Netflixで英語を勉強しよう

Netflixで英語ができるようになりました、とよく聞く。生の英語に触れているから、聞き取れるようになるし、セリフを覚えれば話せるようにもなる。覚えたフレーズの単語を入れ替えたりもして、応用を効かせることも可能だ。

楽しい動画を見ながら英語も勉強することができる。一石二鳥である。楽しく勉強することがもっとも効率がいい。Netflixで勉強することの良い点である。ただ、その良いことをし続けた先には、功罪が生まれる。

その功罪とはなにか。

なにか意味のあることをしなければいけないかのような強迫性を感じ続けてしまうことである。

例えば、ただ動画を楽しむだけなのに、そこになんらかの二次的に派生して得するようなことを探してしまう。英語の勉強にもなるし、という、なんらかのエクスキューズが、つねに行動するときに考えてしまう。

無意味の領域が徐々に減っていき、意味のある領域が増えていく。無意味を無意味のまま享受できず、意味を見出そうとする。

私たちは意味依存症と言ってもいいかもしれない。

Netflixという意味のプラットフォームにさらにまたに別の意味を見出すことが強迫される。

ここで改めて言いたいのは、ただ物事を享受することの尊さである。例えば自分がかわいいと思う服を買ったり、かっこいいと思う車を買ったりすることの尊さである。

記号に反応した条件反射的な行為は、これまで軽視、むしろ蔑視されていた。思考を停止しているだとか、広告会社の宣伝にのっているだけであるとか。

でもそんなことはどうでもいいのだ。

過剰な意味を巻き込まず、記号に反応して生きることをもう一度実践してみてもいいかもしれない。

人生が豊かになるかだって?そんなことはどうだっていいのだ。ただやりたいからする。そのことをしてみる。ただそれだけのことだ。

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