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高度に発達した魔法は科学と区別がつかない

 西尾維新の超長編、「伝説シリーズ」の『悲鳴伝』にこんな一節がある。

「―――なんかSFっぽいアイテムがいっぱいあってびっくりしています。科学って、僕達の知らないところで進歩しているんですね」(中略)「『高度に発達した科学は魔法と区別がつかない』という奴だね。まあこれも、とあるSF作家の発言なんだが」
引用元:悲鳴伝、西尾維新、(2012)、p426

「高度に発達した科学は魔法と区別がつかない」

 この本で初めて目にした。いかにもSF作家らしい言葉遊び。とあるSF作家とは、アーサー・C・クラークのことで、これはクラークの三原則の1つである。言葉遊びであれど後世に遺る名言である。どんな含蓄のある言葉だろうか?

 化学の研究に励む身にとっては、「魔法の様な科学技術を成すことが出来る」という励ましや期待に受け取れる。

 穿った見方をすれば、「これからは魔法の様に、正体不明となったブラックボックスが増えて行く」と警鐘を鳴らしている様に思える。


 …この言葉を、ディズニーシーのパレードを見ながら思い出していた。

 煌びやかな電飾、際限なく噴き出す煙、仰々しく行進するフロート、そして軽やかに愛嬌かなにか、それ以上のものを振りまくマスコット。これらの前では、子供も大人も等しく魔法にかけられる。

 あれは全部、電力で、人力で動いているのは知ってる。もちろんそんなことを口に出す無粋は誰もせず、それはそういうものとして楽しむ技術を身に付けている。魔法のように、見えている。

 ふと、あることに思い当たる。”高度に発達した科学は魔法と区別がつかない”のなら、その逆も成り立つかもしれない。つまり、”高度に発達した魔法は科学と区別がつかない”こともあるのではないか。胸を高鳴らせるあの光、突然燃え盛るあの炎、元気いっぱいに飛び跳ねるあのマスコット、実はこっそりと、本物の魔法が使われているかもしれない。そうだったらいいな。

 くだらない言葉遊び。こんなことを考えてしまうのは、冷たい夜風と、まだ喉に張り付いているホットワインのせいにした。

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