らない人。
「自分」ー「仕事」=ゼロの人。
仕事以外に、物差しがない人。判断基準がない人。
そんな人を、「仕事一筋」「仕事熱心」というのか。
それについて、続けて述べさせて頂いています。
前回は、「木こりのジレンマ」のたとえ話を通して、
斧を振るうだけが仕事ではなく、斧を研ぐのも仕事である。
しかし、斧を研ぐのも仕事であると分かるのは、
ボロボロになるまで斧を振るった人であり、
まだ新品の斧の人には、分からない。
ここまで書きました。
それでは、斧を研ぐ仕事とはどのようなものかを書いていきたいと思います。
まず最初に思いつくのが、
その仕事に直結する資格や知識を身に付けることでしょう。
会社の中で、
ある資格を持っていないとできない仕事をやってる方や、
語学力を活かして、海外とのやり取りをしている方がいたりするものでしょう。
こうした事は、
会社全体が制度化するなどして後押ししていたり、
上司から勧められたりされた事から、
自然と耳に入ってきたという方も多いと思います。
そして仕事が終わった後、
自宅で勉強されている方や、
塾や教室などに通っている方もいるかもしれません。
そうした個人的な取り組みも、
間違いなく斧を研ぐことになり、
「掛け算」になる仕事でしょう。
しかし、それだけでその人は、
「仕事一筋」「仕事熱心」だと言えるでしょうか。
実際に皆さんは、
そうした人と一緒に仕事をしたいと思われるでしょうか。
本当に「仕事一筋」「仕事熱心」な人であるならば、
そうした人と一緒に仕事したいと思うようになるはずです。
ところが、実際はどうでしょうか。
「口を開くと、この人は仕事の話しかしない。つまらない」
「『仕事だから』の一言で、何を言っても許されると思っている。
付いていけない」
「仕事に対する情熱はすごいと思うけど、
自分とは住んでいる世界が違う気がする」
そう思われている人が、少なくないと思います。
個人的な斧を研ぐことになる取り組み。
個人的な「掛け算」になる取り組み。
それを実践することは大いに結構ですが、
それだけでは限界があります。
本当の「仕事一筋」「仕事熱心」と言える人。
一緒に仕事したいと思われるようになる人。
そうなるには、個人的な取り組みでとどまってはいけません。
積極的に仕事に、自発的に取り組んできた。
周りから「コイツに仕事を任せておけば大丈夫」と言われるようになった。
それぐらい「仕事一筋」「仕事熱心」になったものの、
行き詰っているような感覚がある。
これ以上、伸びしろがない気がする。
そう思うのは、個人的な取り組みだけじゃない。
今の延長線で頑張ってさえいれば良いのではない。
「他人」という、斧の研ぎ方を教えてくれるヒント。
「掛け算」になる財産が眠っているのです。
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