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ここでの「自分に合う」とは、「学習過程が辛くない」ということ

私が今、ブログを書いているのは、自分のやりたいことを人に説明するのが「ド下手」で伝わらない状態なので、伝わるように表現する練習をしているというのがあるんです。=自分の考えていることはどういうことなのか、自分でもごちゃごちゃなので整理したり、話している時に自分の考えにばかりフォーカスしちゃうので(こなれてないからだと思う)、どういう表現で相手はどういうことを想起するのかをもっとイメージできるようになりたいのです(この行為は結構しんどいのでお休み気味だけど)。


で、いろいろと(数年)試行錯誤していて、まず分かったのは、私が「自分に合った勉強法」と言った時、私自身は「自分にとって自分が楽に感じる勉強法」という意味でこの言葉を使っているつもりだったのだけど、人によっては「結果が出せる勉強法」と捉えるんだなぁ、ということです。
私は、学ぶ「過程」を重視していて、過程がその人にとって「楽」であれば、続けられる。続けられれば「成果」が出る場合が多い(そうでないこともある!)というのが、私のスタンスです。ですが、「結果」を重視する人からすると「自分に合った勉強法」とは「自分が成果を出せる(もしかしたら過程は苦しい・もしくは苦痛が皆無な)勉強法」ととらえられることが多いんだなぁ、(・・・そりゃそうか・・・?)

 

「受験勉強をやれるようになりたい」と
「受験で高得点を出したい」って、同義じゃないですよね?
高得点出したいけどやりたくない、勉強したいけどこのやり方じゃ点数にならん、とか、別物ですよね。
私がここで「自分に合った勉強法」というのは「勉強を続けられる」という意味で使っています。でも、その方が成果も出しやすいし、成果が出てくると面白くなるから、もっと続けられて、もっと上の成果も出せる好循環が生まれてくると思っています。
 
「自分に合った」って、「楽」ってことでしょ?と聞かれると、そうなんですけど、そうなんですけど、それは「相対的」な問題であって、「楽で楽でしょうがない、何もやった気がしないのに成果が出ちゃった」というのもちょっと違う。一つのやり方に固執する(固執させられる)ことはないんだよ!と視点を変えてほしいんだ、というのがあります。

ただ、この話をするときに前提条件みたいなのがあると思っていて、それはその人が「点数を出したい」という成果に対する気持ちが強いかどうか、強い方が良い、ということです。

「大して点数も出したくないんだよね、実は」と思っていれば、「自分に合った」続けられる「勉強法」って、大した魅力じゃないんですよね。
(*ここで「受験」とか「点数」とか書いていますが、「仕事」や「結果」でも良いです。)

なんとかしたいともがいているけど、「過程」が辛すぎて「続かない」もしくは「始められない」という人に向けての話なのかな、と思います。

つまり、成果を出したいという意味での”動機づけ”が問題になるということなのですが、ここはクリアしていないと、話の土俵には乗れないかもしれないなぁ、とは思います。


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