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菅総理はレーガンを見習えー外交経験の有無は関係なし

菅総理は外交下手?

偉大な、実績のある前任者の後を継ぐことほど、難しい事はない。後継者は嫌でも比較の対象にされるし、前任者のせいで評価基準が上がったことにより、以前なら評価されたことも、当たり前のように扱われる。

菅総理もその例外ではない。彼の前任者である安倍晋三前総理は、外交実績という点では、独立回復の吉田茂、安保改定の岸信介、沖縄返還の佐藤栄作などの歴代の宰相と比べて見劣りする部分はあるかもしれないが、日本の外交の性格を決定的に変えたことは事実である。

日本外交の特徴として長い間、外圧に弱い、内向きであることが非難されてきた。しかし、安倍総理は在任中、積極的に国際社会のルール作りに参画し、日本の外交がより外向的になったという印象を世界に与えることに成功した。

それもあってか、菅総理は外交に強い安倍総理と比べられるせいで、それに加えて内政に強いというイメージが付いていることから、就任以前から外交経験が不足していることを繰り返し指摘されてきた。

だが、必ずしも外交経験が無ければ外交実績は残せないのか?アメリカの大統領たちを考察することで何か答えが見えてくるのかもしれない。


米大統領になるには外交経験が足かせに

アメリカの場合は外交経験以前に政治経験があること自体が大統領になるための足かせとなってしまう。アメリカではベトナム戦争、ウオーターゲート事件によって国民の政治不信が高まったこともあり、1970年代以降は政界中枢に属していない、外交経験が無い、アウトサイダーが大統領として好まれる傾向がある。カーター、レーガン、クリントン、子ブッシュは州知事経験者であったが連邦レベルの政治とは無縁であり、それがクリーンさをアピールすることにつながった。

また、オバマは下院、上院議員としてアメリカ政治の中枢に居たことは事実だが、超党派に合意があったイラク戦争に対する批判勢力の急先鋒であり、社会の変革を訴えて大統領に当選したことから、アウトサイダー的な側面があったことは否めない。トランプに至っては政治経験さえも無い完全なるアウトサイダーであった。

レーガンの後を継いだ父ブッシュは中国の大使、副大統領を8年務めたことから、政治、外交経験がある大統領だった。しかし、彼はレーガンの政策の継承を掲げて当選して、その七光りが消失した4年後には落選の憂き目をみている。

以上の考察からアメリカの場合は外交経験よりも新鮮さ、クリーンさが指導者の条件として優先度が高いとも言えなくもない。そのことを考えると、外交経験を売りとしており、長らくワシントンのインサイダーであり続けたバイデンが次期大統領になったことは奇妙に思えるぐらいである。

外交経験ゼロのレーガンの実績

しかし、外交経験が無くても、目を見張る外交実績を残した大統領は存在する。レーガン大統領が良い例である。

レーガンは政治家になる前はハリウッド俳優、そしてカリフォルニア州知事として政治家としてのキャリアをスタートさせたもの、大統領になるまでは本格的な外交経験は皆無に等しかった。また、教条的な保守主義者、そしてソ連との衝突を恐れずに軍拡を推進し、ソ連を疲弊させ崩壊に追い込んだタカ派だというイメージが今でも残っている。しかし、「ウルカヌスの群像」で有名なジェームズ・マン氏のレーガンの対ソ政策を描いた著書によると、全く違うレーガン像が浮かび上がる。

確かに、彼の一期目のソ連に対する姿勢は敵意を向きだしたものであった。ソ連を「悪の帝国」呼ばわりし、ソ連の核兵器を無力化する計画の一種であった通称スターウォーズ計画を発表し、ソ連の首脳陣を震え上がらせた。

だが、二期目のレーガンは一期目と打って変わって、ソ連、そして新しいリーダーとなったゴルバチョフに歩み寄り姿勢を見せ始めた。そして、このアプローチに反感を示したのが、ほかならぬ彼の味方であるはずの共和党、保守派であった。彼れはレーガンのアプローチが弱腰だの、ナイーブだと非難し、彼の政策の転向を促した。外交エリート、専門家らはソ連との協調、冷戦に終止符を打つことは夢物語だと断罪した。

しかし、結果はどうであったか?レーガンの外交のおかげで、米ソの緊張は歴史的な雪解けを見せ、冷戦の終結の足掛かりが成立した。外交において素人であるはずのレーガンの政策が歴を変えたのである。

指導者に最も必要な資質は?

もう一回、冒頭部分で述べた問いに戻ろう。国のトップに務める人物が外交で成功を収めるためには外交経験は必要か?答えはノーである。

しかし、必要な素質はひとつある。既存の考え、前提を疑う力を持っているかどうかである。俗にいう批判的思考力である。

ソ連を絶対悪で, 共産主義の伸張に何が何でも防ぐ必要があるという冷戦思考という考えはアメリカの外交政策に関わる人々が長らく共有しているものであった。しかし、ゴルバチョフと対峙し、好感を抱いたレーガンは、本能的にワシントンに蔓延していたソ連と対峙すべしという固定概念に疑問を持ち始め、自らのソ連に対する姿勢を一変させた。

また、そのような事ができたのも、レーガンが外交経験に乏しかったことが逆に功を奏したからだと言えるのかもしれない。

ハーバードビジネススクールのマクンダ氏の研究によると傑出した指導者は、アウトサイダーである場合が殆どであるそうだ。それと同時に無能な指導者もアウトサイダーである可能性が多分にあるそうである。一方、経験が豊富な指導者はまずまずの実績は残すものの、偉大な存在になる場合は少ないとのことである。

どの分野でも、その道に通じている人物が成功を収めそうだと想像するが、経験は必ずしも、成功を意味をするものではない。もし、仮にその人物が自分の経験に従い、現状維持に努めたら、ある程度状況は安定するかもしれないが、歴史に残るイノベーション、政策を実現する可能性は小さい。

レーガンは外交経験が無い、アウトサイダーであったからこそ、ワシントンの常識を疑うことができ、それに染まらなかった。そして、彼に備わっていた批判的思考力が乏しい外交経験を補うことにつながった。

もし、菅総理もレーガンと同様に物事の本質を見抜く力を持っているのであれば、外交経験の有無は取るに足らないものである。逆に、既存の外交手法に染まっていないからこそ、独自性が発揮できるし、安倍総理の外交実績を超えるものを生み出す可能性も持っている。


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