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新しい視座への移行 〜2螺旋階段をのぼるように



こちらの記事は、この記事の続きです。


「人はそれぞれまったく別の世界(宇宙)を生きている。」



前回、「ずいぶん昔に書いた記事を誰かが読んでくれて、スキしてくれたりすることが、けっこうあるのですが、自分の書いた記事の内容をほとんど忘れてしまっているので、あれ?どんな記事だったかな?と思って見にいったりするのです。」と書いたのですが、

最近、こちらの記事にスキしてくださった方がいらっしゃって。

この記事2年半前に書いたものなのですが、
これを書いた時のことをよく覚えていて。
というのは、頭から湯気が出るんじゃないかと思うほど、
自分で書いていて意味がわからなかったんです。(笑)
だから何度も書き直した記憶があって。

でもなぜか書かなきゃいけない。って思って
よくわからないし、うまくまとまらないけど、アップしたんですよね。
で、案の定、この記事はあまり人気がなかったんですよー。

でも、先日スキをいただいた際に読んでみたら、
あれっ?全然意味がわかるし
なんなら最近私が書いている私たちはは空間そのもの、
流れそのものっていう話そのままじゃーん?!と。
それもこの記事の方が苦労した甲斐もあってまとまっているかも?(笑)と思ったので、記事のトップに固定しました(笑)。

自分の発した言葉の意味が2年半かけてやっと腑に落ちた。って...。
やまびこさん、タイムラグけっこうありました。


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こんなふうに自分にしっかりと、その「知」が落ちるまで
結構タイムラグがあるような気がします。

アタマで理解してわかった気になったり、
たまたまその時に高次にアクセスしていて情報が降りてきていたりしても、その「知」が、私という世界に影響して、変化して、通常ベースという状態になるまでは時間がかかる。

本当に螺旋階段をゆっくりのぼっていくように
何度も何度も同じ景色を見かけて、何度も同じ場所に何かひっかかる。
そのたびに自分の中で反芻していて、ようやくひと螺旋上がっていく。


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もうひとつ、最近の私が意識の中で何度も反芻しているのが、
「人はそれぞれまったく別の世界(宇宙)を生きている。」という話で。

これは3年前、フラワーオブライフという記事で書いているのですが

今読み返したら、感慨深い。

この頃のほうが私、宇宙の真理をわかっていた、
もしくは降りてきていたのかも(笑)。
…というのはひとまず横に置いておいて。と。


前回の記事で書いたように、私の3次元的な周囲の状況は本当に整って。
周囲には意識の世界、スピリチュアルの世界に精通している人の割合が本当に増えて(多分、8割9割くらいのレベルになっています)
そんな世界で生きていても
でもやっぱり、その中でも、ちょっとしたズレは感じるのです。

もちろん人それぞれで、ズレがあるのは当たり前すぎる話なのですが、
まったく気にならないズレと気になるズレってあって。

自分が引っかかって気になってしまうズレは、
多分、自分の中にまだ存在している自分のズレであり、
それを感じているタイミングが移行期なんだな。と思うのです。

それが先に書いた
「人はそれぞれまったく別の世界(宇宙)を生きている。」という話で。

またも猪子さん登場ですが、

人は見ている世界を認知していると思っているけれど
実際は認知している世界だけを見ている
よく言われることかもしれないけれど
認知上、存在すれば、それは存在する。
実際存在しても
認知上、存在しなければ存在しない。

「生命は海の中の渦」 〜チームラボ 猪子寿之さんの話

彼が言っていたように
人は認知している世界だけを見ているし、
なんならそれが、その認知自体が、その人の世界=その人自身であって。

それは寝食を共にしている夫婦であっても自分の親であっても子供であっても、もうまったく違う世界に「住んでいる」。
もっと高次の視点で言うと、まったく違う世界の創造主であり、違う宇宙人なわけです。

ひとりひとりがそれぞれの身体の中に壮大な宇宙を持っているということと
フラクタル構造のように、私たちが見ているこの世界、この宇宙は、実は私自身であり全部が私であるわけです。

だから、どんな情報も漏れなく全部が私を作っている構成要素なわけです。


どこかの誰かが何かをやらかしてニュースで話題になっている。とか、今人気や話題のタレントが誰かとか、まったく認知していない事件は、
私の世界には存在していない。

身近なことで言っても、先日、東京に局地的に雹が降ったようなことも、
隣町に住む友人は雹が降ったことさえ知らないので、彼女に雹が降った事実は存在していない。

それと同時に
マウイの火事が、ニュースを見なくてもなぜか漏れ伝わってくるとか、イスラエルの戦争とか、
そういった取りに行かなくても勝手に入ってくる情報は
アマプラが「あなたが興味のありそうな映画」とオススメしてくるくらいの精度で、高次から勝手に送られてくる(送っている)情報だったりする。


陰謀論のその奥や、その先、世界がこうなる?!みたいな予言的なものも、
その情報に出会わなければ、まったく関係ないし知る必要すらないかもしれないし。高次にいつの間にかオススメされてきても、私自身の世界を、何(どんな情報)で満たすかは、=自分が何を食べるか?のように、ある程度は選べたりするから、無理して全部を食べる必要もない。



そうして、どんな情報も、それを自分がまったく「認知」しなければ、身体に入れなければ、それは私の世界には「ない」と言えますけれど
それって、情報を聞いたことさえ気がつかなかったというレベルの場合。
もし1%でも認知した場合は、すでに自分の宇宙に存在してしまうので、多少のエッセンス、何かの欠片は、「私」という構成要素に残りますけれど。

…って。

だからどうだ。という話ではないのですが、(自分でこうやって書いているってことは何かここにひっかかりがあるんですよね)
そうして私という世界は自分が気がつかないレベルで綿密に出来ていて、なおかつどんな情報も人もモノも当然場所も時間も何もかもが自分の構成要素=私だということ。

つまり私と関わっているすべての人たちは、もれなく私を作っている構成要素の一部=私でもあるわけです。

それと、
私が見ているAさんは、私バージョンのAさんであるわけで。
この時Aさんは私の世界にいるので、私に含まれているけれど、
実際のAさん自体は含まれていない。
逆にAさんが見ている私は、Aさんバージョンの私で、私ではない。
というパラドックスがあって。
これがフラワーオブライフという図に表現されている。ということで。

(ああ、また書いていて訳わかんなくなってきましたけども(笑))
(あと、かなりくどい気もしてきました….。)

まぁ、とにかく、隣にいる人とは、どんなに気があって一緒に共有できる体験を何度も重ねていたとしても、やっぱりまったく違う別世界なのです。
ってことが一番強調したかったところで(いきなり雑いし(笑))

自分は、この地球に降りてきた多くの魂の中の1人とか、
ひとつの同じ地球、ひとつの同じ宇宙にみんなで住んでいるというのは
幻想で、実際はみんな別々の宇宙、別々の地球にいる。

世界人口が2023年の統計で80億4500万人と言われていますが(実際は数えてないでしょうし、この数字が合っているか?幻想かもしれませんが)人の数だけ、生物、生命の数だけ、まったく別の宇宙が存在していて。

たくさんの、無数の宇宙=世界が存在しているんだよね。

と。
こんなことを脳内で何度も反芻して、思っていたところで、
先日、朝の瞑想で高次から「世界はひとつだけだよ」と言われまして…。


(つづく)




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