見出し画像

ぶっちゃけ書きたいこと(自分の考え方の成り立ちとか具体例2)

私がこのnoteで書きたい内容は、真面目に向き合うと取り扱いが難しいので(経験上、誤解を生みやすい)言い訳ばかり書きたくなってしまう。その言い訳に自分でも辟易するので、今日は言い訳を極力少なくして、書きたいように書いてみる。

私は、認知処理傾向からいうと、バリバリの同時型だ。

だから、自分が作っていた塾のプログラムも、今から思えば、「同時型」向けだった。そうして嗅覚鋭く、自分のお仲間の「同時型」はすぐ見抜ける。逆に自分とは違うな〜、という人は「継次型」であることが多い。

そうして、ここに書いているようなことを考えたい、できればそれを何かしらの仕事にしたいと私を強く突き動かす感情は、「同時型なのに、継次型を良しとされてそれを遂行し、学習に対して努力しているのに、効果も喜びも感じられず、自分を否定して小さく生きようとしている人をなんとかしたい!!」と思うからだ。あんた、勉強はもっと面白いし、あんたはすごい人だよ!自信持って大丈夫だから、胸張って自分らしく元気に進んで!と言いたくなるからだ。

「その人」は、「教育熱心」な親から「この子は要領が悪くて」「頑張っているのに成績が悪い」「でも努力だけはする。それがいいところ」「頑張っているだけの成果を出してほしい」と思われていることが多い。

私の嗅覚で「この人は同時型だな」と思う人がいたとする。例えばそういう人は、英単語をノートに繰り返し書いたり、「繰り返して体で覚える」というのが苦手なことが多い。苦手、というのは、そうやっても身につかない、ということであり、本人も本当は苦痛を感じている、ということだ。そういう人は単調な繰り返しのやり方ではなく「好きなところか」とか「根本の考え方」とか「全体の構成」を先に知ると、そのあとさーっと勉強が進むことが多い。でも、与えられる学習教材・宿題・授業プログラムが「順番に」「繰り返し」「体で覚える」なので、そういった「好きなところ」「根本」「全体」という「余計なこと」はやらずに、やってはいけないと思う、というか、もうそこまで考えも及ばず、そういう「繰り返して体で覚える」勉強をとにかくやっている。それが親の目からは「努力」と映る。

で、本人はその「努力」の「形」で、親から承認されているから、とにかく、頑張る。繰り返す。その姿が、私には痛々しい。

「同時型」の人は、いわゆる「ケアレスミス」もとても多い。そういうことも注意される。「ほら、また勿体無いことをした」「本当は力があるのに、馬鹿なミス」「どうしてそうなの」と、ネガティブワードで諌められ、本人も歪んだ笑顔で自虐する。

いや、確かにそう、そうなんだけど、それがまさしくあなたを表しているのであり、ほらね、一つのことをやっていてももう次のことに気を取られて、今手元のことが疎かになるでしょ?だったら、その力を生かして、どんどん全体掴んで、ケアレスミスなんかで減点されても大して痛くないところまで、理解と攻略の力をつけちゃおうよ、先に! ケアレスミスを少なくする対策も、あるよ、そういう人向けの。でも、悪いけどなくならないから。ミスをなくしてギリギリの点数を確保するんじゃなくて、ドカンと高得点狙って、ま、ミスで多少差し引かれても「合格」のところまで行っちゃいましょう。もしくはミスしないくらい、でかい力をつけちゃいましょう。

と、言いたくなる。

だって、その方が面白いからね!勉強。あなたにとって。

と、こう言われて、「そうだそうだ」とワクワクしたら、その人は「同時型」の人の可能性が高い。継次型の人は、こういう話をしてもピンとこない。それはまた次に書きます。

私が一番書きたいこと、やりたいことは、今日書いたようなこと、です。

(2024.3.2 少し修正)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?