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違った神経系統を使って「読む」という事実

〜研究しても良いと思えた一つのキッカケ 2〜

私が、Overcomin Dyslexiaを読んで、最初に「はっ」としたのは、
話すという行為は結構原始的で、話す人に取り囲まれていれば自然に話せるようになるけれども、読み書きというのは人類史の中では新しいものであり、体得するためには外部の介入が必要な程度の内容であるという指摘です。
そして、読むという高度な作業は、脳の中の局所的な特定の場所で行われるのではなく、幅広く分散している神経系統全体の中で行われるということ(fMRIの登場によって1980年代以降研究が進んだ)。
その「神経系統」の使われ方は、読みの習得の習熟度(年齢が上がるにつれて)によって変化があるものの、経験を積んだ習熟した読み手は、後頭左側頭部の経路を使っているのに対し、ディスレクシアの年長の子供は、ブローカ野の前頭部が活性化され、青年期を迎える頃までに、前頭部を一層利用するようになる、という事実です。さらに、右脳半球にある他の補助的系統も利用している、ということです。

私なりに解釈すると、「読む」という外見上同一の行為に対し、脳のどこの部分を組み合わせて、どうそれを使って、読み、理解しているかが、人によって違うのだ、ということです。それは、読むという行為が人類史上新しいものだから、というのが、とても説得的で、なるほどと思うと同時に、衝撃も受けたのでした。

一見同じことをしているように見えるけれども、使っている脳の部分が違う・・・。だから、突き詰めると「ずれ」が生じる・・・。特に、人類にとって新しく複雑なことは、他にもそういう「何か」があるんじゃないか?

その事実と、「全体」と「順次」という認知処理傾向の私の定義・・・「自分が処理(勉強)しなければならない情報が、一定程度の量をもって与えられたとき、それをどう処理するのかは、全体を先に見ないと部分を理解しにくいか、全体を先に見てもよくわからないから部分を前から順に見ていきたいか、みたいな二つの傾向に分かれる」(この記事)があるのも、当然じゃないか?
これは、研究対象にしても良いものなんじゃないか?

と思ったのでした。

さらに、ディスレクシアの傾向を持つ人は、この「全体処理型」の認知処理傾向が強いのです。認知処理傾向に興味を持ち始めた時期と、ディスレクシアに出会って興味を持ち始めた時期はほぼ同じなので、私は興奮するあまり、自分が何をしたいのかよくわからなくて(整理もできていなかったので)、2017年にアメリカ留学した頃や2018年に大学院に入学した頃は、ゴチャゴチャにして人に説明していました・・・。聞いている方も「????まぁ、いいか」って感じだったと思います(とりわけ、英語で話してると「まーみは学習障害の人を助けたいんだね」とよく言われていました。説明したくても、その説明が英語でできなかった・・・)。

ディスレクシアと「全体処理型」の話は、別の記事で。

*今日書いた内容は前回の記事で紹介した『Overcoming Dyslexia』のほかに、『プルーストとイカ 〜読書は脳をどのように変えるのか?〜』(英語版2007年 日本語版2008年刊)メアリアン・ウルフ著 インターシフト発行 
にもあります。

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