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第1話 出会い

午後9時、いつも通りに仕事を終えた僕は、オカッパリタックルを車に積み込み、南へと走らせた。
SAで仮眠を済ませ、高速道路を降りてから海沿いのコンビニでホットコーヒーを買い、朝日を迎える。
そのままさらに曲がりくねった山道をアプリに従って走る。走る。
家を出てから4時間は走っただろうか。

杉林の峠を越えると突然視界が開け、眼下に湖が広がっていた。
日本有数の豪雨地帯、南熊山地にひっそりと水を蓄えているそのダムは、名前を「七滝ダム」という。

僕は路肩に車を停め、腰を伸ばす。6月中旬、梅雨のまっただなかの貴重な晴れ間。
今はまだ雲は厚くかかっているが、西の空は青々としていた。

僕はスマホをいじる。
「七滝ダム オカッパリ」と検索すると「下流 スロープ」という文字が飛び込んだ。
僕はその「スロープ」へと向かった。
現在、7時を過ぎたところだ。
きっとお店は9~10時に開店だろう。
それまで2時間ほど魚を釣ってみようかな。
再び車を走らせる。

僕は大学からバス釣りを始めた。
6年ほど経つが、まだ50アップを釣ったことがない。
先輩や友人が正直羨ましい。
どうすれば大きな魚が釣れるのか、いまだに分からない。
何かいい方法はないかとSNSを見ていると「あの店、マジ面白い!」という書き込みを見つけた。
その店はこの七滝湖の湖畔にある。
そういうわけでここまでやってきた。

アプリに示された場所に到着すると、30mほどの斜めのコンクリート製のスロープと駐車スペース。自販機。そして古民家があった。店の軒先に「プロショップななたき」と小さな看板が出ている。
面白い店って、ここか?よくよく見ると、店の中には明かりがついていた。
もう開店しているのかも。
僕はガラガラと引き戸を動かし、店内へと入った。

古民家の外観とは裏腹に、店内はオールドアメリカンなブリキの看板やブラックバスのポスター、七滝ダムに来たであろうアングラーたちとブラックバスの写真が飾られていた。
土間の中には壁一面にラックが並び、ルアーがジャンルごとに整列していた。
日本製の定番の物から、バスフィッシングの本場アメリカのルアーもあった。
シンカーやフックはメーカー、重さ、番手ごとに見やすく並んでいる。
釣り雑誌やDVDもある。
市内の量販店に比べたらさすがに品ぞろえは良くないけれど、スタンダードなものを必要最低限という印象の品ぞろえだ。
皆、静かに出番を待っている。

「いらっしゃい、レンタルかい?」

店の奥から、男が出てきた。
年齢は30代後半ぐらいだろうか。
短く丁寧に整えられた口ひげが印象的だ。

「え、あ、いえ。ル、ルアーを。」

僕はとっさに裏返った声で返事をした。

「そうかい。ごゆっくり。」

男はそう言い、レジに座りコーヒーをすすり始めた。
僕はじっと店内を見て回った。
ルアー、ライン、フック、シンカー・・・
どれも近所の量販店で買えるものだ。
わざわざここで買う必要はない。

でも、もしかしたらあのルアーが、この店には置いてあったりして。
僕はレジに向かって男に聞いた。
「あ、あの。すみません。マスタング、置いてますか?」
マスタングとは、大人気メーカーのマージナルゲインから発売されている、とにかく釣れるハネモノだ。
SNSでの釣果報告がとにかくすごい。
雑誌の人気ランキングでは何度も上位に入っている。
手っ取り早く大きな魚を釣りたかった僕は、喉から手が出るほど欲しい「魔法のようなルアー」だ。
なかなか店頭で売っていなくて、昨日はフリマサイトでも買えなかった。
もしかしたら、ここにあるかもしれない。

男は

「あぁ、あるよ。好きな色を選んで。」

色違いのマスタングを、4つもレジに置いた。4つもだ。

「このルアー、大人気だよね。」

男は笑っている。
まさかマスタングが4つもあるなんて。
僕は迷いに迷って、ブラックバックチャートを選び、3980円を支払った。
早く投げたい。50アップのバスを釣ってみたい!このルアーならきっと・・・

男は、僕が迷っている間も終始ニコニコ笑っていたようだった。

「フフフ。せっかくだし、投げてみたらどうだ。そうだ、ボートに乗るかい?」

なんだって?ボート!!?
ボートフィッシング!映像や雑誌の中だけの世界だったんだ!初めてのボート!
50アップどころか、ロクマルだって釣れるかもしれない!

「えぇ、いいんですか!!?」

男は店の奥に引っ込み、タックルを5本とルアーボックスを出してきた。

「いや、久々に素敵なお客さんと出会えて嬉しくなってね。今日は臨時休業にするよ。ボートに乗るかどうかは任せるが、もし乗りたいなら20分後にスロープに来たらいい。」

男は荷物を持って外に出ていった。

いや待て待て!よく考えたら、初対面の人間にそこまでするか?
あの人は実は悪い人で、後から「ガイド料」とか言って法外なお金を請求してきたらどうしよう。
釣れなかったとき「へったくそ」と笑われるかもしれない。
初めてのボートだし、ドタバタして落っこちたらどうしよう。
ここは断るべきな気がする。
やっぱり大人しく、いつもどおりオカッパリしよう。
僕はお断りの返事をしに外へ出た。

店を出てスロープへ向かうと、その先に男が見えた。
男はボートを桟橋に係留させていた。
ボートの操船からロープのさばき方、素早い身のこなし、たたずまい、ただものじゃないことが分かった。
そしてあのマスタング、どういう流通ルートで手に入れたんだろう?今まで色々なバスプロの映像を見てきたし、フィッシングショーではサインも写真ももらったけど、彼らと何ら変わりはないオーラを感じた。
僕は男の一挙手一投足に魅入られ、気づけば男と一緒に湖に浮いていた。

男はロッドを握らずに桟橋から上流へとエレキで流している。

「君、名前は?」
「ゆ、雪平と言います。」

突然の質問に裏返った声で返事をした。
「そうか、ありがとう。僕はあの店で店長をしてる、平沢という。」
簡単に互いの自己紹介をした。
僕は買ったばかりのマスタングを6フィート10インチのベイトタックルに結んだ。

「雪平くん、さっそくマスタングを結んだんだね。どういったところが好きなんだい?」

「よく飛んででかい魚が釣れるところです。誰が巻いてもすごくピッチの早いクロールだし、細身だしサイズ感も100ミリでそんなに派手さがありません。カラーも豊富です。メイドインジャパンのメーカーなので品質も安定しています。とにかく釣れますよ。」

僕はマスタングやマージナルゲインについて知っていることを、3分ほど喋った。
「そうか、ならこの先エレキは君に踏んでもらおう。やったことはあるかい?」
エレキの操作は、頭では分かっているが自信はない。
そのことも話すと、最初はみんな初心者だからと踏ませてくれた。ヨタヨタと頼りなく流し始めた。

バス釣りを初めてから6年。
この日から
僕の釣りが根っこからひっくり返った。

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