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アドバイスをする、ということ

先日同僚と話している時に、仕事上の悩みについて話を振られた。内容は仕事が回らない、範囲外の仕事を上司が押し付けてくる、というもの。

その同僚に対して、私は「それは雑談として話したほうがいいか?それとも相談と捉えて話した方がいいか?」と、文脈を考えずに聞いてしまった。
反応はにぶい。

職場の同僚という立場は、仕事の目的を達成する為にその人の問題点を洗い出し、解決する為の仲間という立場である。
同時にこの立場はある意味では友達という立場も内包しており、その人の愚痴を聞き、ストレスを解消させるという役割も担っている。

問題点を探してその解決策をアドバイスするという行為は、ある意味その人の行動を評価する、という事だ。
自分を評価していいのは自分だけであるように、
その人を評価していいのは、その人自身だけである。
だから、人は頼んでもいないのに他人からアドバイスをされると、心がざわつくのだろう。

私は生来、愚痴が浮かんでこない人間だった。
今でもそうだ。
嫌だなと思った事を後で口に出しても、その嫌な気持ちを思い出すだけであり、なにもいい事はない。
だから、他人から愚痴を聞かされた時、「この人は私にどうしたらよかったのか、アドバイスを求めているのかな?」とずっと思っていたし、
私が他人に対して過去嫌だった事を話すのは、流れ上話す必要があるか、他人にアドバイスを求める時だけだった。
愚痴を言う人の意図が上手く掴めなかった、とでもいうべきか。
でもそれは人によって違う。私の方が少数派。
私の気持ちを共感してもらいたい、と思ってその話を振ってくる人の方が、ほとんどのようだ。

これは同僚以外の関係性でも同じ。
私は友達や恋人と話をする時の話題として過去に嫌だなと思った事は頭に浮かんでこない。多分、嫌だった気持ちを思い出したくないからだと思う。
でもそう思っているのは私のコミュニティーの中ではほぼいなくて、多くの人はその話をする事でその嫌な気持ちが和らぐのだろう。

だから、その人を評価する事につながる「アドバイスをすること」は、その人が積極的にそれを求めていない限り、するべきではない。
雑談として捉えるか、本当にまずい状況にあるのなら自ら問題点に気付き、解決しようと思える方向性にもっていくようにするべきか、どっちかだろう。

「その人を評価していいのは、その人だけ」
「それは雑談?それとも相談?」
この2つの視点は、大事にしていきたい。

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