母校が無くなるということ

2024年の春、通っていた高校が無くなる。

自分が通っていた高校は、大阪市内の市立高校だった。1学年は4クラス160人、3学年合わせても480人のみ。
大阪市内のことであり、無くなるとはもちろん過疎化でも、火事で燃えたわけでも、地震で倒壊したわけでもない。統廃合により無くなるということ。新設された大阪府立の高校に吸収されるため、閉校する。
現在の在校生はすでに府立の高校に移っているが、最終世代である彼らが卒業するのが2024年の春で、それをもって機能を完全に停止する。
これを書いてるのが2024年2月10日なので、あと1ヶ月半程度ということになる。

僕は高校が大嫌いだった。
そのあたりの話はここで書いてもしょうがないので、お聞きになりたい方は直接お問合せください^ ^←

卒業式の日、担任に挨拶を済ませ、足早に正門を出た。
帰りの地下鉄に乗り、ウォークマンで音楽を聴いていると、いろんな感情がごちゃ混ぜになって湧き上がってきたことを覚えている。
大学進学も決まっていたし、ようやく解放されたと思うと、どこか清々しい気分だった。

同じ大学に進学した同級生もいたが、高校とは規模もまるで違う大学のキャンパスでは、ほとんど接点はなかった。

20歳になり、地元の成人式に出た。
たまたま出身地域が近かったある同級生と会場で遭遇したら、その人は金髪になっていた(一瞬、誰やねんと本気で思った)。金髪の同級生と話していた僕を見て、小中学校の同級生たちが目を丸くしていて、少し笑えた。

何年かして、同窓会の案内が届いた。
もちろん行かなかった。どれくらいの人数が参加したのかも聞いていないが、二度と会うこともないだろうと思っていたし、それは今も変わらない。話すこともないし、彼らが今なにをしてるかも興味はない。

高校の同級生で、今も連絡を取っている友人は1人だけ。その人は今、東京で自分のやりたいことをやっていて、年に数回は会う。

ゴミみたいな3年間だったが、あの期間があったから多少は人間として成長できた気もしている。身に染みて感じたのは、世の中にはいろんな人間がいるということ、他人は変わらないということ、自分が変わらなければいけないということだ。

校舎をぼんやり眺めながら、閉校したあと、この敷地はどうなるんだろうか?と考える。周辺環境から考えるとマンションでも建つのかもしれないが、それは大阪市が考えることだと思いながらその場を後にした。

おかげさまで私はなんとか生きてます。

ありがとうございました

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