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ラジオが恋人

精神を病んだ時、テレビを見ることもできず、社会も会社も隣人も寄り添ってくれなかった時、唯一ラジオだけは私に寄り添ってくれた。おかげで寛解の状態にはまだ程遠いが、なんとか日常生活は送れるようになり、命を繋ぐことが出来た。

このように、ラジオは私の人生でいつもそばにいてくれた。高校生の時は、朝から晩までイヤホンでFEN(今のAFN)を聴いていた。そのため、売店のおばちゃんは私が耳が不自由な人だと思っていた。
社会人になっても、ラジオを聴き続けた。ラジオが時計代わりだった。
ラジオ番組にはがきを送るはがき職人みたいなこともやった。今はメールで投稿し、たまに読まれることもある。
ラジオは私の恋人のような存在だ。

世界最初のラジオ放送は、1906年12月24日にアメリカはペンシルバニア州からエジソンの弟子でカナダ生まれのレジナルド・フェッセンデンという電気技師が自らのバイオリン演奏でクリスマスの名曲、O Holy Nightを流し、クリスマスのメッセージを送った。この辺りのエピソードは『ラジオの恋』という映画でも触れられている。

ラジオは終わったメディアと言われることが多い。しかし災害時に一番役に立つメディアはラジオであり、また人に一番近いメディアもラジオである。
私はこれからもラジオを愛する。

最後に三大テノールのうち、ルチアーノ・パヴァロッティとプラシド・ドミンゴによるO Holy Nightをお楽しみいただきたい。では、良いクリスマスを。


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