創作作文

小学校の3年生か4年生のことだ。夏休みの思い出を作文にするという授業があった。当時の担任は多田豊という暴力教師。

私は時間が過ぎても何を書いていいか悩んでいた。思い出というほど思い出が無かったからだ。無いなら作ればいい。そう思って夏の一日に起こった事件を創作して、えんぴつを走らせた。

どのみち、多田豊が見るだけだと思って油断していた。ところが優秀な作文を書いた者が数名選ばれみんなの前で朗読することになった。私の作品も選ばれた。

緊張で手足が震える。今でこそ500人の前でもスピーチが出来るが、当時はその才能は開花していなかった。私が読み上げると、クラスのみんなは大笑いした。

多田豊はそれを評価して、昼休みに校内放送で流すと言いやがった。
理科室に行き、オープンリールのテープレコーダーに朗読を録音して放送日を待った。そして当日、放送が始まると校内から大爆笑だった。

ちょっとした嘘が大きくなり、困った困ったこまどり姉妹。一躍有名人になってしまった。

その多田豊という教諭はなぜか演劇を教育に取り入れることに熱心だった。しかし、彼の演出に私は納得しなかった。大げさな手振り身振りで表現しろというものだったからだ。私はもっとリアルに自然に演じたほうがいいと思っていた。

鬼のように恐れられ、その暴力で問題にまで発展した多田豊は後に老いて哀れな姿になったと言う。それをかつての同級生が見かけたが、少しも同情の余地はなかったと話す。私も多田豊から受けた暴力でいまだにトラウマを抱えている。おそらく彼は天国でかつての教え子に仕返しされているだろう。

話が創作作文から多田豊への恨みに変わってしまった。今日はこれでおしまい。


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