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思いっきり遊ぼう 明日の事は考えない

島田祐介さんという方をご存知だろうか?
YSP横浜戸塚店の代表と広報担当をされている方で、店舗においてYoutubeチャンネルを運営されている。表題の言葉は、チャンネルの企画のテーマとして本人から語られたものだ。私はこの方のバイクに対する考え方や、真摯な姿勢を尊敬している。

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私は子どもの頃に何か楽しみなイベントがあると、その事ばかり考えていた。前日は寝られず、当日は後の事など忘れて、その瞬間を思いっきりたのしんでいたと思う。結果、帰りの車の中で爆睡する事になるのだが。
バイク乗り出しの頃は大学生だったが、夏休みが2か月あるのをいい事に、目的地は北海道とだけ決めて家を出た。友達の家を転々として何日もかけて北海道に渡り、北の大地を走った時は、それまでの人生で一番の景色と、一番の感動に涙が出そうになった。今でも鮮明に覚えている。

成長し、自分でたのしい事を企画出来るようになると、その事だけでなく、その後にまた始まる日常まで考慮して計画を立てるようになる。先の事が見える。

疲れた状態で仕事するのやだな、とか、
夢から現実に戻る為のリセット時間がほしいな、とか。(それは仕事がつまらない事の証であるのだが)

社会人になって、時間はないがお金はある状態になり、連休の度に旅行に行くようになったが、日程には余裕を持つようになった。
宿には15時で入る。その後は宿を楽しむ(宿での贅沢が目的ならそれでいいのだが)。休みに一日余裕を持たせているのに、現地に着いてから行きたい所が増えても「でも時間ないしなぁ」と思うようになる。いつしか延長するという発想自体が抜けていた。疲れは残らず日常生活に支障は出ない。これはこれで楽しい。それが「大人の旅」だと思っていた。

本当にたのしい事をしていても、その後に仕事が待っている事が前提にある為、余裕を持つようになる。
それは島田代表が動画内で語った通り『半分は仕事をしているようなもの』であり、遊びに集中できていないという証なのだろう。そしてそれは、その遊びが持つ本当のたのしさに辿り着けていない事を意味する。
確かに、子どもや学生の頃に感じていたワクワク感や、心が動く感覚はどうしても感じられなかった。名だたる観光地を沢山巡った筈なのに、印象は薄い。


社会人になってから、印象に残っている旅がある。
無計画にバイクで山梨に行った時だ。
いつもと同じように、連休の後に仕事が控えていた。昼過ぎに思い立って、ジャケット一つに普通の皮手袋で家を出た。
時期は3月。東京から中央道で軽井沢を越え、富士吉田に入る山越えルートだ。行先はもっと寒い事など全く頭に無かった。震えながら、停まる時に寒さで身体が動かなくてひやっとながら、日が暮れてきた事に焦りながら山を越えた先に見えたあの赤富士。そして翌日に見えた青い富士山や美ヶ原の景色。あの寒さと、あの感動は、今でも忘れられない。

そしてあの感動は、振り返れば確かに島田代表の言う通り、先の事など考えず、今を思いっきり遊んだ結果に感じたものだったのだと思う。あの時、確かに私は、全てを忘れていた。
そして間違いなく、今でも私は、あの感動を求めている。

先の事が見える、という事は、人間にとって必要な事であり、良い事だ。自分を守る為だったり、よりよい結果を出す為に必要不可欠だ。
しかし、先の事を考えすぎるあまり、私たちは今目の前にあるたのしさを、本気でたのしめていないのではないか?いつの間にか、たのしむ事を諦めてしまってはいないだろうか?

もう大人になったから、
もう色んな経験をして、既に高いレベルの感動を何度も味わって、もう感動というものに慣れてしまったから、
もうあの時の、心が動く感覚は、あの時ほどは味わえない。

それは違う。
自分で、自分の心にフタをしているだけなのだ。
もうできないと、思い込んでいるだけなのだ。
そして、そのたのしみ方を忘れてしまっただけ。

そのたのしみ方を調べたり、思い出して、できると信じて、実行すれば、
あの時や、あの時以上の感動を味わえる。絶対に。


私はいくつになっても、例え死ぬ間際になっても、
ずっと、心が動くような体験をしていたい。

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