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第11話 ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

髪がベタベタのフケまみれ、爪が黒ずんで伸びまくった料理人の作るカレーライスは、正直食べたくないし、鶏肉や小松菜が挟まった黄ばんだ前歯が見えたスマイルには、嫌悪感を感じる。

冒頭から、汚い話で申し訳ない。
人は、第一印象が大事だ。中身が大事だとか、ありのままの自分を大切にだとか、色々言う人はいるが。相手に不快感を与えないように自分の清潔感を気にすることや、穏やかな言葉遣いを心がけることは、円滑な人間関係を作るうえで重要だ。「外見は中身の一番外側」なんていう人もいるが、まったくその通りだと思う。だから、見た目や一言目は大切なのだ。と心がけていたはずなのに。

平沢さんのお店に戻り、玄関の引き戸を開けると、レジのカウンターで2人が談笑していた。1人は平沢さん、もう一人が僕を助けてくれた女性だっだ。「げっ!」これが2人を目にしたときの僕の言葉だった。正確には2人ではなく、平沢さんと話をする女性に対しての言葉だ。

どうだろうか、第一…いや、桟橋で助けてもらったことを踏まえたら第二印象か?なかなか最悪な言葉だと思う。しかしこれは、心から出た言葉ではない。漏らしただけだ。反応がっつり漏れ太郎だったのだ。いや本当に。まったくもって、意図はない。皆さんもつい言葉が漏れることって、あるでしょう?「へぇ…」とか「あぁ!」とか、さぁ。…

「はあっ!?」
という返事が聞こえた。もちろん、僕を助けてくれた女性からだった。最悪だ。そんなつもりじゃなかったんだけど。怒らせてしまった。そして女性は体の向きを平沢さんから自分へと変えた。

間髪入れず、平沢さんが喋り出した。
「あぁ、雪平くん。桟橋へ行ってくれたんだって?麦茶そっちのけだったから、さ、ビックリしたよ。」
「えっ…あっ!ああ!すっすみっ!すみませんでした!!」
と、僕は半分本気で謝罪し、もう半分は感謝の気持ちを込めて返事をした。平沢さんの言葉の半分は優しさでできていることがよく分かった。レジのカウンターにはグラスに入った麦茶が置いてあった。氷はすっかり溶けているようだった。

「違うでしょ、こいつ。絶対私を見て『ゲッ!』って言ったんですから。サイテー!助けなきゃよかった!ユタカ!、この人誰なんですか?」
平沢さんの機転も空しく、話題はぶり返されだ。話題が転換するか、それともぶり返されるかは、その人次第なのだ。っていうかユタカ…って平沢さんのことか?この人、平沢さんと仲がいいのか?平沢さんとどんな関係が?

色々と考えが巡ったが、まず謝ることにした。
「すみません、別に悪気は無かったんですが、不快にさせてしまって。本当なら助けてもらったお礼を真っ先にすべきだったのに…」
すると女性は
「alright!I got it!そうでしたか!」
と話題を終わらせてしまった。ねちっこく掘り返されると思いきや、許されてしまったので僕は呆気にとられた。

「よし、外は暑かっただろう。今日はレンタルボートの予約もないし、店を閉めるから縁側で涼むといい。飲み物を淹れなおしてくるよ。」
平沢さんはそう言うと、また店の奥へ引っ込んでいった。

二人っきりにされてしまった。
女性はマウンテンシューズを脱いで奥の縁側へ向かう。彼女は
「あっつー!うっざー!」
と言いながら、手にしていたパーカーや帽子を畳に無造作に置き、扇風機の前を独占した。僕は靴を脱いで部屋にあがり、ちゃぶ台を挟んで座った。

「あ、あの…改めて先ほどはありがとうございました。助けていただいて…」
落ち着いて、丁寧に心から話した。女性はこちらを向き、にやりと笑った。
「いえいえ、もう終わったことですし。ホント、お疲れさまでした。」
話題は終わってしまった。女性は再び扇風機に顔を向ける。扇風機の羽が回る音と、セミの鳴き声だけが聞こえる。平沢さんはまだ来ない。時間だけが、ゆるくゆるく過ぎていく。

画像はイメージです。

扇風機の風を独占する女性は、とても若い。丸くて大きくやや垂れた目と、琥珀色の瞳が印象的で、扇風機の風に揺れる髪は肩と同じ高さで揃えられ、瞳と同じ琥珀色をしている。パーカーの下に着ていた黒いパフスリーブのTシャツからは、華奢で白い腕が伸びている。背格好は小柄だが、その割に手足はすらりと長い。日本人らしからぬ色の白さだった。

違う違う、マジマジ見てたらキモイだろう自分。沈黙にしびれを切らして、僕は名乗った。
「ぼ、僕は雪平ハルマと言います。平沢さんによくしていただいているんです。平沢さんのお知合いですか?」

女性はこちらを向いた。
「私は、ユキナ・ブライトンです。ユタカは私の叔父です。」

え、まさかのカタカナネーム??ていうか平沢さんの親戚だったの?思わぬ人間関係の繋がりに驚いた。平沢さんは、経歴や風貌とは裏腹に、人里離れて悠々自適に暮らしているから、人間関係なんか想像できなかったのだ。そうしているうちに平沢さんは、麦茶とアイスティーとアイスコーヒー、そして人数分の水まんじゅうを持って降りてきた。
「ん、自己紹介は無事にできたみたいだね。よかったよかった。」
…平沢さん、様子を見てたのか?

水まんじゅうに舌鼓を打ちながら三人は会話を続けた。ユキナ・ブライトンはアイルランド人の父と日本人の母を持ち、その母が平沢さんのお姉さんとのことだ。県内の高校に通う17歳で、幼少期をアイルランドで過ごし10代の初め頃に仕事の都合で来日したそうだ。で、夏休みに大好きなバスフィッシングをしに母の地元に帰省している、ということらしい。僕は今年で24になるんだけど、一回り弱、年齢が違うわけだ。そんな子に助けてもらってあの場を収めてもらって、で「げっ」なんて言ってしまったのか?僕は恥ずかしくなってきた。あははぁ…。

「あぁそうだ、ユキナ。例のロッドを渡すよ。」
平沢さんは全員の飲み物をちゃぶ台に置くと、次は工房へ引っ込んでいった。ロッドを渡す?この人も釣りをするのか?
「ブブ…ブライトンさんも釣りをするんですか?」
「ユキナでイイですよ。私、バスフィッシングが好きなんです。」
まさかとは思っていたが、ユキナさん…ユキナもバスアングラーだったとは。桟橋で助けてくれた時、警察の巡回や時間について把握していたもんな。この人はどんな釣りをするんだろうか、どんなルアーが好きなんだろうか。少し興味が湧いてきた。すると、工房から平沢さんがロッドを持って戻ってきた。
「ほら。ユキナの要望には、だいたい応えたつもりだよ。」
ユキナはロッドを手に取りグリップエンドの仕上がりや、ガイドの取り付け位置をじっと見つめ
「すご!Cool…」
と感嘆の声をもらしていた。平沢さんがユキナに渡したロッドは、僕が工房でマジマジと見ていたあの1本だった。スピニングロッドだがやたら太くて長い、スパイラルガイドで、バット部分の3つのダブルフットガイドはリバースガイドのようだ。おそらくはPEラインの糸がらみを軽減するセッティングだ。あるいは、ブランクス本来の曲がりを損なわないようにしたい意図があるのかもしれない。それにしても、どんな釣りに使うんだろうか?

「これで何を投げるんですか?」
僕はユキナに質問してみた。
「あぁ、フロッグです。私、フロッグの釣りが好きで。」
フロッグだったかぁ。太いPEラインや硬くて長いロッドで釣ってて、いかにも男らしい豪快な釣りだ。華奢なユキナから全く想像できなかった。
「へ、へぇ~。意外ですね。」
これがユキナの逆鱗に触れたようだった。
「ああっん!?おまふざけんなよ?」
僕の何が悪かったの??態度の豹変が半端なさ過ぎるんだが。もしも恋愛ゲームなら、この子は超レアキャラで、攻略難易度はMAXに違いない。いや、それよりまずは誠実な弁明だ。

「あ、あのほら。フロッグって豪快な釣りのイメージがあるんですよ。とてもユキナとは結び付きづらくて…つい。」
必死のパッチで説明した。ユキナは
「フロッグやっちゃダメってこと?」
とさらに反撃する。そんなつもりで言ったんじゃないんだけど。勝手に決めつけ過ぎだ。僕はなんで怒られなきゃいけないんだ?理不尽過ぎる。

見かねた平沢さんが僕らのフォローに入ってくれた。
「雪平くんにとってフロッグは、カバーの魚を豪快に釣る、強い釣りって思っているんだろう?でも、ユキナが感じているフロッグの面白さは、そこじゃないよね。」
ユキナはしばらく黙り
「そう…かも」
と静かに答えた。怒りが収まったようだ。
「フロッグは構造上、根掛かりには強いんだが、弱く吸い込むバイトは掛からない。だから、本気のバイトを得られるようなストライクゾーンに放り込む必要があるんだ。そしてバスから得られるバイトは派手だ。そこで驚いてしまってはノセられない。つまりユキナにとってのフロッグの釣りは、繊細さと勇気の釣りなんだよ。」
平沢さんは言語化の天才なのか。

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そう説明されたら、とても納得できる。ちなみに僕はフロッグの釣りをやったことがない。だから勝手なイメージでフロッグを語っていたのだ。しかしそれでは、本当のことは分からない。バスフィッシングには多様なルアーが沢山あるように、世の中にも多様な考え方があり、釣り方一つにも多様な解釈ができるのだ。

バスフィッシングは、今話題の「多様性」と通じるところがある。おのおのが好きなルアーを使い、好きなスタイルで釣っていく。フリッパーもクランカーもいる。シャローのバンクビートや、沖のライブシューティングなど、釣りの幅の広さは随一じゃないだろうか?だが、それぞれにきっと面白さがある。自分が大切にしている面白さを否定されたくないのだ。ユキナがフロッグ好きだとしたら、僕はどんな釣りのスタイルを愛しているアングラーだろうか?

多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う。

ブレイディみかこ ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー

「そうだ。ものの見え方や考え方、あるいは正しさだって、その人の立場で簡単に変わるのさ。自分が大切にしていることを、相手に勝手に決めつけられたら嫌なのは分かる。でも、対話を捨てて急に怒らないのも大事だな。怒りは人間の原動力だが、他人を動かす力としてはあまりお勧めできない。なにより他人に敬意を払えないのは好きじゃない。」
平沢さんはユキナを向いて伝えた。ユキナはアイスティーを急いで飲み干し、グラスに残った氷をストローでカラコロと突き回していた。反省しているのだろうか。

自分とは違う立場の人々や、自分と違う意見を持つ人々の気持ちを想像してみることが大事なんだって。つまり、他人の靴を履いてみること。

ブレイディみかこ ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー

人間は第一印象で色々なことを決めがちだ。それは、人間に備わった機能であり、それを使うと楽ちんだ。しかし、そこで終わってしまいそれ以上を知ろうとしないことは問題だ。その先へ踏み込まず、こっちの印象だけで決めつける、つまり自分の「無知」に気が付かなければ、すれ違ってしまい分断だって生まれるだろう。物事は浅いところで決まっているわけではないのだ。

「そうだ、雪平くん。ユキナと釣りをしてみるといい。今の七滝は渇水状態だけど、ダムを下ったところの渓流では釣りができるよ。ブラックバスもきっとイキイキ泳いでいるだろう。きっと勉強になるぞ。」
えっ、七滝ダムの下流でもバスは泳いでいるのか?っていうか、それって法律的に問題はないんですか?外来種問題はどうなんだ?っていうかユキナと釣りにいって何が勉強になるの?
「えっ、コイツと?嫌だよ。それだったらユタカも来て3人でしょ?」
なぜかユキナはボヤいている。僕に腹を立てているからだろう。
「僕は止めておくよ。お互いの釣りをよく見て学ぶといい。自分が絶対に正しいと思っちゃ、分断が生まれるからね。年の離れた異性と同じ趣味で交流する、これがまさに多様性を学ぶ上で重要だと思うんだ。」
ユキナは嫌そうにしている。
「メンドくさいんですけど。なんで?」
あぁゴメンなさい。それは無理です。こんなことになるなんて。あのね平沢さん、ここにいる2人、少なくとも僕は幸福じゃありません。僕は限りなくダークに近いブルーです。

平沢さんは押し負けなかった。
「よし、じゃあユキナと雪平くんが2匹ずつ釣ってきたら、ユキナのロッドの代金は半額にしてやろう。」
女子高生にとってお金は切実なんだろう。
「ワオ!I got it!」
ユキナは態度を一転させた。まれに出てくる英語は、彼女のルーツを考えさせられる。しかし平沢さんはもう一つ条件を付け加えた。
「1人1本のタックルにすること。そして自分のタックルで1本、相手のタックルで1本を釣るんだよ。相手の釣りにもリスペクトを払うように。」
だそうだ。ユキナは僕の顔を見て、眉間にしわを寄せ
「げえっ!!」
と吐き捨てた。なんなんだホントに…。

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