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社会構成主義をまなぶ

社会構成主義の概要〔ポイント〕をまとめています。

ポスト・モダン
post-modern
近代主義(モダニズム)の画一性や没個性主義を乗り越えようとして1960年代以降に現れてきた新潮流。建築に始まり、やがて社会学や社会理論にも波及した。様々な時代の様々な様式の折衷や共存を特徴とする。社会福祉ではポスト・モダンが論じられることは少ないが、施設収容による画一的な処遇や措置制度がモダンだとすれば、在宅ケアや地域福祉の流れがおこり、さらにNPOなどの民間非営利組織が社会福祉を変えつつある状況がポスト・モダンだと言えるだろう。
ヒューマニズム。人間にとって人間が最高で、人間性こそ尊重すべきものだとする、態度・思想傾向・世界観。例、人間が具えるべき理想の資質に誇りをもってそれを伸ばそうとする、キケロの態度や、イタリアのルネッサンス期に始まって欧州に広まった、古典を重んじ教会の勢力に抗して人間性の解放・向上を目指す運動。人文主義。人本主義。
社会構成主義は、知識を客観的な実在から客観的に導きだされた真実に基づいて生じるとはみなさない。知識は「主観的であって、解釈の素材である」ととらえられる。
自分自身の経験がストーリー化されることで、自分自身が構成されると考えるのである。社会構成主義の立場は、テクスト・アナロジーとして分類できるものであり、ある問題がいかに構成され、いかに解決するかという側面は、ストーリーを基盤にした意味の問題として理解することができる。
問題は人が自らの生活体験を意味付けすることにあるのであり、その再構成に、援助の意味があると考えられる。専門的知識に基づいて客観的に判断されたとみなされる問題のカテゴリーは、ほとんどが否定的〔病理的〕な定義であり、また個人や家族の生きられた世界から遊離した定義である。社会構成主義は、このような定義ではなく、個人の語りが生きられた経験と合うかどうかを問うのである。
目の前で起きたこと、誰かが言っていることを事実としてまず受け入れる。自分の今までの考えや経験はとりあえず一旦横に置いといて、「そんなことが起こったんだ」ということをまず受け入れる。このような考え方は、フッサールが提唱した現象学の基礎。社会構成主義は、現象学を基礎に構築されている。
「目の前にあるモノが本当にあるかどうかはわかんないけど、とりあえず自分はあると認識しているし、隣にいる人もあると言っている。だから、あるんだ」。この考え方の重要なことは、「人と人との関係性の中で、『あること』が共有されたから、そこにあるのである。」ということです。
これは、絶対的なルールが存在しているなんて誰にもわからないので、人と人の関係性の中で共有される世界を大切にしようという考え方です。このような考え方は、社会構成主義と呼ばれます。
社会構成主義の基本には,『物事には従来の意味での「事実」や「真実」といったものはありえず(たとえば,「客観的」とは「主観の多数決」に過ぎない),それぞれの視点から「再構成」された「現実」があるのみであり,「事実」や「真実」は社会的に構成された物事である』という認識がある。
「談話」は、ことばがコミュニケーションのために使われるときに作る、文脈を持ったまとまりのことです。「ディスコース= Discourse」または「テキスト=Text」と呼ばれることもあります。

談話が成立する公式

☑️ テクスト+コンテクスト=談話 

☑️ テクスト = 談話 - コンテクスト

「談話」には、話された談話と書かれた談話があります。「談話」は、機能・構造・運用の面でその構成要素である「文」とはちがうので、それを明らかにすることが「談話研究」あるいは「談話分析」と呼ばれる研究の目的です。

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英語の「dog」を「犬」と翻訳したところで、両者の示すものが全く同じではないように。社会構成主義では、この場合の「dog」や「犬」といった表記そのものを「テクスト〔最低限に通用することばの連なり、音の連なり、表記、ことば〕」と呼び、両者がそれぞれに示すことがらや意味を「ディスコース〔文脈を持ったまとまり:談話〕」と呼びます。そしてナラティヴセラピーでは、「語り」を通じて両者のディスコースの間に生じる「ズレ」を、治療における変化の源と考えます。
① 客観的な捉え方は「事実」と言えるのか?
②客観的でないものは主観的なのか?
③「客観的」な「事実」は主観の多数決にすぎないのではないか?
④治療者は「客観的」か?
⑤治療者も当事者であれば「客観的」はどこにあるのか?
⑥そもそもなぜ「客観的」な「事実」にこだわるのか?
わたしたちが何かを「理解する」「わかる」ためには、何らかの既得の知識が不可欠であり、その知識に基づき、それを応用することによってわたしたちは何かを「理解する」「わかる」ことができるわけです。ではそのような「何らかの既得の知識」がどのようにして得られるのかといえば、これはもう「習得」ー「習い覚えること」以外にありえないことでしょう。
この身に受ける様々な刺激を「何らかの意味を有する『物事』として『理解』する」という「既得の知識」を獲得し、その知識に基づき、応用し、そのこと自体がさらに「既得の知識」となり、それをまた応用し……
それほどに繰り返されてくると、「既得の知識とその応用のあり方、やり方」はすなわち「そのひととなり」であるといってもよいくらい、独特な「構成」を示すほどになり、わたしたたはそれを「人格」と称している…
「テクスト・アナロジー」とは、「テクスト〔最低限に通用することばの連なり、音の連なり、表記、ことば〕」がなんらかのやり方で互いに絡み合い、織り合ううちに何やら「模様」めいたものが浮かび上がり、さらに織り合ううちに「模様」めいたものが何らかのパターンとして浮かび上がり、やがて何らかの「絵柄」を構成するように、文字の連なりや音の連なりがつながり合い、関わり合う中に言葉の「意味」が生じ、それがつながり合い、関わり合う中に「概念」や「理解」や「考え方」などが生じます。結果、生じてくるものを「ディスコース〔文脈を持ったまとまり:意味・概念・理解・考え方〕」“談話”と呼びます。
「テクスト・アナロジー」は、あらゆるものごとを、「テクスト〔最低限に通用することばの連なり、音の連なり、表記、ことば〕」が絶え間なく構成され続けることによって何らかの「ディスコース〔文脈を持ったまとまり:語り、談話〕」が生じ続ける一領域と考えています。 確かなことは「テクスト」が構成され続けているということであって、そこにどんな「ディスコース〔文脈を持ったまとまり:談話〕」を見出だすのかは、見いだす側の「ディスコース〔文脈を持ったまとまり:意味・概念・理解・考え方〕」のあり方次第です。
ある人が自らの半生を振り返って、「私は幼い頃から内気だった」と述べたとすると、その人は自らを構成する「テクスト」がそのような「模様」に見えるような「ディスコース〔文脈を持ったまとまり:談話、意味・概念・理解・考え方〕」を構成し続けているのです。それは例えば「先生に指名されて、黙っている私」というテクストや、「ひとりで本を読む私」というテクストや、「壇上で赤面する私」ていうテクストかもしれません。これかのテクストを「内気」として意味付け、そのようなディスコースを構成し続けることによって、「幼いころから内気な私」という「模様」が見えてきます。これらのテクストを「内気」として意味付ける必然性はどこにもないのですから、その「人」のテクストやディスコースの独特な構成のされかたによって、これらのテクストを「内気」として意味付ける必要が生じるのです。その「人」のテクストやディスコースの構成のされ方がそれなりに変化すれば、これらのテクストを「内気」として意味付ける必要は生じず、他の意味付けをする必要が生じることになります。
わたしたちの通常のコミュニケーションにおいて、「言葉」が「テクスト」として用いられることはまれであり、「ディスコース」を示すものとして用いられることがほとんどです。つまり「テクスト」としては同じ「内気」という言葉を用いても、その言葉に託された意味合い〔ディスコース〕は「ひと」によって、それどころか同じ「ひと」であっても場面によって、状況によって異なります。通常わたしたちは、同じテクストを用いれば、大体同じディスコースを示すはずだという暗黙の了解に則って、ひとつひとつのディスコースをいちいち明確にすることなく、「わかったつもりになる」ことで円滑なコミュニケーションをおこなっています。実際にいちいち確認していたらまともな会話など成り立ちません。
コミュニケーションに用いられるどんな「言葉」も、その「ひと」の「ディスコース」を示し、その「ひと」の構成のあり方の一部を示す、大変重要な手がかりです。

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書かれた・話された文章そのものを扱うテクストとは別にその文章から別の意味や文脈を捉えるのがコンテクストだ。コンテクストには言語的文脈と非言語的文脈が存在する。
言語的文脈
言語的文脈とはことばとことばの関係のことを指す。さらに言語的文脈は2つに分離することができる。後方照応と前方照応だ。
非言語的文脈
テクストそのもの以外の様々な要素を指す。どんな媒体を使っているのか?コミュニケーションの仕方はどんな?やりとりされている内容は?目的 は?状況は?この談話の参加者は誰?参加者同士の関係性はどうなっている??といったテクストそのものから読み取れない隠れた要素を意味する。
ディスコース〔語り:意味、概念、理解〕=テクスト〔最低限に通用することばの連なり、音の連なり、表記〕+コンテクスト〔脈略:文章の前後関係から意味を理解する〕

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