論文をマジで読みたくない(春から)大学院生

「論文 "読みたくない" 」で毎日ググっているんですよ。

文章を読むのは嫌いではないと思っていたが、正しくはセンセーショナルでエモーショナルなもの、創作小説や大事件のレポートめいたものが好きなだけだった。淡々と事実を述べる文章は多分好きではない。国語の授業でも小説と評論でやる気が天と地ほど違った。

色々あって大学院生になろうとしている。論文を読みたくないなどと研究室で口が裂けても言えない。きっと呼吸をするより当たり前なのだ、他の優秀な学生たちにとって、論文をひたすら読むということが。でもそれが当たり前にできない。なあなあでサーベイをやっていたB4の1年間のツケがようやくここで回ってきて泣いている(多分卒業はできる。できるけど卒論発表でサーベイ不足で思い切り突っ込まれ殺された)。

自分の主張の裏をとることは本当に必要だと思う。本当に。だからわたしにそれが足りなかったのだと言われたら悔しいけど、その通り過ぎてぐうの音も出ないし、言える文句など何もない。だから、これでもちゃんと教授に「これがおすすめだよ」と言われた学会の論文を調べようとしている、のに、何も頭に入ってこない。

英語が苦手だからというのがきっと非常に大きい。それならばと思ってちょっと特徴的な単語でcmd+fで検索して、引っかかった論文のアブストラクトだけ全訳した。それなのにその先、全然体が動かない。わたしは何をやっているのだろう。どうしてこんなに怠慢なのだろう。文章を読むことはどうしてこんなに苦痛で、気が進まないのだろう。自分がダメな人間だという思いだけが口から出て、強調されて脳に帰ってくる。現実逃避をしてさらに増強される。もういい大人なのにこんなことで涙が出る。

全ての人が論文を読むのに苦労しなかったわけはないと思っている。でも、苦労した人の中で、克服できた人はごくごくわずかだと思う。わたしはそちらに行けるだろうか。そちらに行けた人の声明を探して「論文 "読みたくない" 」のサーチなんてくだらないことをしている。そんなことをする暇があれば読んだらいいのにね。代わりにわたしの声が誰か、経験者や同じ状況にいる人に届いてほしい。甘えに見えるだろうし実際甘えなのだろうけど、苦手なことになんとしてでも向き合わなければならないという確信だけはしている。わたしの戦いに、エールか先行事例がほしい。


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