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第4話 イシューからはじめよ

6月の最後の週、大規模な梅雨前線が南熊にかかっていた。木曜日には大雨警報が発令されていた。心配になって、平沢さんに連絡をすると

「こっちの人は、雨に慣れているよ」

と返事がきた。平沢さんはレンタルボートをガレージに避難させ、カーペットやリベットを修理しているらしい。金曜の昼過ぎには、南熊の警報もいつのまにやら解除されていた。僕は釣りの支度をして七滝へと走らせる。スーパー銭湯、サービスエリア、海沿いのコンビニ、狭く暗い林道を経て七滝ダムに到着したのは午前5時頃だった。

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ダムの水はカフェオレ色になり、流木がひしめき合っていた。あの美しい湖畔が無惨な姿に変わっていた。七滝は死んだ。僕は絶望してしまった。もう引き換えそう。いや、せめて平沢さんにご挨拶を…と思ったが、この時間に平沢さんをアポ無しで訪ねたらそりゃあ失礼だろ。僕は時間を潰すことにした。七滝のオカッパリスポットは事前にSNSで調べておいた。七滝ダムの支流の1つ「黒川」の中程に昔の段々畑跡がありオカッパリスポットとして知られているそうだ。そちらへ向かうことにした。

そちらの水も相変わらず見事なカフェオレ色だった。僕は初めての「段々畑」をぐるっと見回してとりあえずスピナーベイトを投げ始めた。マージナルゲインのターミネーターだ。

まずは沖へ投げる。振動を感じながら巻き続けた。
次はどこへ投げようかと考え、ターミネーターをピックアップする。

ゴボッ!

ターミネーターが水中に引きずり込まれた。あまりに突然だったので「ひゃっ」と間抜けな声を出しへっぴり腰でロッドを立ち上げる。上がってきたのは手のひらサイズのブラックバスだった。え?魚、元気じゃん!釣れるじゃん!僕は嬉しくなりすぐにターミネーターを投げる。それほど連発はしなかったが手のひらサイズのバスが1時間で8本ほど釣れた。とうとう、僕も釣れるようになった。新たな七滝マイスター襲名だ!僕はスピナーベイトを延々と投げ続けた。この調子ならもっと大きな魚が釣れるはず。

僕はスピナーベイトをローテーションし始めた。
カラーや重さ、ブレードに至るまでスピナーベイトの組み合わせは無限大。
どれが大きな魚を釣れてくるんだろう?僕は、ああでもないこうでもないとブレードを着脱しては投げ比べていた。

1/4ozブルーバックチャートに4番コロラドブレードのシングルウィローで41センチのバスが釣れた。痩せているけどサイズアップだ!僕は小躍りした。努力は実るのだ。派手なカラーと強い波動できっと魚を寄せたんだ。

努力は実る。努力は嘘をつかない。努力は裏切らない。幼い頃から言われ続けた言葉だ。泥臭く、ひたむきに頑張り続ければいつかは報われるのだ。

僕はスピナーベイトを投げ続ける。40アップはあの1本のみだったが次々とバイトがあり1時間ほどで14本釣った。僕は意気揚々とプロショップななたきへ向かった。スピナーベイトを使いこなし二桁も釣ったことを、話したくなった。平沢さんはコーヒーを飲みながら僕の自慢を聞いてくれた。

僕はひとしきり話し終わり自分の釣果を思い出して悦に浸る。平沢さんは、すっと立ち上がると店内を歩いて回りだした。2つほどルアーを持ってきて
僕に見せた。オービタルピリオド社の「ジャークベイト130F」と「フラットサイドtypeカバー」だった。前者は130ミリサイズのフローティングジャークベイト。後者は低比重でコフィンリップのフラットサイドクランクだ。

マージナルゲイン社は、伝統ある大御所ルアーメーカーだ。最新技術の搭載やリアルな造形が特徴、いかにも釣れるルアーというオーラがする。

オービタルピリオド社はとにかく地味。これといった最新技術の宣伝は無い。ルアーの名前もお洒落じゃない。比較的新しい国産メーカーなんだけど、とにかくこだわりを感じないのだ。僕にはマージナルゲインさえあれば
満足なんだけどな。

「努力は嘘をつかない。たしかによく聞く言葉だ。」

「そうなんですよ、平沢さん。努力って大切ですよ。」

平沢さんは、深刻な顔をして話し出した。

「実は数日前、知り合いのボート屋でリチウムイオンバッテリーの盗難があってね。別のダムのことだけど、ひどい話だと思わないか?」

なんだ?急に重たい話になったぞ。僕の話が強制終了してしまった。しかし、話を合わせにいく。

「そんなひどいことがあったんですか。許せませんね。」

「そうだ。それが、手口がかなり巧妙だったようで、特定は不可能に近いようだ。かなり計画的だったんだろう。親父さんは泣き寝入りするしかない。」

「それはお気の毒ですね・・・」

車場荒らし、ごみ捨て問題、不法侵入。釣りに付属するマナーやモラルの問題は深刻だ。悲しいが、その手の話は絶えない。

「ところで雪平くん。『なぜ手口が巧妙だったか』だと思わないか?」

なぜ手口が巧妙なのか?そんなの、しっかり計画したからだろう。

「それは『しっかり計画したから』じゃないですか。」

「そうだろう。しっかり計画を練ったということは、それだけ『努力した』わけだ。努力は裏切らないからね。」

話が繋がった。努力というのは、いかに悪事を成功させるか、そんな場面にも当てはまる。巧みな犯罪は、社会のルールの範囲を出ているとはいえ、努力をしたことに変わりはない。

「努力は『量』も大切だし、『質』も大切だろう。だがしかし、もっとも大切だと思うのはそもそもの『方向』だと思うんだ。」

平沢さんは、レジの後方にある本棚から一冊の本を出してきた。
「イシューからはじめよ」と書かれていた。平沢さんはページをめくって読んでくれた。

「努力と根性かあれば報われる」という戦い方では、いつまでたってもバリューのある領域には届かない。(中略)つまり「犬の道」を歩むと、かなりの確率で「ダメな人」になってしまうのだ。

安宅和人 イシューからはじめよ  28頁~29頁

「雪平くんは、スピナーベイトのカラー、ブレード、重さ、様々な組み合わせを組み合わせて釣ったんだね。その努力と結果は素晴らしい。しかしそれは、努力と根性に任せた犬の道かもしれないよ。」

平沢さんは珍しく辛辣だった。僕の釣果は正解じゃないってこと?その言い方はあんまりじゃないですか?

「スピナーベイトでたくさん釣ったことは事実だが、以前にも『情報の大切さ』は伝えたね。そのルアーローテーションでグッドコンディションの魚にはたどり着けたのかい?」

「いやまぁ、40アップは釣りましたし、数も釣ったけど…それじゃダメってことですか?」

「釣果を求めて、他者に勝つことに価値を求めることもいい。今日は○○で△△本釣った。と喜ぶこともできる。ただ、5年後10年後にその魚を全て覚えているかい?」

何となく、言いたいことが伝わってくる。平沢さんの熱を感じる。

「その結果を思い出して、心は豊かになれるか?結果に執着し過ぎては、身を滅ぼす可能性もある。だから、釣果を求めない釣りも覚えておくといい。

ちょっと何を言っているか分からない。釣果を求めない釣りって?

「釣果を求めないって・・・平沢さんは、どんな釣りがいいんですか?」

「一匹の価値を感じ、一生忘れられないような魚に出会うような釣りさ。」

ふと、レジに置かれたオービタルピリオドのジャークベイトとフラットサイドクランクが目についた。平沢さんは何を思ってこのルアーを手にしたんだろうか。

「平沢さん、このルアーって何ですか?」

平沢さんは振り向いた。

「そうだった、忘れていたな。今日はこのルアーを投げにいこう。」

平沢さんは店を閉めて車を出してくれた。
そして、本流である「七滝川」の上流域「大曲」へと向かった。

ダムの状況は、警報にあわせて事前放流をして大きく減水した後だった。
現在、放水は平常値に戻って増水へと転じている。

本湖のカフェオレ色とまではいかないが、流れが強く土の粒子が舞い上がった水に生命感は感じられない。しかし、黒川の「段々畑」で魚が釣れたことで、カフェオレ色であっても可能性は捨てきれない。

僕はターミネーターを投げた。40アップを釣ったカラーとブレードの組み合わせだ。見てろよ、平沢さん。僕が先に釣ってやる。

平沢さんはジャークベイト130Fを結んだ。ダークスモークバックというカラーだそうだ。平沢さんは流れの中へルアーを入れる。

僕が巻くターミネーターは、どれほど上流へ投げても流れで下流へ流されてしまい、思うようなトレースコースを引けない。仕方なくスピナーベイトがストレスなく引ける場所を探す。そして、流れの当たっていないベンドの裏側を巻き始めた。バシャバシャという音が聞こえてきた。平沢さんがファイトをしていた。まさか、あの流れの中で魚を釣ったのか?急いでルアーをピックアップして、平沢さんのほうへと向かう。

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口が大きく、背が高く盛り上がり、腹部もパンパンに張っている、ものすごくコンディションの良い個体だった。バスの口にはジャークベイトが食い込んでいた。

一緒に計測すると、55センチ2420グラムだった。

こいつ、もしかして流れの中にいたのか。僕は全く投げていなかった場所だった。いや、あんなところにバスがいるなんて想像つかない。やはり情報が大切ということか?

「もちろん、この湖のバスの習性を知ったうえでのアプローチさ。この速さの流れのなかを任意のレンジやスピードで潜らせることは、巻けば浮いてくるスピナーベイトで狙うことは困難だ。だからジャークベイトだったのさ。」

僕は平沢さんが釣った魚をマジマジと見つめる。

「雪平くんは、スピナーベイトの組み合わせを工夫して魚を釣る努力をしたわけだ。果たして本当にそれが良かったのかい?もっと違う努力の方向、イシューの設定の仕方もあるんだよ。」

「違う努力、ですか?」

「そうだ。地道な試行錯誤をすることもありだ。だが、もっと効率を求めて、簡単に釣れないかと考えることもできる。勤勉なことは日本人の美徳でもある。だが、それが時として成長の妨げになることも知っておいたほうがいい。

そう言うと、平沢さんはジャークベイトを外しフラットサイドtypeカバーを結び始めた。

僕は、何がなんだか分からなくなってきた。努力は裏切らないんじゃないのか?少なくとも僕は、真面目で勤勉は良いことだと信じていた。成功のためにコツコツ地道に努力を積み重ねるべき、そういう人が救われる。

しかし、平沢さんの伝えたいことも少し分かってきた。

努力そのものは否定されなかった。大切なのは順序を疎かにしないことだ。
情報を集めて方向を定めて絞る。努力するのは取り組む課題を絞ってから。

僕たち一般人は、そもそも釣りの時間が限られている。そこで釣果を得るためには「そもそもどんな釣りをするのか?」というイシューを考えることが肝心なのだ。

この後、平沢さんの本気の釣りを見た。

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