母の話

こんにちは。永田佑衣です。


このあいだ母から突然、「ゆういにも(弟)にも会いたいな/泣きそうだ」というLINEが来た。わたしはそれを見てがっくりときてしまった。がっくりという言葉が正しいのかはわからないけどとにかくズーンと沈んだ気持ちになった。昔から母のそういうところを見るととてつもなく悲しい気持ちになる。子供の頃、母が胃腸炎か何かになりわたしと弟の前でキッチンのシンクに突然吐いたことがあった。もう15年くらい前のことなのに、そのことがずっと忘れられない。本当に怖くて、でも上手に心配できなくてうろたえた。そういう時、子供として何もできないことを思い知って絶望するのだ。映画「湯を沸かすほどの熱い愛」(中野量太)や「おかあさん」(成瀬巳喜男)には共に、出先で母親が具合が悪くなってしまうシーンがあって、わたしはそういうのを見るたびに心臓がグウとなってしまう。

わたしが上京した2013年あたりから、母は人間としての弱い面をわたしたち子供に少しずつ見せてくれるようになったけど、こういった剥き出しの弱音を吐くことは結構珍しい。群馬の実家は思っているより近いため、わたしはこれまで3ヶ月に一回くらいは意味もなく帰省していたけど、もうしばらくは帰れないだろう。自粛期間の始まった頃は、親に移したくない子として東京に子を置きたくない親と少しだけもめた。とにかく母はずっとわたしと弟を心配している。弟も思慮深いのでそのことにきっと気づいている。わたしたちはどうにか母を安心させるために、どちらともなく毎日作った料理の写真を母に送るようになった。でも、会わないとダメなのだ。小さな花束を送っても、電話をしても、気休めにしかならない。でも今は会えない。どうしたら泣かないでいてくれるだろう。ずっとそのことを考えている。

群馬の県民性として「かかあ天下」というのがあるが、母は全然そういうタイプではない。怒らず、優しく、よく笑い、根暗な母だ。わたしの根暗で人見知りなところは確実に母からの遺伝だと思っている。本当に限界に近いのか、夜中にちょっと弱気になっちゃっただけなのかはわからない。でもきっとしんどくはあるのだろう。弟が上京して家に父と二人だけになって、寂しいに決まっている。「母は強し」なんて言葉はまやかしだと、まだ母になっていないわたしは思う。わたしの母は強いなあと常々思うけど、それは母だから強いのではない。人間みな、強い時と弱い時がある。それだけのことだ。弱っているのだとしたら、今は、どうかくじけないでいてほしいと思い続けることしかできない。子供として何もできないままでは嫌だから、明日も電話するし、料理の写真を送る。また会えた時に抱き合って泣くんだろうなと思いながら泣く。それしかできないけど、生かしてくれたのだから、母を生かす。そういうことを考えていた母の日だった。


また暗い文章を書いてしまった。次は明るいことを書くね。

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