大昔自殺を踏み止まったおはなし

死にたい!と思ってる時って
「今よりよく生きたい!」と
本心では思ってたのかなと
振り返って思う。

だからやっぱり
死にたい!=生きたい!という
もしかしたら
積極的に
生きようとしていたのかもしれない。
間違いなく
今より生きることを
真剣に考えていたと思う。

そんなわけないやん、、と
今、そう思っている人には
言われるかもしれないけど
あの頃の自分があるから
今ある、と思ってもいるし
私はなんで踏み止まったのかという
大昔の話を
思い出したので書いてみたいと思います。

高校の頃
両親が離婚する前
毎日
今日は父、母どちらの家に帰るか?
ということを考えながら
お泊りの荷物一式持ち歩いてて、、
箱はあるけど
ホームレス状態よね。毎日死にたいと思っていた。

ある日
父宅にいても父も帰って来ないしな
と、母宅に行くと
玄関にチェーンがかかってて、、

あ、

どちらの家にも
自分の居場所がないなとうっすら思っていた
ら、
ほんとにチェーンかかってて、、
そっか、
やっぱり居場所じゃないんだな
今から父宅に帰るのもな、、と
思って歩いていた。

ちょっとどこを歩いていたか
覚えていない。

もう、いいかな 生きてなくても
今死んでも
父も母も悲しまないし
なんなら苦しめ!
死のうかな、、、と

そこで、ハッ!とした

あかん!あの人を悲しませる!

私は当時ある大学の演劇部の人が好きで
ファンレターを出していて
必ずお返事をいただいていてね
多分なにか相談したんだろうなー
その方の返事を急に思い出す。

「強くなれ!」

多分その前に

「まず一人になる。
 で、考える。
 自分は何をしたいのか。」

とあったかなー、、

あはは、、
悲しんでくれると言うか
ファンレターくれてた子が
自殺したとか知ったら
気持ち悪いだろうなと思って。

ただファンや!としつこく
手紙送ってくるヤツに
その方はいつも真摯に向き合ってくれて
一度、一緒に行こう!と
お芝居も連れて行ってくれたなー、、
自分によくしてくれた人を
を悲しませてはいけない!と思えた。

後々相談義務の研修で学んだ
「ゲートキーパー」という存在
死へのゲートを
くぐらないように守る存在。

学んだ時、その方が
自分のゲートキーパーだったなと思えた。

ゲートキーパーは
自殺だけでなく
悪いことをするとき
暴れるとき
自分を大切に思えなくなるとき
すべてに有効だと思っていて。

もし、もし万が一
今これを読んでくださってるかたが
辛い局面にいたとして、
悲しい選択を思い悩んでいるなら
なにかのチカラになれるといいなと思ってます。
実は。

私が拙くても文章を書く理由はそんな感じです。

いや違うな。
私の文章でなくていい。

心の中に住んでくれている誰か
もしくはなにか。

必ず居るので思い出してほしい。