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暗闇の世界に行ったら日常の見方が変わった話①

今回は「ダイアログ・ダイバーシティミュージアム 対話の森」で行われている【ダイアログ・イン・ザ・ダーク】というイベントについての記事です。
※8月参加時の体験のため、現在は内容が変更されているはずです。


1.概要・内容を読む前に

こちらのミュージアムはゆりかもめ 竹芝駅から徒歩3分、アトレ竹芝シアター棟1階にあります。劇団四季と同じ建物のようです。

対話の森とは?

見えないからこそ、みえるもの。
聞こえないからこそ、聴こえるもの。
老いるからこそ、学べること。

目以外の感性を使い楽しむことのできる「ダーク」では、
見た目や固定観念から解放された対話を。
表情やボディランゲージで楽しむ「サイレンス」では、
言語や文化の壁を超えた対話を。
そして「タイム」では、
年齢や世代を超え、生き方について対話をします。

世代。ハンディキャップ。文化。宗教。民族。
世の中を分断しているたくさんのものを、
出会いと対話によってつなぎ、
ダイバーシティを体感するミュージアム。

この場で生まれていく「対話」が展示物です。

公式HPより抜粋

期間毎にできる体験は異なるようで、現在は「見えない」体験ができる「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を開催中です。
体験は必ず予約制で、少人数のグループで行います。1グループにつき1人、視覚障害者の案内によって1mmも光の入り込む余地のない完全な暗闇の中を歩き、シーズン毎に変わるイベントを楽しむエンターテインメントです。
チケットは大人1枚3,850円、学生2,750円、子供1,650円です。

暗闇を歩くだけ?それって何が楽しいの?と疑問を持つ方も当然いることでしょう。かく言う私も友人を誘って申し込んだものの、正直な所どういうイベントなのかよく分かっていませんでした。
しかし体験を終えた私が確かに言えることがあります。是非また遊びに行きたいイベントだという事です。
加えて言うならば、まだ行ったことがない方は可能ならここでnoteを閉じて頂いて、まずは行ってみて下さい。そして先入観なくあの世界観を感じて欲しいと思っています。
行くのは難しい方も、あくまで「私」の感じた事であり、当たり前ですが人それぞれ感じる事は千差万別であるとご了承ください。

ここは「見えない」ことで自分がどう感じ、何を思うのか。
それを知ることが出来る場所です。


2.人生初、暗闇の世界

有難いことに、私は生まれつき目が見えます。しかし前述した通り、ガイドの方は目が見えない、それも生まれつきの全盲だと話されていました。
加えて言うならば海外の生まれの方で、何も見えないまま母国を離れて仕事をする姿にまず衝撃を受けました。私なら不安で押しつぶされてしまいそうです。そんな思いとは裏腹に、彼はとても陽気でチャーミングな方でした。

参加者はまず視覚障害者用の白杖を渡されます。鉛筆を持つように持ってくださいね、という持ち方の指導を受けた後、まずは小部屋に入りました。
体験時間は90分です。建物の外観からそこまで広くないスペースだと予想がつくので、90分も一体どうやって過ごすのだろうとのほほんと構えていました。
なお、当然ながら写真はないため文章量が多くなっております。想像しながら心の目で見てください。笑

入ってきた扉が閉められ、小部屋の中にあった間接照明が消されました。
瞬間、室内は完全な闇に包まれました。瞼の裏に残る光が失われていくにつれ、あれほど近くにいたはずの友人や他の参加者達との遠近感が薄れ、どこにいるのか全く分からなくなりました。

暗くなってから、同じグループ内の方たちと自己紹介をすることになりました。しかも必ずニックネームで呼ぶようにとのお達しです!昔からの友人はともかく大人として出会った方を気安く呼ぶ経験なんてないため、少々の気恥ずかしさを覚えました。
自己紹介を終えた後、隣にいた友人が突然「どうしよう、思ったより怖い、どうしよう」と腕を掴んできました。はて、お化け屋敷とか大丈夫な人だったはずなのにと思ったものの、そう言った恐怖とは全く別種なようです。
1番先頭にいたガイドさんがすぐにやってきて彼女に話しかけて前の方に連れていき、あっという間に落ち着かせてくれました。

「それでは、これからバスに乗って夏祭りに行きましょう!」

見えないのに夏祭り?しかもこの状態でバスになんて乗れるの……?
どんなに近づけても自分の手のひらさえ見えない完全な闇の中、いつもの歩幅の半分以下でそろそろと歩きます。

「障害物があったら、声を出して教え合ってね!」
「手を出して触る時は、手の甲を前にしてね!」

など指示が飛びます。こうしてただ移動しているだけなのに、常ならば考えられないほど賑やかに、そしてゆっくりと一行は前に進んでいきます。
小部屋からアスファルトのような足音の床に変わったり、木らしき感触のものを触ったり、多分こうだろうと想像するしかない中、前の方からバスの停留所の看板があったという声が上がりました。
触れてみれば上部が真ん丸で、下に長い棒がついています。特徴的な形であることには意味があるのだなとしみじみ感じました。

バスがまだ来ていないようなので、すぐ近くの公園でかわりばんこにブランコに乗ることになりました。これまたペタペタと触ると、複数人座れるベンチ型のブランコのようです。三人ほど乗り終えるとガイドさんが思い切り揺らしてくれました。三人乗り用なのでそんなに揺れていないはずなのに、思いのほか怖い!そのうえ自分一人で漕いでいるわけではないため足をつけないので、所在のない足がブラブラするのが更に若干の恐怖を煽りました。

次にガイドさんがどこからともなく持ってきたボール遊ぶことになりました。といっても投げ合うのではありません。
全員床に座り、宣言した相手に向かって転がす遊びです。ガイドさんの指示に従ってまず丸い円になるように手をつなぎ、座ります。誰がどこにいるかを宣言した後、ボールを手に入れた人が誰に回します!と宣言して転がしていくだけの簡単な遊び。
しかしこれがとても盛り上がりました。何しろ距離も報告もかなりあいまいな状態なので、狙った相手にボールが届いただけで凄い事のように感じるのです。この辺りになると、流石に何人かのニックネームはきちんと頭に入っていたので、遠くにいそうな相手に渡していけました。ただ一度あらぬ方向に飛ばしてしまった方がいた時、ガイドさんがあっという間にとりに行ってきた事にとても驚きました。柔らかいボールで地面を跳ねる音もなく、どこにいったのか皆目見当もつかなかったからです。この後何度も感じる事ですが、本気で暗闇を見通す目があるのでは……?と思ってしまったのでした。

そんな風に遊んでいると、何とバスの発着、発車の音まで聞こえてきてしまいました!いつの間にか時間を過ぎてしまっていたようです。そういえば誰一人バスの時間がいつか、なんて初歩的なことをまるで気にしていませんでした。
勿論これはイベントとしては既定の流れなのでしょうが、恐らく目が見えていれば誰かしらが時刻表を見て、時計を見て、後何分だねという話になっていたはずです。いつもと違う非日常である感覚をこんな所でも感じました。

バスを逃した我々は、お祭り会場まで歩いて向かう事になりました。
これまた白杖をつき、辺りをペタペタと触りながら移動していきます。大人数なので当然ながら他の人に何度も触ってしまいます。周囲を触っても感触だけではそれが何なのか今一つ分からず、服?フェンス?と分からないなりに独り言のような相談のような声を上げながら移動し、遂に一行はお祭り会場の近くに着いたようです。
遠くから祭囃子の音が聞こえます。足元は砂利道に変わったようで、ザリザリと石の擦れる音や感触になりました。花火の音もしてきて、ほら見て!とガイドさんに言われたものの、見てとは……?と戸惑う皆の様子に、彼はおかしそうに笑っていました。
ガイドさんが様子を見てくるので少し待っていて、と言ってどこかへ去っていきました。

3.「見る」の違い


これは純粋な疑問だったのですが、彼は当たり前のように「見る」と言います。私達からすると目で認識するための言葉です。しかし推測ですが、彼にとっての「見る」は触れて、聞いて、嗅いで、あるいは食べて、それら四感全てを総動員し、更に想像力を働かせて初めて「見る」になるのではないかと思います。
この事実は、私が普段いかに視覚情報に頼って生きているのかを痛感させられました。

加えてここまでの道中でガイドさんに言われたことは、周りに情報を伝える際に「何が」どうなっているのかはっきり伝える事でした。例えば道に倒木があったとして、見えていれば「足元に気を付けて!」とか「これ気をつけて!」だけで済むでしょう。
しかし今の我々ではそう言われただけではわかりません。気を付ける対象が障害物なのか、段差なのか、はたまた車線に飛び出さないようになのか。
日本語は特にそうですが、指示語が多く、また主語がない時が往々にしてあります。文学表現上の情緒としてはともかく、日常に置いてはもっとはっきりと主語を明確にして話すべきなのではないかと感じた出来事でした。

長くなってしまったので、続きます。
次回は遂に辿り着いた夏祭り会場でのお話です。

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