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「楽しんでいる人」の空気に触れてみたら

20211026
「何かを楽しんでやっている」ってすごい人に影響を与えるよな・・・・。私の呟き。


人に、誰かに、何かを言われてやる時の「強制的な何か」をやる時と、純粋にやりたいをやっている時の空気感がまるで違う。

それはめちゃめちゃ伝わる。
「楽しそう」か、そうじゃないか。


もし、私がぷんぷん怒りながら、「なんでこんなことやらなきゃいけないの!!」と思いながらやることと、「何これ楽しい」って思いながらやること。


楽しいと思ってやっていると、子供が近寄ってくる。

そして、「何やってるの??」と聞いて、「私も(僕)もやりたい」と一緒にやる。

私が、あれもやらなきゃこれもやらなきゃ、焦ってる時、「なんで誰も手伝わないの!!!私だってやりたくないのに!!」みたいな空気を出しているとしたら、


誰も近寄らない笑

わかりやすい。



私が「この人めちゃ楽しそう」と思った時、私はその人を手伝いたいと思うし、何か私に出来ることないかな?って思うし、応援したいと思う。


だから、私は子供達が楽しそうにしているのを見ると、私も一緒にその空気に触れたいし、この楽しさを代わりに表現したいと思う。

だからInstagramを始めることにした。
Instagramは写真付きの日記みたいにしてるんだけど、この楽しさ残しておきたいなと完全自己満の世界なんだけど、でもこの楽しさ伝わるといいなって思っている。

だからなのか、「なんだか楽しそう」って言われる。
楽しさが伝わる。
私は、人が楽しそうにしているのを見るのが好きだ。


もちろん自分が楽しみたいもあるんだけど、私のいる場所で、人が楽しそうにしているのを眺めるのが好き、という変なこだわり。

人が楽しそうにしていると私も何か手伝いたいと純粋に思う。

「あはは、何これ楽しそう」って思う。
応援したくなる。

私も頑張ろうってなる。

そして、私の心が満たされる。
これは、子供に限らず、他の人の「楽しい」も伝染する。


だから、子供達には「純粋に好き、楽しい」をとことんやって欲しいと思う。


そしたら、応援してくれる人が、ファンができると思う。
そうやって生きて欲しいと思う。



私は学生時代、「なんでみんなと同じことやらなきゃいけないの???」と違和感を感じながら、「なんでこんなつまらないことをやらなきゃいけないのか」と心に思いながら、「学校生活」を過ごしてきた。

友達と遊ぶのは楽しいし、給食美味しいし、基本楽しかったんだけど、「学校」という組織?枠?がどうも合わなかった。

会社員時代、生活のために働くために、楽しさを端っこにおいて、どちらかというと「我慢しながら」1日の半分以上を会社という場所で過ごした。

そうするとどんどん私のワクワクがマヒしてきた。
楽しいってなんだろうって。
大人になってぶっちゃけ楽しい!が分からなかった。



私は昔縛られた不自由な生活をあえて選択してみたことがあった。

それが高校時代の寮生活だった。


人は縛られた、決められた、強制的な生活を送ったらどうなるのだろう??と私は自分の体を使って実験してみた。
自分の人生、体験してきた。


そうするとだんだんマヒしていく。



感情も思考も「広い世界」から狭い視野になっていった。
自由に決めていいはずなのに、いざ、「自由に」と言われても答えを求めたがるようになった。
正解は1つだと思ってしまうようになった。
人に答えを求めたがるようになった。
自分で決められなくなった。
人に依存するようになった。
周りに合わせるようになった。
我慢することが大切だと思うようになった。
歯を食いしばることがいいことだと思うようになった。
努力の世界が素晴らしいと思うようになった。
嫌なことも我慢してやること。

本当の私は、

飽き性
三日坊主
めんどくさがり
続かない
努力しないし、できない。


そんな私だった。
そんな私は、歯を食いしばる世界には向かない人種だった。


だから、自分はダメな人間だと思っていたし、自己否定しまくって、こんな私は人間失格だと思っていた。

努力できないし、やりたくないことはやらない、続かない、飽き性、三日坊主。
やべー私だと思って生きてきた。


私の場合は感情を我慢しすぎると体が動かなくなる、という状態になる。

そして大人になって「もう嫌だ!!!」と限界に達した。

私は「私で生きる」を決めた。
そしたら超ラクになった笑


私は、自分が生きてきた世界が合わず、自己否定しまくってきたけど、

自己否定して生きるのではなくて、私の弱い部分、ダメな部分、社会不適合な自分を認めた。





「このまんまでいいじゃん」とありのままの自分を認めるようになった。

そうしたら、「我慢する世界」から抜け出すことができた。

「努力しなきゃいけない世界」から抜けることができた。

視野が広がった。

色んな生き方があることを学んだ。

「嫌なことを我慢して努力して、歯を食いしばって生きる」その世界から、「私らしく生きる」世界を選んだ。

「同じ人間なんていない、1人1人がその人らしい生き方がある」

学生時代に感じた違和感を色んな経験を経て、やっと「やっぱりそうだよな」と答え合わせすることができた。

人は自由に生きたいんだ。
全てを自分で決めて、自分で生きたい。

誰かに決められたレールに乗っかるのではなく、本当は自分の生き方が1人1人違うんだってことをみんなそれぞれ知っているんだと思う。



今までの人生、全て、全部全部ぜーんぶ、私が決めてきた。
ずっと学校や会社や周りのせいにしてたけど、「みんなと同じ、努力して頑張る世界で生きる」と決めたのは私だったんだなと気づく。

一生懸命耐えてここまでやってきたんだと思っていた。
我慢強い私ってすごいと思ってきてた。



私は無理なことを「ムリ」って言いたくても言えなかった。
勇気を出して声をあげることができなかった。

しかし、うちの子供達は「学校に行きたくない」と言った。
みんなが当たり前に通っている場所に行きたくないと言った。
みんなが当たり前に通っている学校という世界から、他の人と違う生き方を選択した。

私の中で「学校に行きたくない」というセリフは
めちゃめちゃ勇気がいる発言だと思った。


言うの怖いよな、でも言えたのすごいよなって彼らの勇気を私は誇らしいと思った。


なぜなら私は言えなかったから。

学校行きたくない、
会社辞めたい、
仕事やりたくない、

弱音を吐かず我慢してここまでやってきたもん。
だから、限界が来ちゃったんだけどね。


私は小さい頃、
小学校、中学校では仮病を使って休み、
高校では寮生活の我慢の限界で原因不明の微熱が続き1ヶ月学校を休み、
社会人になると体が非常に弱くなる。
肌荒れと、花粉症がひどくなる、肩こりや首こりがひどく、疲れやすくなり、ストレスによって散財しまくり、タバコを吸い、お酒も飲み、現実逃避してきた。
子供ができると、私の代わりに子供が病気になり、月1は「風邪」で必ず会社を休むようになった。


全て私の本音は「やりたくない」だった。
会社だって「行きたくない」だった。
だから、子供が風邪ひいて会社のみんなに迷惑はかけるけど、心の中は「ラッキー」って思っていた。


私が辞めた途端、子供達は元気になった。

そうやって、面白いくらいに色んなことが起きてきた。


大人でも言えない。
会社を辞めたいだなんて。


勇気がない。

大人と子供は抱えているものは違うといえばそれまでだけど、責任の大きさが違うと言えばそれまでだけど、大人だって過去を後悔するのではなく、未来に不安を覚えるのではなく、「今」を生きたっていいんじゃないか。

子供達のように「今」を生きて、今を楽しむ。



毎度毎度子供達を見て、子供達から学ばされる。
子供の生きる力は、ハッとさせるものがあるし、生きるエネルギーがあるし、志を思い出させてくれるし、本当の私ってなんだろう?って自分に問うようになる。


そんなありがたい存在なのである。


飽き性で、めんどくさがりで、努力が嫌いで、三日坊主で、そんな私を「母」にしてくれた子供達にいつも感謝なのでした。


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