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素直を意識したら、見えてきたもの

私はとあるスポーツにハマっている。
最近は動画サイトでプロやインフルエンサーの方々がハウツーを沢山出しており、私もしょっちゅう観て参考にしている。共感出来た方々の動画はほぼ全てに目を通し、その人の動きや、考え方を取り込んでいる。
その日も家で動画を観た後、そのスポーツをしに出掛けた。

そしたらびっくりした。
ついさっきまで私が観ていた、動画の中の方々が、
たまたまそこにいたのだ。
その方々はプロであり、業界では有名で、私がそれを始めた時からずっと毎日のように観ていた方々だ。
私の心拍数はみるみる上がり、緊張した。
どうしよう。
話しかけてみたい、色々聞いてみたい、
でも仕事中に話しかけるのは迷惑だろうか?
いやしかし、気後れしてはいけない、と思い、目が合った瞬間に頑張って話しかけた。そうしたら、気さくに返してくれた。

ハマっているものなので頑張っているつもりはないが、始めてからもうどれだけ時間を費やしたかわからない。私にそのたのしさを教えてくれた方々にこのタイミングで会えた事、更には気後れせずに話しかけられた事、そして返してくれた事が、少し嬉しかった。


その後、まだ少し緊張の余韻が残る中、その背中を見ていて、ふと違和感を感じた。
…なぜ私は、緊張したのだろう?
なぜ私は、気後れしてはいけない、と思ったのだろう?


確かにプロだし、その人の技術やそれにかける想い、そのスポーツを広める活動を私はとても尊敬している。
しかし尊敬と同時に、相手がいわゆる「有名人」である事も相まって、「憧れ」のような気持ち、
あえてネガティブに言えば、この方々は雲の上の存在だ、自分は絶対にこの方々のようにはなれないという、自己肯定感の低さが私の心の奥底にあって、でもそんな気持ちを否定したくて、気後れしてはいけないと感じたのかな?と思った。

しかし、それはおかしい。
もちろん今、そのスポーツではかなわないが、私も自分の人生、自分なりに頑張ってきて、積み重ねたものがある。
いくらその人がすごい人でも、
人間としてかなわないとか、
相手は神様のような存在とか、そんな事はなく、
同じ人、という意味では、対等なはずだ。
ワクワクするとか、この人から色々吸収したい、とかならともかく、心拍数が上がって緊張し、気後れする事を恥ずかしむのは、
自己肯定感が低く、出来る他人をどこか羨み、自分は何も出来ていないという、自分を卑下する感覚が、まだ深層心理に染み付き残っている証拠なのではないか?

これは、自分の心から自然に湧いて来た、素直な感情だから、決して否定するものではない。
しかし、自然なものであるからこそ、
正しく今の自分の現在地なのだと思う。

歳は違えど、やってきた事は違えど、
同じ、人の生を過ごしている方々なのだ。
もっと(ひとつの分野に限らず)自分がやって来たことの素晴らしさを自らが認め、誰が相手でも、「自分は人として、その人と対等なのだ」というマインドを持ってもよいのではないか。

その方々に、またひとつ大切な事を教えてもらった。
いつか、またその方々と会って、お話したい。
その時は、その方々と対等な気持ちで、お話出来るようになっていたい。
笑いながら、たのしそうに撮影をしているその方々を見て、そう感じた。


ちなみにその方々は、肝心のそのスポーツはほぼやらずにそこで違うスポーツをしたり、別の趣旨の事をやってこけまくっていた。
ああ、やっぱ普通の人なんだよなぁ、と思った。

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