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白黒思考・二項対立に囚われてないか?詐欺にも使われる恐ろしい二項対立【誰かのべき論は無視一択】

先日の狂犬ツアーの帰り、車に同乗していた木下ファミリーのハセさんが興味深いことをお話されていました。

お子さんの運動会で組体操が実施されるのを、危険だということでハセさんのご家族がとても嫌がっていると。

実際に運動会の組体操でどのような種目をやるのかはわからないのですが、五重塔とか何重ものピラミッドでなく、扇レベルの形ならそんなに危なくはないよね、という話になりました。

危険な組体操の例 ピラミッド
https://www.sankei.com/article/20190605-PCF63MGKLVL2HJ4RTV2CERFURE/


比較的安全と思われる組体操の例 扇
https://www.ac-illust.com/main/detail.php?id=856687

ハセさんのご家族はお子さんが組体操に挑まれるわけなので、第三者の私たちよりも心配や不安があるのだと思います。

ご家族ですと当事者ということもあり、心配されるのは無理もない点はあります。

しかしながら、グラデーションがある物事に対して『これはダメだ/危険だ』と単一的に決めつけようとする白黒思考・二項対立(個人的に二項対立という表現が好きなので以下二項対立とします)に囚われているケースを世間ではよく目にします。(もちろんハセさんのご家族を批判するつもりはまったくありません)

先日2日間に渡って木下斉さんのVoicyでも、不安を煽るメディアからは距離を置くという放送がありました。

放送の内容には大いに同意しつつ、放送では触れられなかった不安をあおる要素としては、上記で紹介した二項対立もあると思いました。

例えば優等生で陥りがちなのが、テストで100点取れたらOKだけど、99点以下じゃ話にならない・もうダメだ、みたいな思考です。

他の例だとカルト宗教によくあるのが、我々の(宗教団体)考え方こそ唯一の正義である、それ以外の人間や俗世間は汚れている!悪だ!、みたいなものです。

共にやや極端な例ではありますが、特定の単物事に対して『〇〇はダメだ!』『××に決まってる!』といった表現をマスコミやウェブニュースでよく目につくのですがいかがですかね?

何か一つが正しかったり正解であれば、それ以外は不正解と考えるのは確かに楽ではあります。けど、世間の物事ってそんなに単純なのでしょうか。

もう少し身近な例を挙げると、パッと見だと良い人に見えるAさんも、もしかしたら家庭ではめちゃくちゃ嫌われてるかもしれません。

他の例として私の話ですが、私はJTCを数年前に辞めて今は小さなベンチャーにいます。『面白い経歴だね!』とポジティブに捉えてくれる方がいる一方で、古巣のJTC同僚からは『こんなホワイト企業辞めてあいつ馬鹿だねw』などとディスられているかもしれません。

こんな感じで、世の中の99%くらいの物事はこれは良い・悪いと竹をスパッと割るように白黒分けることって出来ないと思うのです。

そのため、グラデーションがあり得る物事に対して自分の価値観だけで、これは悪い/ 危険だ、と排除するのは、時にもったいないと感じました。

とはいえ正直、なんでKashiwaはそこまで二項対立に拘るのか混乱している人もいるかもしれません。他人が二項対立にとらわれるだけなら放置していればいいのでは、とも考えられます。

私が二項対立的な考え方が良くないと思うのには理由があります。まず一つには、二項対立で考えると物事が単純化されて楽なため、時に詐欺や人を陥れる時に使えるテクニックになりうるからです。

先ほどのカルト宗教のように『自分たちこそ正義!それ以外は悪!汚れている!』などと洗脳する集団もいますし、科学的な根拠のよくわからない健康食品なども『これを食べれば綺麗に・健康になれる!(さもないと。。!)』といった脅しをかけてきます。

宗教には信仰の自由もありますが、健康食品一つ食べなかったらといって冷静に考えてどうなるのでしょうか。健康食品を食べれば綺麗になるけど、食べないと綺麗になれない。。、といった具合に、詐欺や悪質な商売には高い確率で二項対立が潜んでいます。

幸か不幸か、物事はそう単純ではありません。ぜひ皆様には詐欺的要素を見抜いていただき、おかしな商売・言説には引っ掛からないようにしましょう。

また二項対立のもう一つの負の側面は、自分を苦しめることもある点が挙げられます。

冒頭でテストの点の例をあげましたが、あれはあながち誇張ではなく、似たような内容で自分で自分を苦しめている人間は実在します。

・昇格試験に1回で受からないと周囲から馬鹿にされる
・後輩から聞かれたことに常に適切に答えられなければ馬鹿にされる
・チームのリーダーならグイグイ引っ張らないと馬鹿にされる
くだらないと思うかもしれませんが、すべて研究職時代の私が実際に思っていたことです笑

冷静な今考えてみると『そんなわけあるかい!馬鹿にする奴なぞこちらから願い下げじゃ』で終了なのですが、当の本人にとっては、その価値観にとらわれると『べき論』が頭に渦巻き始めて、どんどん自分で自分の首を締めるような状態になってしまうのですよね。。

○○たるもの、かくあるべき、みたいな像は所詮どこかの誰かが勝手に設定した偶像なので、それをゴールに肯定的に捉えられるなら良いのですが、首を締めるために使うものでは無いですね。

ということで、運動会の組体操の例から二項対立を軸に、詐欺・悪質宗教、そしてキャリアのべき論まで考えてみました。

人間関係や働き方でなんかうまくいかないなぁという人、物事にはグラデーションがあること、その二項対立は嘘じゃないか?どこぞの誰かがでっち上げたべき論に囚われていないか、と寛大かつ疑い深く物事に接するよう意識すると良いかもしれません。

それではまた!

ちなみに今回の記事着想のきっかけになった木下ファミリーのハセさんは、いわき市内でゲストハウスを経営されています!


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