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いじめっこと雨

休日出勤の帰り道に、ふとXが目にはいった。そこには、僕がお世話になった先生を揶揄するようなポストが書かれていた。



人にはさまざまな考えがあり、もちろん発信も自由だ。

ただ少し、Xというフィルターを通すと、直接いえないことを過激にいう人がいるのも現実としてある。


ネットと現実。


正確には’ネットも現実’なのだが、どうしてなぜか、モニターの先に人がいることを忘れがちなものだ。

わかっていても言いたいのかも知れないし、ただの問題提起として触れる場合があるのも理解している。


あきらかにおかしいことを発信している人の場合はともかく、、、今回はただ面白がっているように僕には見えた。


そこには慕う人と慕われる人。外野からなじる人がいる。
ここでは、、、、そう。
先生と生徒としよう。
ほんの少し僕の心がゆらいだので、思い立ってPCの電源をいれた。


先生とは?
なにかしらに秀でて指導的な立場にいる人のことをいい、生徒が困っているときに相談にのってくれる人をいう。


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学校の帰りのこと。

その日は急に雨が降り出した。

天気のことは誰がなにをいっても変えることができない。

どんなに権威のある天気予報士がいようと、「俺は肌で風を感じることができるんだ」という謎の男がいようと、、、ネットで検索した「地域名 天気」で晴れ予報であっても、確実に天気をあてることはできない。

できることは、今日より明日は不確実であり、人には変えられる数字と変えられない数字があるということを再確認するだけだ。


僕には何人かの先生がいて、日々お世話になっている。

先生が知ってか知らずか、僕は勝手にお世話になっているのだ。


先生は、普段は雨が不安な生徒に傘を渡し、濡れてしまった生徒にはタオルと暖かい言葉のスープを差し出している。


最近はあまり聞かないが、ときには厳しく「こうすればいいのに!」といっていた時がなつかしい・・・・・

先生の生徒達はおどろくべき成果をあげて、気がつけば卒業し自分の道を歩いているように見える。


だから慕われている。

困ったときには、もう一度先生を頼ったり、同じ教室で勉強した仲間と繋がって励ますこともあるだろう。


実際僕も、直接話しをする機会は少なくても、小手先のノウハウではなく、先生の考えを取り入れながら、他の仲間と話しをしている。



雨が降り出したのは、そんな時だった。

今回の雨は被害が大きくて、誰もが少なからず濡れていたように思う。


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「少し冷静になれよ」

「気にしなければいいだろ?」

もう一人の自分が僕をなぐさめる。


日本には2017年時点ですら4,500万ほどのXのアカウントがある

2023年もおわろうとする今では、数分間でさえ、数え切れないポストが流れ、時流という川はトレンドのワードで埋め尽くされている。


はたして1つのポストを取り上げて、小さな僕が、このnoteを書く意味があるだろうか?


ないかもしれない。

いやきっと他人にとってはなにもない。

むしろこれを書くことで、ポストをした人やリプをした人と同じステージに立ってしまうかもしれない。

僕には今、そんな恐怖がある。



意味のないnoteかもしれないけど、僕にとって「こうなってはいけない」という自戒を込めて、やはり綴っておこう。


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その日、めずらしく先生は雨でぬれていた。



先生は万能ではない。

人間だからだ。

雨に濡れることもあれば、交通事故に遭うことだって、入院することだってある。



そんなときだ。

書き出しに戻るが、、、、


休日出勤の帰り道に、ふとXが目にはいった。そこには、僕がお世話になった先生を揶揄するようなポストが書かれていた。

これを目にした。


僕は他人のことながら、自分を中心にした半径1m以内にやるかたない思いが充満したように感じて、仕事帰りに夜を見上げた。


2ヶ月ほど前にあった十五夜でも窓を開けなかった僕が、今夜は歩くのを一旦止めて、夜を仰ぎ、黄色い月が目に入った。

スマホから闇夜の途中に外灯がちらついた。



揶揄するポストを投稿した人は、たとえて言えば、「違う学校のいじめっこ」と言ったところだろう。



いじめっこジャイアンの言葉に、他人の不幸が好きな、あくどいスネ夫が寄ってきた。



スネ夫1号はいう

「ジャイアン!写真をとって晒さないなんて優しいね」

といいながら、本当は晒してくれという他力本願なスネ夫1号


スネ夫2号もつづく

「ジャイアーーンw わらっちゃったよ」



スネ夫3号、、、スネ夫4号、、、、

「先生も濡れちゃったらただの人だねw」

「『過去の栄光が頼り』って方、多いなぁw」


なんなら、別の先生を名指しでディスるやつもいる。





は?





はぁ???





ご一行様は何様でございますか?



あなた方は、どれだけ高い棚に自分を上げてるんですか?




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コホンッ・・・・・・

失礼しました。

**********


僕は知っている。というか、推測する。


先生はあえて尖る発信をしている。

有象無象のポストの波が、情報の洪水となってバシャバシャと堤防を叩いている。


たぶん先生は知っているのだ。

いまにも氾濫しそうな川で一番怖いのは、何者でもなく埋もれてしまうことだと知っているのだ。


だから、今回のポストではむしろひっそりとニンマリしているかもしれない。


それでもいつか、自分がこうならないように僕は綴ってみた。


僕は思うのだ。


ちょっとあった嫌なことを、楽しいネタに召喚できるのは、本人の特権なのだ。



それにだ。

雨は自分ではコントロールができない。

自分で変えられること。


それは、

正しい知識を蓄え、傘を準備し、濡れたらタオルとスープで体を温めて、ホッとひと息ついて、もう一回がんばる。


それが大事なのだと思う。


僕は思う

誰かのいう権威性、、、

言う側が便利で抽象的な言葉は、人をおとしめ、笑うために用意すべきではない。



自分もいつか卒業したり、関係が疎遠になることもあるだろう。

界隈が変わったり、方向性が変わることも、もちろんあり得る。

それでも、どこにいても品格をもっている人でありたい。



これを読んだみんなはどうかな?




雨に濡れた人がいたら、指をさして笑う人になりたいのか?自分ができる精一杯・・・・・・とはいかなくても、ちょっとだけ手を差し伸べる側の人になりたいのか?



ネットは自由に発言してもいいけど、モニターの先にリアルな人を感じられない人は寂しい人だなって思う。


相手にしてるのはアイコンではない。人なのだから。


fin.



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