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踏みつけたままでいたい人たち

これから紹介する文章は、教皇様の発言を曲解し、同性愛者を断罪することがやめられない暴力的で差別的プロテスタントに送ったツイートです。

これらは反同性愛への反駁ではなく、聖書が語っている事を丁寧に読み調べた結果のナビゲーションです。挑発も悪口もありません。

ぜひ他の人にも読んでいただき、主にある兄弟姉妹の良心と尊い信仰の目を持って識別し、できるなら毎日このように断罪される私たちの声なき叫びを知っていただき、弱いわたしたち性的少数者キリスト信者のためにお祈りいただければ幸甚です。

そして、ろくに調べてもいない日本語翻訳の聖書の文言を使って、あたかも聖なる断罪かのように同性愛者を吊し上げますが、その実は自身の同性愛嫌悪と差別を聖書を用いて合理化(正当化)して憚るところがありません。聖書を用いて差別と嫌悪(ヘイト)を合理化し、己の声を神の声のように聖書を用いることは、聖書に従順どころか聖書の文字の偶像化、ひいては自己の偶像化と偽証です。

彼(女)ら自身が罪に陥っていることに気づくよう、お祈りください。真の善意を聖霊が与えてくださいますように。平和と赦しのために多くの祈りを必要としています。これ以上痛みと苦しみに溢れた毎日はゴメンです。どうかお祈りください。

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9正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、 10泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。(Ⅰコリ6•9-10)

この引用された聖書箇所は「悪徳表」といって悪徳を並び立てることにより本来この箇所で語っているテーマを強調づけるレトリックであり、悪徳表自体に関連性はありません。

それでもこの「男色をするもの」の背景と意味をみると、「少年愛の成人男性で性奴隷の商人の仲買を受けている人」という意味で当時ギリシャ・ローマでスタンダードだった成人と青少年の関係そのものではなく、性奴隷の仲買人に仲介させるるという非人道的行為に問題があります。

そしてこれらの関係や成り立ちは現在の同性愛もしくは同性愛者という言葉と実態と対応関係のないものです。

したがって、この箇所で同性愛者を批判することはできませんし、もしこの箇所で同性愛者を断罪するのなら勉強不足、もしくは、自身のホモフォビアを聖書の文言の表層を使って合理化していると言わざるを得ません。

表層であったとしても聖書の言葉を用いて自己の同性愛嫌悪を合理化し、自身の声をあたかも神の声とする行為、及びそれを根拠とする断罪は自身の偶像化と偽証です。神が罪であると直接おっしゃったのはどちら(何)ですか?これを読む兄弟姉妹の良心と尊い信仰に信頼します。聖霊の照による正しい識別を。

「神の国を受け継ぐことはできない」というのは若い綺麗な女の子と男の子を貧しい家庭から買い叩いてきて売春宿や個人に性奴隷として人身売買していた「アンドロポディスタイ」という人が登場する。極めて非人道的行為である。それは神の国を受け継ぐ訳が無い。だって神の思いを生きていないもの。

そこで性奴隷にされて飽きるまで性的搾取されてあとはどうなるかわからない売り飛ばされた青少年は同性間性的接触をされるけれどこの構造でいうと天の国はこの人のものですよね。心底貧しくされた人は神からの力があり、天の国はその人のものなのだから。(マタイ5)

SNSでは毎日偏狭なキリスト教徒に当然のように嫌悪され差別を受ける。クリスチャンじゃない人たちの方がよっぽどオープンマインドだ。僕はいつまで苦しい思いをしなきゃならないのだろう。ゲイであることもカトリックであることも僕が選んだことじゃないのに。

【参考文献】
小原克博「新約聖書の性倫理ーテストケースとしての同性愛」福音と世界 1998年

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